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「負けないぞ!ニッポン
1人はみんなのために、みんなは一人のために
『北の鉄人』たちが復興へスクラム
被災したラグビーの町・釜石」
リード
「大震災の大津波はラグビータウンの岩手県釜石市ものみ込んだ。だが、7年連続日本一に輝いた新日鉄釜石が母体のクラプチーム‐1釜石シーウェイブス」の選手たちは、外国人まで地元にとどまり被災者を助けている。「釜石を元気にするためなら何でもする」と。(敬称略)
ノンフィクションライター松瀬学」
「寒い春である。日中でもまだ氷点下。震災発生から2週間たったJR釜石駅近くの救援物資テントでは、一般のボランティアに交じって、10人程の屈強な男が丸太のような腕で20kgの米袋を手渡しでつないでいた。
「ほら、パス、パス」
ひとりの外国人のかけ声に従い、楕円球を投げるように米袋がテンポよくトラックに運び込まれる。ペットボトル、灯油、ガスボンベの段ボール箱、なんでもござれだ。時折笑顔もこぼれる。
釜石市災害対策本部のボランティア担当当者が漏らす。
「みんな力持ちで穎りになる。どんな時でも、彼らは釜石の誇りですJ
"彼ら"かとはラグビーのクラブチーム「釜石シーウェイブス」の選手たちだ。
チームの前身は7年連続日本一を達成し「北の鉄人」と呼ばれた新日鉄釜石。釜石ラグビーといえば、今でも全国のオールドファンの心のよりどころである。
その鉄人の後輩たちが、震災発生直後からボランティアとして町の復旧作業を手伝っている。
かけ声をかけていた、トンガ生まれでニュージーランド国籍の主将、ピタ・アラティニ(35)は、無精ひげの伸びた顔をほころばして、こう語った。
「お世話になった釜石に恩返しをしたい。クライストチャーチの地震では多くの日本人が助けに来てくれた。今度は僕たちの番だ」
アラティニは元ニュージーランド代表の名選手。2004年に来日し、釜石に移って6年目になる。
震災発生の時、自宅のアパートで遅いランチを食べていた。大きな揺れに驚き外へ飛び出すと、溶鉱炉が爆発したような轟音とともに釜石港のほうから黄色い土煙が上がり始めた。
「いつもより強い地震だな、と思った。でも海からは遠いところにいたので、これはどの被害を想像しなかった。何人かの友だちも町も津波で消えた」」
「往年の名フランカーとして7連覇に貢献した釜石ラグビー協会会長の佐野正文さん(享年63)も、津波にのまれて亡くなった。」
「震災後は、選手の妻や子どもを含め50〜60人がクラブハウスで共同生活することになった。各人か自宅から食べ物を持ち寄り、余震の恐怖に耐えた。
電気やガスはむろん使えない。夜になると、選手たちはクラブハウスに止めた軽自動車で眠り、家族はろうそくの灯りを頼りに、20畳ほどのミーティング室で肩を寄せ合った。
震災発生の日は奇しくもアラティニの誕生日だった。夜、集まったメンバーでたき火を囲み、小声でハッピーバースデーを歌った。
「逆境の時こそ希望を失ってはいけない。忘れられない誕生日になった」(アラティニ)
数日後、ニュージーランドやオーストラリアの大使館スタッフか黒色のバンで救助に駆け付けてきた。
アラティニは妻と2人の子どもを車に乗せ、自分は釜石に残ると言い張った。
「だって、ラグビーは『ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン(一人はみんなのために、みんなは一人のために)』でしょ」
オーストラリア出身のスコット・ファーデイー(26)も居残りを志願した。困った大使館員が携帯電話を差し出すと、電話口に出たのはシドニーにいる母親だった。早く帰っておいで、という母親に息子はこう答えた。
「釜石はホームタウンと一緒なんだ。帰ったら、たぶん、ずっと後悔する」
結局、体調を崩した妻に同行する1人を除く外国人5選手が釜石にとどまった。」
「釜石シーウェイブスは地域一体型のチームで、年間8千万円ほどの運営費の半分余りは新日鉄、残りは地元のファンや法人サポーターが支援してきた。
チームは地域と共に生きている。ガスが復旧すると炊き出しをし、クラブハウスの風呂場を被災者に開放した。グラウンドは救援ヘリの発着場になった。
「うちのチームも捨てたもんじやない。不安をみじんも表に出さず、地域のためにできることは全部やろうとしている。みんなハートが熱い」(仲上)
シーウェイブスがクラブチーム化してちょうど10年。かつての名門も現在はトップリーグ下部のトップイーストで苦闘している。
壊滅的な打撃を受けた釜石の復興の道のりは長く、険しい。だが、新日鉄は早々とチームの支援続行を決め、外国人選手ら12人のブロ選手との契約延長を打ち出した。チームが町の支えになると考えているからだ。
春は基礎練習や身体づくりなどチームの基盤を築く大事な時期だが、4月中は復旧作業のボランティア活動に専念し、5月からチーム練習を始める計画だ。」
「「正直、まだラグビーどころじゃない。でも、ハンディを背負いながらひたむきに頑張るのが釜石ラグビーだ。僕らはへこたれない。粘り強さがあれば、町も必ず再生できる。みんなで笑える日がきっと来る」」
新日鉄釜石ラグビー部 全日本連続優勝
1977 第14回 新日鉄釜石 27-12 早大
1979 第16回 新日鉄釜石 24-0 日体大
1980 第17回 新日鉄釜石 32-6 明大
1981 第18回 新日鉄釜石 10-3 同志社大
1982 第19回 新日鉄釜石 30-14 明大
1983 第20回 新日鉄釜石 21-8 同志社大
1984 第21回 新日鉄釜石 35-10 同志社大
1985 第22回 新日鉄釜石 31-17 同志社大
ラベル:ラグビー 東日本大震災