2011年12月15日発行
たまたま「返却図書」の中にあったのを見つけて借りて来ました。
中の記事は、2011年5月23日から9月30日に「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されたものと、書きおろしというか、対談おろしもあるんじゃないかな。
クロネコヤマトのこと。
本当に他社もだと思うけど、この私のブログの「勝手に紙オムツプロジェクト・東日本大震災」のエントリでも日々、クロネコヤマトが被災状況に対応していった様子を少しは記録しています。
しかしクロネコの寄付金を「無税」にしてもらえるように財務省と交渉した話もすごい。
また「救援物資輸送協力隊」を作り、いろんなところで滞留している支援物資をヤマトのロジスティクスの専門家を派遣し、流れるようにする仕組みも作ってはります。これは気仙沼市が混乱しているというのを見るに見かねて提案したところから始まっているとか。そら普通の公務員、そんな物流やったことないもん。
阪神・淡路大震災の時でもいろんなことがありました。
「1995年1月31日から2月6日までの物資の流れなど」
この時、私の相手をした公務員さん、ほんまに「叫んで」はりましたから。
物はどんどんたまるんだけど、それを流すノウハウはない。そして、バッタ屋とかがすきあらばとねらっている・・・で公務員さんはなんやかんやで疲れきっている・・・
そしてヤマトさんは他の行政にも働きかけられます。一度に出た人数で最大は180とのことですが、500人体制を組んでいたので、まだ300の余裕があったとか。で、そんな中でも「現場の指揮命令権は手放したくない」とのこと(というか、公務員は正義で民間は悪、民間の指揮命令下には入れない、という思いは強いと思います。そーゆー話じゃないんだけど、そう考えてしまう。それは私も公務員だったのでよくわかります)で、助けてもらわなかったところもたくさんあったとか。
で、気仙沼では「ヤマトにまかせる」と決まったとたん、自衛隊の人たちがヤマトの指揮下に入って動いて下さったとか。
東北の仕事論の章
ここは「セキュリテ被災地応援ファンド」から支援を受けて、商売を存続させていこう、という人たちを取材しています。
そのひとつに気仙沼の「斉吉商店」の「金のさんま」とか食べたくなるよな・・・
それから陸前高田の醤油醸造業「八木澤商店」の河野社長の言葉。
「歴史ある建物だとか、微生物をコントロールしてきた木桶だとか、『あぐらをかけるもの』がなくなっただけ。幸い、微生物は守れました」
って、リアル「もやしもん」の世界やん。
また河野さんの近所に国連のWFP(国連世界食料計画)がテントを張るというので「その中で商売していい?」って聞いたら相手は「基本的には、物資を保管する基地です」で「ただ、建てたあとは知りませんけど」と回答して下さったとか。ええなあ。「大人の回答」やなあ。
NHKの方との対談もあります。NHKからはお二人。そのお一人はTwitterのアカウント、NHK_PRさん。
この方です。
NHKのUSTREAM個人放送許可と中井久夫さんの阪神・淡路大震災の時の言葉
この時の「あとで責任は取ります」という言葉、そしていつものオヤジギャグでかなりの年の方だろうと思っていたのですが、阪神・淡路を実家で体験している(つまり学生あるいは児童・生徒だった)ということで、かなりお若い方なのだな、と思いました。
最後の新潮社編集部の糸井さんへのインタビューでは何ヶ所か親鸞が引用されています。というか歎異抄ですけど。
「面々の御はからい」「人は奇縁がなければ人を殺さない」「人を殺した人自身が悪いんじゃなくて、人を殺すという奇縁があったから人を殺したんだ。たまたまあなたにはそういう奇縁が無かったから、人を殺さなかっただけなんだ」
そうやな。ほんまにそうやな。これは「それを選ぶにいたった事情」というところで述べられていますが、「原発再稼働」にどういう態度を取るか、被災地に残るか避難するか、そのあたりの「選ぶにいたった事情」これはそれぞれにあるもんや、っちゅうことですね。
私は、今のところ「人殺し」はしていないけど、なんかいろんなところで「人を怒鳴って」はいる。
まあ、それも「奇縁」ということでお許し下さい。
なお、とにかく瞬間瞬間に判断して動いてはるから、まあ「あれ、それやばいんじゃね」ってのもありますが、まあそれはそれ。