※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年01月17日

1995年1月17日(火曜日)朝1

 1995年1月17日(火曜日)朝

 突然の音で目が醒めました。

 真っ暗な中、水平線の向こうから何かがやってくるような音。ゴーッと、ものすごく広く波が覆い被さってくるような音。いったい何だ、何だ、という感じ。ただ寝て聞いていました。

 その音が大きくなると、ガタンゴトンとそこらじゅうが動き出しました。揺れた、という感じではなく、動いた、という感じ。ものすごい音もしていました。

 正直なところ私は、「第三次世界大戦だ!核ミサイルで攻撃されたんだ!(いったいどこからやねん?何でそんなこと思ったんだろう)いや世界の終わりか!」と思いました。

 で、ガタンという大きな音とともに右肩に痛み。180cmほどのタンスが倒れて来たのでした。長男は私の肩で止まったタンスと布団の間の空間にいて何ごともなく眠っていました。どのくらいの時間揺れていたのかはわかりません。妻が

「動かれへん!動かれへん!」

と叫んでいました。私は、とりあえず起きあがり
両手でタンスを持ち上げ、妻と長男を助け出しました。
・・・

 次男のほうを見ると、(と言っても明かりは無かった)そちらは上下2段のタンスの上段が、次男の数cm横に落ちてきていました。おかげで危うく長男も次男も無傷ですみました。

 この話をするたびに親戚からは「亡くなったお父さんが守ってくれたんやなあ」と言われました。

 家の中は電灯の破片が散らばっており、素足では歩けない状態でした。たぶん室内は(ふだんは素足ですが)スリッパを履いて移動したと思います。

 別の部屋で眠っていた母は、当時リューマチでもう体が動きにくくなってきていましたが、咄嗟に家中の開口部を開けてまわってました。そんなことは私は気がつかないぞ。

 家族を安全そうな台所に避難させ、表に出てみました。まだ暗かったです。隣近所で玄関のところに人が出て来て立っていました。その人たちに

「何があったんでしょう?」

と尋ねましたが、みんな首を振って沈黙していました。



posted by kingstone at 18:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1995年1月16日(月曜日)

 1995年1月16日(月曜日)

 この頃は1月15日が成人の日で、月曜日が振り替え休日。

 この日は家族で(3歳長男・6カ月次男)を連れてデパートに行きました。

 デパートの中の喫茶コーナーでお茶などを頼みました。3歳の息子は食品見本を見て、チョコレートパフェみたいなものを頼みました。それを全部平らげた後で「お腹が痛い」と言い出します。それはチョコレートパフェではなく、アイスコーヒーの上に生クリームやアイスクリームののったものだったのです。

 帰宅後も長男はゲーゲー嘔吐します。これは長時間続きました。そこで、眠る時、枕元に洗面器を置き、私と妻の間に長男を寝かせる形で川の字になり、次男は私たちの足もとの位置に寝かせました。私は左肩を下にし右肩を上に横向きになり、いつもより長男に近い位置で長男に右手を置くようにして眠りました。

 過去ログを読んでいたら、次男が何故か1日中泣きやまない、ということもあったみたいです。



posted by kingstone at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1995年1月15日(日曜日)

 1995年1月15日(日曜日)

 この日はパソコン通信の障害児教育フォーラムの人に声をかけて音楽オフというのをやりました。これは、障害のあるお子さんがいると音楽会への参加は、声や行動で周囲に迷惑がかかったらと思うとしにくい、という声があったので、じゃあそういうものを気にしなくていい音楽会をやろうよ、ついでにみんな素人の演奏や歌の自慢しようよ、という趣旨で開かれたものです。確か、その時が3回目くらい。

 この時の会場は、義弟の家。義弟の家には狭いんですけど、スタジオがあり、また小さいけれど観客席みたいな部分もあるのでやっちゃおうと。

 たまたま私が本屋さんにいたら、全盲の人が店員さんに本について質問され、それについて私が知っていたので話したところから仲良くなった方がピアノを弾いて下さったりもしました。

 たぶん、みんなおおいに楽しめたと思います。東京から来た友人(って月子チャンの死に神さんですけど)が、「ここまで来たんだから泊まっていこうかな」と言ってましたが「やっぱり仕事があるし帰ろう」と言って帰って行きました。そのままいたら震災に巻き込まれていた可能性がありました。

posted by kingstone at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

震災のこと

 阪神・淡路大震災の体験は書かないでおこうと思っていました。他のエントリで、いろいろやばいことも書いてるし、身バレの危険は無茶苦茶高くなるし・・・

 でも考えたら、私の過去の思い出(威嚇と暴力のこととか)に反論とかしたい方は、なんぼでも反論していいんだし、私にはそれにおつき合いする時間はある。逆に、反論したいと思われる人々は地位も名誉もあり、私に反論することは危険だし(いろいろばれて・・・)、私には失う物は無いのだった。

 ってことで、思い出を少しずつ書いてみたいと思います。

posted by kingstone at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする