※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年03月31日

ユニチャーム様からのメール 勝手に紙オムツプロジェクト28

 ユニチャーム様よりメールが来ました。

 すでに3月14日に丁寧なお返事のメールは頂いています。

 今日になって、またその後の報告をして下さったわけです。どれだけ頑張ってはるか、というのがよくわかります。これは公開してもいいでしょう。
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御連絡ありがとうございます。

ユニ・チャームでは行政・業界を通じて被災地に
紙おむつ・生理用品を含む支援物資を送付しております。

ユニ・チャームも皆様の支援のお気持ちと同じ考えで、
被災地の皆様の支援をしていきます。
現在支援物資も大変混乱している状況ですので、
皆様に代わって商品を現地へお届けさせて頂きたいと考えております。

被災地への支援状況ですが、3月15日現地着の物資を皮切りに
3月30日までに子供用紙おむつ・生理用品を含む支援物資を
約340万枚を現地に直接支援をしています。

今後も継続した支援活動をしていきますので、何卒宜しくお願い致します。



2011年03月29日

紙オムツの提供の申し出を受け手配した 勝手に紙オムツプロジェクト27

 本日、ある方が当ブログのコメント欄にて紙オムツ(スーパーBIG)の提供を申し出て下さいました。間違ったサイズを買ってしまったので、ということです。(すでにコメントして下さった方の申し出で削除させて頂いています)

 肢体不自由特別支援学校に電話をかけさせて頂きました。出て下さった方は、私の送ったメールかFAXを覚えていて下さいました。

 ご迷惑でなければお送りしたい、と言うと、送って下さい、とのことでした。

 その学校に物が集中して送られたらまずいので校名は書きませんが。

 いろいろたいへんな状況であるようです。また年度終わり、年度始めに重なり事務量もはんぱでないことが推察されます。お邪魔にならないように活動していきたいと思います。

 私にできることは、ほんの少しのことです。


 

3月29日の宅配便・郵便の状況 勝手に紙オムツプロジェクト26

 3月29日(火)18時頃の状況。

ヤマト運輸様

平成23年3月29日(火) 13:00現在 「宅急便」のサービス取り扱い状況について

「3月30日(水)より、宮城県の全域で集荷・配達をいたします。」

 すごい。一応全県とも集配可能になっています。その中で一部地域は営業所止めという感じ。

佐川急便様

3月29日 0時00分更新 東北地方太平洋沖地震の影響について

 こちらも全県集荷・配達OKで、一部地域が営業所止め。

日本郵政様

東北地方太平洋沖地震の影響について(3/27 18:00現在)

 こちらも全県集荷・配達OKで一部地域が郵便局止め。



2011年03月27日

関西広域連合が被災者の分散移転で名乗りを挙げる

 いささか旧聞ですが。3月19日。つまり1週間以上前のニュースです。

関西広域連合2万人超、被災者受け入れ西日本で拡大

 この記事によると兵庫県は宮城県からの避難者を受け入れるとのこと。

 阪神・淡路大震災の時も被災地から移転し岡山などで暮らすことを選ばれた方もいらっしゃいます。

 地元を離れるのはいろいろつらいこともあるかと思いますが、よいおもてなしができたら、と思います。

2011年03月26日

特別支援学校を避難所とすること

 こんな記事がありました。

避難所行けず、食料も薬もない…=自閉症の子持つ家庭孤立−東日本大震災

 状況は目に浮かびます。

 阪神・淡路大震災のおり知的障害特別支援学校である兵庫県立神戸養護学校では、家庭訪問などで実態を知った現場教師の提案によって1月27日(震災から11日目)から「学校開放(学校再開はまだだったが施設を開放する)」「施設内臨時分教室(避難所に分教室を開設)」の取り組みを始めました。これはまあ学校施設の被害が軽微だったからできた、という側面もあります。確かガス・水道・電気は止まらなかったんじゃないかと思います。

 学校再開は1月31日(震災から15日目)です。

 肢体不自由特別支援学校である神戸市立垂水養護学校は震災直後から一般の方の避難所になっていました。また肢体不自由児・者のための避難所も開設されました。直接の運営にあたったのは作業所の施設職員やボランティアの方です。教師は連絡係として1名が日替わりで担当したくらいです。時間の空いた教師は避難所に遊びに行ったり、マッサージをしに行ったりしてあげました。

 やはり肢体不自由特別支援学校は、トイレの設備、中の移動のしやすさ、また床にしくマットなど、いろいろ揃っているので肢体不自由障害のある人には過ごしやすいですから。

 日付はちょっと記録がありあません。しかし市中心部の小学校などよりは一般の避難所は早く必要が無くなりました。肢体不自由児・者用の避難所としては140日間ほどだったような記憶があるのですが。何かそんな冊子を作業所の方が作ったような記憶があります。いや、そんなに長期間では無かったかな??

 まあ上記両校は比較的被害が少なかったからできただけかもしれません。現在の東北各地は教師自身も、また施設自身も大きな被害を受けている可能性があります。でもまあできる学校があるなら、できるだけ利用できる体制に持って行けたらいいのじゃないかな、と思います。