※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2026年05月15日

『HYOGO+ 私たちが大学で学ぶ理由(ワケ)』を見て



 神戸大学の

「学ぶ楽しみ発見プログラム」
Kobe University Program for Inclusion (KUPI)

についての NHK兵庫で放映された番組です。

 NHKone を見ることのできる方なら、1週間配信がありますね。

 特別支援学校高等部を出た人が学ぶ場が無いじゃないか、それって排除の1形態だよね、という考えからできた、みたいなことを言っておられました。

 ざっと見て、コンテンツとフォーマットとを分けて感想を書きます。

 コンテンツ(集まった時にやる課題や授業)については、「(自分たちでやる)新喜劇」とかいいだろうな、と思いました。様々な体を使ったワークショップみたいなものにしても、「気持ちいいな」と思ってくれたらいいよな。

 フォーマット(形式)を見てみます。

 まあ・・・たぶんこれがマジョリティーの人の「普通」。

 音声言語がほとんど。

 それで先生方もボランティアであろう学生さんも「それでいい」と思っておられるのかな。

 単に「映っていない」だけで、例えば修了式の式次第はそれぞれ手元にもってたり、毎回の「どういう授業をするか」「授業の流れ」などの紙もポケットの中に入ってたりするのかもしれませんが。

 髭のジャック(ジャック・ウォール 元TEACCHのディレクター)が内山登紀夫さんに言ったという「TEACCH はフォーマットについてのものなのだ。コンテンツではない」というの、私は本当だな、と思うのです。

 この KUPI に参加している方は特別支援学校では「知的に高い」とされ「音声言語で十分わかっている人たちなんだ。特に視覚的支援は必要無い」と思われている人たちでしょう。

 一番フューチャーされてた方。「中学部時代のトラウマ(友達とケンカした時にきつく叱られた)」、ということを述べてはり、また最後の感想のところで、あなたにとって大学とは、と問われて「小・中・高より強制が無くなった感じ。束縛がなくて解放があった」と述べられていました。

 特別支援学校でこれでいいのかな・・・

 この方の学校時代のしんどさの一端に視覚的支援が無かったことも大きく関係しているのじゃないかな、選択活動とかも少なかったということがあるのじゃないかな、と想像してしまいました。

 最後のほうでこの方は「小説家、脚本家になって世界中で人気者になって(でつまり、たくさん稼いで、ということでしょう)地元で KUPI みたいな活動をやりたい」とおっしゃってました。

 大学ということにこだわらず、いろんな所で、視覚的支援もつけて、こういう場がもたれたらな、と思いました。
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2026年05月08日

日本の電信網



 『高橋是清自伝』によると李鴻章との下関条約の交渉の時(1895年、明治28年)清本国と李鴻章との電信暗号は判明していたとあった。

 日本と外国との電信のやりとりはいつから可能になったか、『サイバースペースの地政学』によると

1871年 長崎・上海間に海底ケーブル敷設
1872年 長崎・ウラジオストク間に海底ケーブル敷設
1873年 長崎・上海間のケーブルが二重化



また東京からの電信網は?と思って Wikipedia を見てみるとテストケース、プレゼン用とか以外での実用としては

1870年にやっと東京・横浜間の電報が始まっている。
1873年 東京・長崎間がつながる(これで東京から海外へ通信が可能になる)
1890年(明治23年)頃 全国の県庁所在地が結ばれる

 急速には広がっているけれど、外国につながるより、県庁所在地を網羅するほうが時間がかかってたんだな。


(これは知らなかったのですが、交渉に来た李鴻章に対して、群衆にまぎれてピストルで狙撃し、重傷を負わせた、という事件があったのですね。何ていうことすんねん、と同時に、警備体制が甘かったんだな。この4年前にも大津事件が起こって、止められなかったわけだし。外国からの公式の客人にテロを実行させてしまい、傷を負わせたらいかんよなあ・・・)

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2026年05月07日

『高橋是清自伝』上塚司編





 序文を高橋是清さんご自身が書いており、日付が 1936年1月となっています。

 そして、その1月後、二・二六事件 によって殺されておられる・・・

 何か粛然とします。

 なぜこの本を読みたいと思ったのか。

1. テレビドラマ『いだてん』で、ショーケンが高橋是清を演じており、その中のセリフで誰かの言葉に対し「それは植民地を相手国に返してから言うことだ」と叱責するシーンがあり、「かっこいいなあ。本当にそんなことを言う人だったのだろうか?」


2. いわゆる世界恐慌に対するルーズベルト大統領の「ニューディール政策」よりも早く公共投資による不況脱出政策を行なった、というのはどう考えて、どうやったのだろうか?

という2点について知りたいな、という興味でした。

 まず 1. の点について。

 明治26(1893)年に是清翁は日本銀行西武支店長(馬関(下関)支店長)になっている。

 そこで九州の金融を支えていた。

 朝鮮半島では福沢諭吉などと関係の深い金玉均(キム・オッキュン)が明治維新を模範とした近代化を目指していた。しかし、閔氏政権妥当のクーデターに失敗し、上海で暗殺される。

 1894年 東学党の乱(甲午農民戦争)が起き、朝鮮王朝は清に救援を要請。日本も自国民保護を理由に(当時結んでいた条約に基づいて)朝鮮出兵。

 その時のことをこう言っておられます。

(前略)同時に当時帰朝中の大鳥全権公使は急遽帰任の途につき、六月五日に仁川に上陸直ちに我が陸戦隊に護衛せられて、威風堂々京城に進み、五カ条の改革案を懐ろにして、国王に謁し、その実行を迫った。そしてその諾(き)かれざるや直ちに兵を向けて景福宮に入り、閔氏以下の事大党をことごとく排斥して、大院君を国政総裁に迎え、断固として内政の根本改革を行った。

 明らかな武力を使った内政干渉をよしとする姿勢ですね。

 もちろん時代が違うし、当時の世界の帝国主義の流れの中で仕方がなかった面はあるのかもしれないけれど、「それは植民地を相手国に返してから言うことだ」とは言いそうにないですね・・・

追記
上のように思っていたら、犬養道子氏の回想の中で、子ども時代、たまたま犬養首相・高橋是清大蔵大臣・荒木陸軍大臣が激論している場にまぎれこんでしまい

荒木陸相は興奮した口調で、上海にあって「支那軍の大抵抗に遭っている皇軍」の援助のために、「一大軍隊を送り支那を一挙にこらしめるべきだ」と発言したというのである。道子氏は、「お祖父ちゃまはこの馬鹿に答える気にもならず黙っていた。そのとき高橋(是清)大蔵大臣が、大きな眼をギョロリと剝き大声をあげて陸軍大臣を叱咤した」と書いている。
高橋は、「君はまだ若い......波がひとつ来ただけで大変だ大変だと言う......支那の身になってみろ、満州かッさらわれて.......まずかッさらった満州を返すことが先決だよ。支那問題はここにおられる総理のナワ張りだ」と叱ったそうだ。「陸軍大臣は窮し、蒼白となり、陸軍省に帰って憤激をぶちまけた」とも書き、陸軍内部に「高橋、消すべし」の声があがり、それが昭和十一年の二・二六事件へとつながったというのである。

というのを聞いてしまったと。なお、元の記事で私は「ショーケンがこれを言うのを聞きたかった」と書いているから、ショーケンのセリフの中には無かったのかな? DVD を購入(配信でもいいのだけど・・・)して確認しなきゃいけないな・・・

しかし、「満州を返すことが先決」とおっしゃってたのに「朝鮮を返すことが先決」ということは言わなかったし、台湾もだし・・・

う〜〜む。

元記事



 また、疑問2 に関しては、1905年までの日露戦争のための外債募集の成功までしか語られておらず、大蔵大臣や首相時のことまでは語られていませんでした。

 残念・・・
 
 しかし、自伝(高橋氏が語ったことを上塚司氏がまとめていった)だから、まあ基本的には自慢話にはなるのだろうけど、めっちゃ波乱万丈の人生を送ってはる。

 幕末に肴屋の主人が侍女(じじょ)に手をつけた結果生まれ、しかしそこの正妻さんがよく面倒を見てあげ、その後、当時はよくあったのかもしれないけれど、仙台藩士の元に養子になり、一応身分は低いながらも士族となった。

1864年 12歳で、横浜でヘボンさんの妻について英語の修行。

 この時、吉原から出火し大火になり(東京の吉原?それとも横浜にもあった?)、ヘボンさんのところで学ぶことができなくなって銀行のボーイをし、実地や人について英語を学んで行く。

 しかしそこはならず者もいるようなところ。ネズミを焼いて食べたりしている。

 またラシャメンに悪いいたずらをしたりしている。そりゃ評判が悪くなる。

1867年 14歳でアメリカへ。餞別にもらったお金を行きの舟で全部飲んでしまう(14歳で!)。

 サンフランシスコで・・・ここで後から分かったが「奴隷」として売られる。(これ、一部、今の日本の技能実習生でも起こっていたのと同じような条件で働いていたのではなかったろうか)

 それでも実地で勉強を続けている。

 アメリカ滞在中に明治維新が起こり、「賊軍」になってしまう。

 日本に帰ってきたけれど、隠れ住んでいた。

 しかし森有礼に紹介してくれる人がいて、書生になり、大学南校(東大の前身)で学びに行ったら、いやお前が教えろとトントン拍子。

 ところが・・・

1870年(17歳) 友達の借金の支払いをしてやると「お礼だ」とその友達が借金を作るもととなった茶屋遊びに誘う。それが面白くてのめりこみ(17歳!!)お金を使い果たすは、悪評は立つわ、でクビに。

 しかし、その茶屋の一番の売れっ子芸者さんが世話をしてくれ、要するにヒモになったみたい。まあ、時間になると茶屋に迎えに行く、という仕事(?そうすることでいやな客に延長されるのを防ぐことができる)はやってはるが・・・

 というわけで、何というか周囲から愛される人だったんだろうな。

 で、その後も出世したり、ペルー銀山の事業に失敗したり。

 なおペルー銀山事業の失敗は自伝では強引に頼まれてしかたなく引き受けたみたい。というか、基本的に周囲から頼まれて仕事をしているというのがすごいな。

 なお、知的財産について初めてではないけれど、初期に法律を作るのにも尽力されている。


posted by kingstone at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年05月03日

「準ずる教育」と「合わせた指導」の定義と異同



 私は、特に養護学校に赴任して以後、「眼の前のお子さんを見て何をするか」を考えるほうで、学習指導要領?文部科学省通知?それなんやねん、という姿勢でした。

 でも、自分でやりたい授業を実現するためには、周囲と話し合うために、またえらい人(管理職や教育委員会や文部科学省の人たち)と話し合うためには、そういうのもすごく大切だと思うようになりました。

 とはいっても、自分の興味関心のある部分だけで、私の能力ではとてもじゃないけど、「全体」を知ってるわけじゃないですけど・・・

 で、ごくええ加減な解釈で言葉を使っていることも多いです。

 「準ずる教育」と「合わせた授業」もまったくもってええ加減にしか使っていなかった単語でした。

 で、 Gemini に尋ねてみました。

 まずプロンプト。

「準ずる教育」と「合わせた授業」の正式名称と、2つの異同。その法的根拠や文部科学省通知について教えてください。

 回答は
 ( )内は私のつぶやきもあり。

1. 正式名称と定義

準ずる教育(各教科の目標・内容を「準ずる」教育)

正式名称:
特別支援学校(小学部・中学部・高等部)学習指導要領における「小・中・高等学校の学習指導要領の内容に準ずる教育」

内容:
障害の状態が比較的軽く、小・中・高等学校で教える各教科の内容をそのまま、あるいは一部配慮して指導できる場合に行われます。例えば、視覚障害や聴覚障害の特別支援学校で、一般的な小学校と同じ算数や国語の教科書を使って進める授業がこれにあたります。

合わせた教育(各教科等を「合わせた」指導)

正式名称:
「各教科、道徳、外国語活動、特別活動及び自立活動の全部又は一部を合わせて行う指導」

内容:
知的障害を併せ持つ場合など、教科ごとの枠組みで教えるよりも、生活上の課題に関連付けて総合的に教える方が効果的な場合に行われる形態です。「生活単元学習」「日常生活の指導」「作業学習」などが代表的です。


2. 2つの異同(違いと共通点)

異なる点

比較項目準ずる教育合わせた教育
主な対象視覚・聴覚・肢体不自由・病弱(知的障害を含まない場合)知的障害のある児童生徒、または重複障害学級の児童生徒
教育課程の編成小・中・高の学習指導要領をベースにする児童生徒の生活上の課題や発達段階をベースにする
教科の区別各教科(国語、算数など)の境界が明確教科の枠を超えて統合されている(「生活」として実施など)
教科書文部科学省検定済教科書(一般の教科書)著作教科書(星本など)や、実態に合わせた教材

(なるほど。知的障害がある場合はすべて「合わせた教育」になるのか。「準ずる教育」では(知的障害を含まない場合)と書かれているのだから。最近、「情緒障害・自閉症学級」にはまったく知的障害(この場合の知的障害は、要するに「もの覚えの悪さ」くらいの意味しかないのじゃないかな)の無い自閉スペクトラム症のお子さんが入ってくる場合があることは聞いています。でもまだまだ例は少ないことと思います。
 特別支援学校にそんなお子さん入ってくるかな?また視覚・聴覚・肢体不自由・病弱などの障害でも各教科の授業をするにしても、様々な AAC 手段が必要になることでしょう。単純に一般の教科書が使えるわけがない・・・(例えば視力0 のお子さんに、あるいは腕・手指の動かないお子さんの前に紙の教科書を置いて「さあ◯◯ページを開いて」とはやらんやろ、という話。もちろん既に様々な手立てが開発されていることと思います。それでもフィッティングに時間はかかるだろうし、そんな簡単にはいかないはず。
 しかし、まじな話、「準ずる教育」って特別支援学級で特別支援学校の学習指導要領(自立活動を含む)根拠、くらいにしか思ってなかった。そして「準ずる教育」も「合わせた指導」もほとんど同じ意味だと思って使ってた(汗))


共通点
◯個別の指導計画に基づき、実態に応じた指導を行う点
◯児童生徒の可能性を最大限に伸ばすことを目的とする点


3. 法的根拠と文部科学省通知

これらの教育課程の編成については、主に学校教育法施行規則と学習指導要領に定められています。

法的根拠

学校教育法施行規則 第126条(小学部)、第135条(中学部)など:

特別支援学校の教育課程について、「特別の事情があるときは、文部科学大臣が別に定めるところにより、各教科、道徳、外国語活動、特別活動及び自立活動の全部又は一部を合わせて授業を行うことができる」と明記されており、これが「合わせた指導」の直接的な根拠です。

文部科学省通知・学習指導要領


ここで、障害の種類や程度に応じて「準ずる教育」を行うことや、知的障害者である児童生徒に対する「合わせた指導」の具体的な編成方針が示されています。

文科省通知「特別支援学校等における教育課程の編成・実施について」:

各学校が設置者の指針に基づき、児童生徒一人ひとりの「個別の教育支援計画」や「個別の指導計画」を反映させて教育課程を組むよう、具体的な運用の留意事項が通知されています。

まとめ

「準ずる」は、学ぶ「内容」の基準を一般の学校に合わせること。
「合わせた」は、学ぶ「形態」を教科の枠を超えて統合すること。
特に知的障害教育においては、後者の「合わせた指導(生単など)」が教育活動の中核を担うことになります。


第百二十六条

特別支援学校の小学部の教育課程は、国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、体育及び外国語の各教科、特別の教科である道徳、外国語活動、総合的な学習の時間、特別活動並びに自立活動によつて編成するものとする。

2 前項の規定にかかわらず、知的障害者である児童を教育する場合は、生活、国語、算数、音楽、図画工作及び体育の各教科、特別の教科である道徳、特別活動並びに自立活動によつて教育課程を編成するものとする。ただし、必要がある場合には、外国語活動を加えて教育課程を編成することができる。

(やはりキーワードとして「自立活動(自立課題学習ではないことに注意。ただし、大きな自立活動のくくり(集合)のほんの一部として自立課題学習は入っており、かつ人によってはたいへん重要になってきます)」が入ってますね。しかし、ここで私は「教科としての自立活動ではなく、全暮らしの背景として自立活動はある、ということを強く主張したいです)

(第百三十五条はいろんな条文にリンクが貼られているのですが、大事な点は「特別支援学校に準用する」特別支援学校の小学部、中学部及び高等部に準用する。」などとある点なのでしょうか)






posted by kingstone at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年05月01日

「不適切な身体接触」が無くなった例



 今、転居にあたって、とにかく断捨離しなくちゃならないので、印刷してあった資料を見返して捨てられるものは捨てています。

 で、見返していたら、記憶にはあったけれど、いったい誰がどこで発表されたのかわからない、というのが「おお、ここにあったのか」と掘り出されたりします。

 その中ですごく面白いな、と思った抄録や発表。

 2021年の行動分析学会での発表

「不適切な身体接触のある児童の家庭における支援の検討」
高津梓・田中翔大・奥田健次

 これ、もちろん他にもいろいろやっているとは思うのですが、「不適切な身体接触のある児童」に自分の部屋を作ってあげたら「不適切な身体接触」が無くなった、という話。

追記
 2021年の特殊教育学会の抄録にも、同じ事例と思われるものがありました。そこでは「家で帰宅後スケジュールを見せる」介入をしたことが書かれていました。行動分析学会の文になったものの中には書かれていなかったのじゃないかなあ。
 行動分析家の方の書かれたものには、視覚的支援をしたことが、書かれていなかったり、本当にサラッと書かれていたりで、あまり重要視されていないのかなあ、と思うことがよくあります。
 ペアレント・トレーニングでも「環境を整える」として、サラッと出てくるだけのことが多いし・・・
 「当たり前のことすぎて書かない」とかだろうか?まだまだだと思うのですが。


 また 2022年の行動分析学会の発表では

「知的障害児が一定時間一人で過ごすための環境設定」
高津梓・鴨原初穂・奥田健次

では特別支援学校で、パーテーションで区切った個別スペースを作り、それぞれの自立課題や遊べるものを用意する。初回のみ誰の場所かわかるように写真を掲示し、タイマーをかけて、「20分自分の席で過ごしていてください」と教示。

 で、できることの種類を増やしたりしていった。

 これで何が起こったかというと、「不適切な身体接触」が無くなった。

 もちろん、「部屋を作った」「マイスペース(自分の席)を作った」だけではなく、日常で様々なことをされているとは思いますが、非常に興味深い発表でした。

(ネットで読める論文になってたらいいのにな・・・)
posted by kingstone at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする