私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年08月24日

できることをしようーぼくらが震災後に考えたことー 糸井重里・ほぼ日刊イトイ新聞



 2011年12月15日発行

 たまたま「返却図書」の中にあったのを見つけて借りて来ました。

 中の記事は、2011年5月23日から9月30日に「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載されたものと、書きおろしというか、対談おろしもあるんじゃないかな。

 クロネコヤマトのこと。
 本当に他社もだと思うけど、この私のブログの「勝手に紙オムツプロジェクト・東日本大震災」のエントリでも日々、クロネコヤマトが被災状況に対応していった様子を少しは記録しています。

 しかしクロネコの寄付金を「無税」にしてもらえるように財務省と交渉した話もすごい。

 また「救援物資輸送協力隊」を作り、いろんなところで滞留している支援物資をヤマトのロジスティクスの専門家を派遣し、流れるようにする仕組みも作ってはります。これは気仙沼市が混乱しているというのを見るに見かねて提案したところから始まっているとか。そら普通の公務員、そんな物流やったことないもん。

 阪神・淡路大震災の時でもいろんなことがありました。
「1995年1月31日から2月6日までの物資の流れなど」

 この時、私の相手をした公務員さん、ほんまに「叫んで」はりましたから。
 物はどんどんたまるんだけど、それを流すノウハウはない。そして、バッタ屋とかがすきあらばとねらっている・・・で公務員さんはなんやかんやで疲れきっている・・・

 そしてヤマトさんは他の行政にも働きかけられます。一度に出た人数で最大は180とのことですが、500人体制を組んでいたので、まだ300の余裕があったとか。で、そんな中でも「現場の指揮命令権は手放したくない」とのこと(というか、公務員は正義で民間は悪、民間の指揮命令下には入れない、という思いは強いと思います。そーゆー話じゃないんだけど、そう考えてしまう。それは私も公務員だったのでよくわかります)で、助けてもらわなかったところもたくさんあったとか。

 で、気仙沼では「ヤマトにまかせる」と決まったとたん、自衛隊の人たちがヤマトの指揮下に入って動いて下さったとか。

 東北の仕事論の章

 ここは「セキュリテ被災地応援ファンド」から支援を受けて、商売を存続させていこう、という人たちを取材しています。

 そのひとつに気仙沼の「斉吉商店」「金のさんま」とか食べたくなるよな・・・
 
 それから陸前高田の醤油醸造業「八木澤商店」の河野社長の言葉。

「歴史ある建物だとか、微生物をコントロールしてきた木桶だとか、『あぐらをかけるもの』がなくなっただけ。幸い、微生物は守れました」


って、リアル「もやしもん」の世界やん。



 また河野さんの近所に国連のWFP(国連世界食料計画)がテントを張るというので「その中で商売していい?」って聞いたら相手は「基本的には、物資を保管する基地です」で「ただ、建てたあとは知りませんけど」と回答して下さったとか。ええなあ。「大人の回答」やなあ。

 NHKの方との対談もあります。NHKからはお二人。そのお一人はTwitterのアカウント、NHK_PRさん。
 この方です。

NHKのUSTREAM個人放送許可と中井久夫さんの阪神・淡路大震災の時の言葉

 この時の「あとで責任は取ります」という言葉、そしていつものオヤジギャグでかなりの年の方だろうと思っていたのですが、阪神・淡路を実家で体験している(つまり学生あるいは児童・生徒だった)ということで、かなりお若い方なのだな、と思いました。

 最後の新潮社編集部の糸井さんへのインタビューでは何ヶ所か親鸞が引用されています。というか歎異抄ですけど。

「面々の御はからい」「人は奇縁がなければ人を殺さない」「人を殺した人自身が悪いんじゃなくて、人を殺すという奇縁があったから人を殺したんだ。たまたまあなたにはそういう奇縁が無かったから、人を殺さなかっただけなんだ」


 そうやな。ほんまにそうやな。これは「それを選ぶにいたった事情」というところで述べられていますが、「原発再稼働」にどういう態度を取るか、被災地に残るか避難するか、そのあたりの「選ぶにいたった事情」これはそれぞれにあるもんや、っちゅうことですね。

 私は、今のところ「人殺し」はしていないけど、なんかいろんなところで「人を怒鳴って」はいる。
 まあ、それも「奇縁」ということでお許し下さい。

 なお、とにかく瞬間瞬間に判断して動いてはるから、まあ「あれ、それやばいんじゃね」ってのもありますが、まあそれはそれ。

2011年08月17日

がまん基準としての暫定規制値

FOCOMってサイト

松永和紀さんて方のエントリ

がまん基準としての暫定規制値

 もうそろそろ、国や自治体などの職員は、「暫定規制値以下であれば安全」と言うのを止めたらどうか?

というご意見。確かに「安全」と言うと「嘘」になりかねん。「安全かどうか科学的に証明できるのか?」って問われたら「できない」というしかないこと多いよな。

 で東都生協が提唱した

「がまん基準」

という考え方を紹介している。確かに放射線のリスクは「無い」に越したことはないのだけど、そうとばかりも言ってられないこともあるし。

 ただ、こういう基準を取り入れると、輸入国は農作物を買ってくれなくなったり、日本人でも買わなかったりするかな・・・

 原発に近い地域でも「私はもう年だから」と避難せずに暮らしてはるお年寄りもおられるということだけど、それはそれで「その方としては」正しいような気もするし・・・ただ農作物だと売れないと困るなあ。

 「オートバイに乗る時にはヘルメットを被る」っていうのとどうなんだろう。「こけない自信」「事故らない自信」があっても事故は起こるもんだと思う。その時に本人にとってだけでなく、社会にとってもこのルールのおかげでコストが安くついてる、ってことはあるのかな。う〜〜ん。


2011年05月21日

たぶん生まれて初めての募金

 今日はラグビーの試合を見て来ました。

 会場入口では東日本大震災の支援の募金をしていました。

 阪神淡路の時に兵庫県高体連ラグビー部に義援金を送ってもらったことに感謝し、東北高体連ラグビー部代表に送るものだ、とのことです。会場入口に写真のように長机を出して募金していました。しかし、ここのグランドは観客は会場に入ってはいけないのかな?という構造になっていて人があまり入ってこず、あんまり募金してなかったような・・・

P1010242.JPG

 そしたら彼らはたぶん「指示されて」ではなく「自分たちで考えて」観客席にやって来ました。で「募金お願いします」と声を出していました。たぶんまだ誰も動いてなかったと思うのですが、私、箱を持っていたほうの生徒を呼び止め、生まれて初めて募金をしました。私にとってはちょっと痛い額。そしたらその後、次々と観客の方から声がかかって募金が集まってました。

 ほんま被災地の生徒・学生がラグビーができたらいいな、と思います。

釜石を灯す ラグビーマガジン6月号より

2011年05月17日

釜石シーウェイブス 59-17 関東学院大

釜石シーウェイブス、震災後初の対外試合に快勝

 YOMIURI ONRINE から

 釜石シーウェイブス 59-17 関東学院大

 シーウェイブスはトップリーグに入っていないのだけど、それでもこれだけ離して勝つ・・・
 社会人って強いのね・・・

釜石を灯す ラグビーマガジン6月号より

2011年05月16日

校長名の礼状が届いた 勝手に紙オムツプロジェクト

紙オムツの提供の申し出を受け手配した 勝手に紙オムツプロジェクト27

で、紙オムツを送ることを仲介したのですが、被災地の肢体不自由特別支援学校から校長名でのお礼状が届きました。文面は「多くの人」に出したものでなくピンポイントに私向けであることがわかります。学校新聞も同封して下さっていました。

 ありがたいことです。

 たぶん担当の係(?)の先生が手配して下さったものと思われます。(もちろん校長先生が手ずから書かれた可能性もあります)

 お忙しいのに大丈夫かな、と心配ですがそれこそお疲れを出さないように頑張って頂きたいと思います。