この画像を貼り付けようとして、これは kindle 版ですが、紙のほうでは金額が2倍に達しようかというのがずらずら出てきました。
2025年2月25日に出たばかりの本なのですが・・・
それで売れると転売ヤーさんが思ってる?
つかみがすごくいいな。
著者がミャンマーの上座部仏教の寺タータナ寺院で出家者として托鉢に出た時。いつも布施をしてくれる老婆がぬかるんでいる道に跪いてただ礼拝しているだけだった(つまり食べるものも無かった)。そのことを師僧に相談すると
「出家者としてやるべきことは、あのおばあさんの肩を抱いてあげることではない。自分の背中を通して、世俗的な幸せとは違う、超俗的な幸せを示してあげなければいけない」
僧が律を守り、出家修行をすることこそが、在家の人々の幸せにつながる、という考え方。
そして、その対極(?)にあるのが、同じくミャンマーのダバワ瞑想センター。ここには病に倒れた人、薬物依存者、ホームレスその他その他の人がボランティアとともに過ごす。ボランティアは「善行」という原理にそって行動する。また瞑想もおおいに勧められる。
真言律宗の僧侶でかつ武道家であった松波龍源師が、蔵元龍介さんとも話し合い、檀家を持たない実験的な寺として始めたのが寳幢寺(ほうどうじ)
いずれの寺も檀家は持たず布施で運営されている。そのあたりが題名にある『経営』ということに関わってくる。
まずミャンマーの上座部仏教では律をしっかり守れば出家者は「お金に触れてもいけない」それを解決する手段として「浄人」という在家者が金銭を管理するシステムがある。
そしてこの「律をしっかり守る」というのは人間が生きていれば本来矛盾するというか、葛藤するものであり、古代インドでも仏滅100年頃に十事論争が起き、撤廃緩和を求める修正派と、律不可侵の原則を主張する保守派の論争の中で
修正派→大衆部→大乗仏教
保守派→上座部
保守派→上座部
に分裂した(根本分裂)ということらしい。
ところでもともとのミャンマー仏教ではかつては葬儀は行わない。遺体も埋めたり焼いたりはあるけれど、何かそれっきりだったみたい。これは輪廻転生するから古い体には意味は無い、ということだろうか?
しかし、だんだん葬儀もされるようになり、1990年頃からの葬儀費用の高騰を受けて葬儀支援協会ができた、と。
日本では資料としてわかっているのは、貴族以外では、平安時代に空也が野原に打ち捨てられていた死骸を集めては1か所に集め、油を注いで焼き、阿彌陀佛の名を唱えて回向していたということだけど。
で、鎌倉時代の曹洞宗あたりから葬儀の形がしっかりできてきた、というのを読んだことがあります。私などは「葬式仏教」と揶揄されることはあるけれど、葬儀や回向ってのは大事だと思うのだけどね。
またミャンマーでは社会福祉も低調だったのが、福祉ブームが起こってきた、と。その中で出てきたのがダバワ瞑想センターのような福祉に力を入れる仏教組織なのかな。(そして仏教ナショナリズムも高揚し、ロヒンギャ問題がクローズアップされる)
寺院経営については、ミャンマーの2寺とも在家組織が運営・管理していて、やる気になれば住職も罷免できる。これは日本でも「檀家組織」があるけれど、実質は寺の中で全てやっているな。
なお寳幢寺では「日本仏教徒協会」というのを作って、そこが運営していく形をとっているが、まだ道半ばであるらしい。
発足当時に「布施」だけでやっていこうとしたら、大赤字でえらいこっちゃ状態。説法の会をしても10人、1万円集まれば良いところで、中には「檸檬」が1個入っていたこともあったとか。
しかし似たような名前の団体がいっぱいある。
全日本仏教会は既成仏教宗派の大同団結した老舗みたい。
日本仏教協会は千原せいじが得度したところだけど、なんかよくわからない・・・
で、ミャンマーの福祉と言えば、岸田奈美さんの
記事は2019年に書かれているが、写真のキャプションには 2016年11月とある。
にも、この話は「ミャンマーで、オカンがぬすまれた」という題で載ってます。
この頃って民政の年代だな。
によると
1948年〜1962年議会制民主主義期
(1958年〜1962年軍事クーデター)
1962年〜1988年社会主義的軍事政権
(1988年軍事クーデター)
1988年〜2011年直接軍事政権
2011年〜2021年民政移管
(2016年スーチー政権発足)
(2021年軍事クーデター)
2021年〜現在直接軍事政権
(1958年〜1962年軍事クーデター)
1962年〜1988年社会主義的軍事政権
(1988年軍事クーデター)
1988年〜2011年直接軍事政権
2011年〜2021年民政移管
(2016年スーチー政権発足)
(2021年軍事クーデター)
2021年〜現在直接軍事政権
となっている。
岸田さんが行かれたのは、民政の時代だな。
基本的にミャンマーの僧(仏教)は律に関心があり、政治にはあまり関心がなかったのだけど
「僧侶がデモをしたので、僧衣の色から「サフラン革命」とも呼ばれる」
この時、日本人ジャーナリストも射殺されている。
なんだかんだありながら、岸田さんが行かれた時代は「自由」ではあったのだろうな。
私も、「行きつけの寺」があれば良いな、とは思っているのですが・・・





