※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2026年02月21日

「「あの戦争」は何だったのか」辻田真佐憲著




2025年初刷

 まず、「あの戦争」をどう呼ぶか。それが人によってまちまちで(一部、はっきりと公式(政府)が名前をつけて出てきたものもあるが)、思想党派によっても呼び方が違う、というの、はへ〜〜、言われてみればそうだ、と納得しました。

太平洋戦争(戦後、アメリカの影響で)
大東亜戦争(日本政府が1941年12月12日に発表。支那事変も含むとされていた)
支那事変(1937年7月7日の盧溝橋事件からの日中戦争)
十五年戦争(1931年の満州事変から)
東亜百年戦争(林房雄が提唱。外国の植民地主義にとどめを刺す奮闘と考える)
アジア・太平洋戦争(何か、一番「政治的に正しい」呼称であるらしい・・・)

 なお、石原莞爾を戦後アメリカが尋問した時、石原はペリーの来航から持ち出したそう。

 なるほどなあ。そう考えることもできるんだ。

 あと「事変」「事件」等々ロシアの「特別軍事活動」と同じじゃん、というのは2022年以後、よくわかるなあ。結局「戦争」じゃん。

 戦争への大義名分として

大東亜共栄圏
八紘一宇

とかあったわけだけど、例えば大東亜共栄圏は「日本の指導のもと」というめちゃ上から目線だったし、ある意味、日本の上層部の建前でしかなかった。

 ただし、下っ端の人たちはこれらの大義名分を信じて「狭い日本にゃ住み飽きた」と満州はじめ外地に散っていった人、勧めた人も多かったろうことは推測できる。

 例えば私のおじさんもその一人であり、満州の陸軍軍官学校の六期生で敗戦を迎え、その後、地獄絵図のような逃避行を経験している。

 また朝ドラ「あんぱん」の柳瀬暢(今田美桜)の戦前の行動のように。

 なお、著者はいろいろな国の戦争博物館・歴史博物館に行きまくり、その国の(その博物館では)過去の日本がどう見られているかを調査してきておられる。

 シンガポールでは日本兵が後ろ手に縛られた男の首を落とす動画が展示されている。

 インドネシアでは日本による強制労働の記憶。ただし、それ以前のオランダへのうらみが強い。ラブアン島の博物館には「サンダカン死の行進」の展示。

 タイでは対日抵抗の歴史。

 長春では「偽満洲国」という呼称。

 南京大虐殺記念館はまあ中国共産党のプロパガンダ施設と考えて良いけれど、しかし現在、実証主義的な動きも出てきいているとか。

 フィリピン。「許そう、だが忘れない」

 いずれにしても日本人が「若い世代だから知らないし、責任も無い」と単純に考えて外国に行くのは、いろいろまずいだろうな。

 私だったら、どこからが始まりと考えるだろう?

 やはり、1894年の日清戦争からか?

 しかし、このあたりの歴史に詳しくなく、また学びたいと思いますが、征韓論に続く細かい交渉から見ていく必要があるのかもしれません。

 よく、「日本は植民地にインフラを整備した。それが美点だ」のような意見がありますけれど、(国家間のことを個人間の関係に当てはめるのは不適切と言われますが)、

ピストルを片手に持ち、いつでも撃てるようにしてあるうえで「この事業をするのはあなたのためですよ」と言ってる姿が浮かんできて・・・

それは戦争状態と言っていいのではないかと思います。

posted by kingstone at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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