「教えること、裏切られること」
この題名そのものが、ちょっとしんどいか。
「裏切られる」というのは師が弟子に対し「何かを期待」するから「裏切られる」という言い方になるのだけど、弟子のほうは「そういう期待に応えます」とか言ってたって例は少ないのじゃないかな。
で、そういう場合なら、勝手に「期待」する師の方がダメじゃん、と思ってしまう。
師弟関係ってそんなもんじゃないと思うのだけど。
山折氏の「師以前の師」
服部之総(はっとりしそう)「親鸞ノート」
「蓮如」
「黒船前後」
市川白弦(いちかわはくげん)「仏教における戦争体験」
一休に関する研究
師弟の人間関係の3つのモデル
1.老子 そもそも弟子がいない
2.孔子 いろいろ教え、就職斡旋活動もする
3.禅 祖と会えば祖を殺し、師と会えば師を殺す
とか言いながら、禅も現実世界では殺さないよなあ・・・一休さんも謙翁宗為(けんおうそうい)は看取っているし、まあ華叟宗曇(かそうそうどん)が印可状を与えようとした時は辞退したからちょっとそれっぽい。
ここに出てきた師弟関係
藤井日達と弟子たち
内村鑑三と斉藤宗次郎
斉藤宗次郎は宮沢賢治とも交流があった。花巻小学校の訓導
となるが、キリスト教に入信したので馘になる(!?)。そ
の後、内村鑑三の勧めで新聞屋さんを始め、配りながらアメ
を子どもたちに配り「ヤソ ハゲアタマ ヤソ ハリツケ」
とはやしたてられていたが、やがて「名物買うなら花巻おこし
新聞とるなら斉藤先生」といわれるようになる。
夏目漱石と和辻哲郎
柳田国男と折口信夫
柳田は折口の「翁」については何も触れず、また折口は柳田
の「童子」については何も触れなかった。って、ちょっと怖
いなあ・・・
柳宗悦と棟方志功
しかし、この場合、棟方志功を売り出すのに柳宗悦が一役買
った、ということで、別に「師」って感じじゃないんじゃな
いか??
正岡子規と高浜虚子
法然と親鸞(そして他の弟子たち「一念義」「多年義」「西山」etc.)
親鸞と唯円
麻原彰晃と弟子たち
明全と道元
如浄と道元
道元と永平寺の僧
「正法眼蔵」は道元の思想というか説法みたいなもの
「日本国越前永平寺知事清規」は生活や組織づくりのマニュアル
後年になるほど、前者が少なく後者をたくさん書くようになる。
キリストとペテロ(3度裏切る。12使徒として分割相続)
キリストとユダ(1度裏切る。全面的に相続しようとした(?))
シャカとアーナンダー(3度ボケル。10大弟子として分割相続)
シャカ入滅の時、アーナンダーに「もっと生きた方がいいかなあ」
みたいな問いをしたけど、アーナンダーは質問の意図がわからず
答えなかったので、シャカは入滅した、と。しかし、それはいい
ことかもしれない。
posted by kingstone at 19:54|
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