読書メモ
2012年に京都の相国寺(臨済宗相国寺派)で行われた
「第15回教化活動委員会研修会」
での4回の連続講演をまとめたものを再編集したもの。
なお、相国寺は佐藤優さんの出身大学同志社の北側に隣接してあります。
キリスト教大学(牧師も育てている)と禅宗のお寺が隣り合ってあるわけです。
ヤン・フス(1370頃ー1415。ボヘミア。チェコスロバキア)の頃はカトリックに女性の教皇がいたと信じられていた。9世紀、イギリス出身のアグネス(ヨハンナ)。(伝説の域)
近代科学と魔術と宗教について。
それから、最初のご質問の政治と宗教に関して言えば、日本人の宗教観は基本的に魔術的です。これは、神道の影響だと思います。ただし、実は魔術というのは近代科学と一緒です。たとえば丑の刻参り。丑の刻にわら人形と五寸釘を持っていく。最近は、通信販売で売っています。のろいのわら人形セットとか。それを持って、手続きに従って毎日同じ時間に行ってお百度を踏んでやれば、必ずのろいが実現する。これは近代科学と同じ考え方です。科学の実験というのは、だれがやっても同じ結果になるわけですから。
ところが、そうではない出来事があります。それが超越性です。
なるほどなあ。「手続きに従ってもできないことがある」こっちの考え方が宗教的と思っていたけど、宗教的な考え方でも「手続きに従っていればかなう」というのもあるのか・・・
しかしまあ人間の努力(手続き)によっても神様のきまぐれで結果はどう転ぶかわからない、という考え方も神道にもありそうだけど。
グロスマン著「人生と運命」(みすず書房)は、「収容所群島」を抜くくらい面白い。
佐藤さんが研究しているチェコスロバキアのフロマートカのいまわのきわに弟子に言った言葉。
「(私は命令したことは無かったが・・・)今回は命令である。(中略)いかなる困難があろうとも西側に亡命してはならない。同じ事柄を同じ時期に語る場合でも、チェコスロバキアの中で発言するのと西側で発言するのとでは、その意味は全く異なる。私たちは祖国にとどまることによって、すなわち民衆と苦難を共有することにおいてのみ、イエス・キリストの真実をあきらかにすることができるのだ」
ニコライ・フョードロフ(ロシア・19世紀終わり頃)
本が読めるから図書館のカード係になり、給料は若い学生に
みんな配ってしまった。彼のもとにトルストイやドスエフスキー
が教えを請いに来た。また宇宙移住について考え、
それがツィオルコフスキー(ロケットの父)に影響を与えた。
「『救済』として殺す」はキリスト教にもある。例。ルターのドイツ農民戦争の時の言葉。
ニューギニアの狩猟採集の民が定住しない理由。
1.排泄物
2.死体
なるほど。どちらも「感染症」などの危険もあるし、また2の方はそれ以外のインパクトもある。
で、佐藤さんは何度も「葬式仏教と揶揄するのは間違っている」ということを述べられているけど、ほんま、平安・鎌倉の頃遁世僧がやっと行き倒れた貧しい人を弔ってくれたんだよね。それってすごく大事なことだったに違いない、と思う。
アメリカで小さな政府を主張したレーガンやブッシュ(父)の頭には政府が小さくてもコミュニティが助けてくれる、ということがあっただろうけど、実際はコミュニティの力が低下していて思うようにはいかなかった、とのこと。
確かに、私も小さなキリスト教教会に通っていたことがあるのだけど、コミュニティを作ろうとしてはるな、というのはよくわかったもんな。そういう相互扶助の場が機能しているなら、政府が出張る場面は少なくてすむだろう。
しかし、宮古島は8000人の人口で生活保護の不正受給などはない、つまり顔の見える範囲だと、相互扶助が機能しやすい、ってことなんだけど、その生活が息苦しいと思う人もいるだろうな。といって都市の無縁社会がいいってわけでもなく・・・(しかしそれが楽だ、と感じる人もいるだろうし・・・うむむ)