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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2017年11月19日

映画「地の塩 山室軍平」



映画「地の塩 山室軍平」


 京都の、近鉄東寺駅を降りてすぐのところにある、京都みなみ会館まで、映画「地の塩 山室軍平」を見に行って来ました。

 京都 みなみ会館
みなみ.JPG



 もう「大げさな芝居がかり」「キチガイ」「とっても変な人」(悪口じゃない。褒めてる)です。まあ実際の人物像とはまた違うかもしれませんが、十分納得できます。

 映画そのものは、短いエピソードの連続でトントンと進んでいきます。



Wikipedia から引用して簡単に説明すると

山室軍平(1872年 - 1940年)は日本の宗教家。説教者。日本人初の救世軍士官(=牧師)で日本人初の日本軍国司令官(「日本軍国初代司令官」ではない)。最終階級は中将[4][5]。岡山県阿哲郡哲多町(現在の新見市)生まれ。石井十次、アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。

 パンフレットには賀川豊彦と一緒に写った写真もありました。
 賀川さんも伝道を始めた時、「キチガイ」と言われてたもんな。



 でもって、アッシジの聖フランシスコだってそんな方だったのだろうと思う。


 山室さんは、岡山の山間部に生まれ、家が貧しくて(しかし、映画の中では結構大きな家に住んでいたが・・・これは藁葺きの家などで残っているのは、かつて裕福だった家しか残ってないだろうから、必然的に大きな家になってしまうのかな)、質屋の叔父さんのところに養子に出される。

 しかし14歳で「もっと勉強がしたい」と家出して東京に行き、活版工となる。そういうことができた時代なんや・・・今、中二か中三で家出して、身元保証人も無く、定職につき、また私塾みたいなものだろうけれど、夜、勉強に行けるって、すごいことだな。

 そこで教会に行き始め、もっと学びたいと1889年に同志社に入る。最晩年の新島襄(1890年死去)の講義も聞いていた。しかしお金が無く、本科には行けないなあ、と思っていたら友人である吉田清太郎が自分の入学金・学費を山室のために流用してくれた。

 で、吉田は食費も無くなり、死んだ猫(生きてるのを殺したんじゃないからね!)を持ち帰り、鍋にして食べたりしていた。

 ホームページに吉田さんは「松山では松山女学校の経営危機を再三にわたって救い」とあるから、その後は実業でも活躍されたのかな。後年、彼も救世軍に入る。

 しかし、いろんな人が(山室も)、誰かのためにその時手持ちのお金(多い少ないはある。小銭のみしか財布に入っていないとか)を他人のためにポンと出す様子が描写されます。まあ、当時でも珍しいことではあったと思いますが。

 同志社では、当時、近代科学の発展の影響がキリスト教にも及び、聖書を客観的に検討しようとする自由主義神学(これもリベラルと呼ぶそう)の影響が大きくなり1894年に山室さんは同志社を去ったそう。映画の中では「ダーウィンが・・・」とかいう会話がされていた。しかし・・・ダーウィンは科学的でもこのあたりで会話されていたのは、社会的ダーウィニズムじゃないかなあ。全然科学的ではなさそうな・・・

 まあ、私自身、聖書の「奇跡」をそのまま信じるメンタリティはなく、例えば「山上の垂訓」で5つのパンがたくさんの聴衆に行き渡ったというのは、映画の中で山室と、売り飛ばされそうになったのを助けられた娘が、おにぎりを分け合ったシーンのようなものじゃないか、と思ってしまうほうではあるけど。

 とにかく山室さんは「そんな議論より実践を」というタイプだったわけね。

 これは、今でも研究者と実践家との違いとして出てくるものかもしれない。

 同志社を去った後、高梁の教会での伝道や、岡山の石井十次の孤児救済運動を手伝ったりしてたのが、石井が「救世軍(The Salvation Army)というのがイギリスから来たから一度見て来てくれないか」とお願いされ、行ってみたらぴったり合って、熱心に参加するようになり、初の日本人士官となられたと。

 なお、救世軍は町に出て、太鼓、金管楽器、歌などで伝道するので、「法華と耶蘇のあいのこ」と周囲からは呼ばれていたとのこと。

 映画のエピソードで集会の時、下足番をしているとこに旧知の友人が気づき「なんで君が下足番なんてやってるんだ?」と尋ねるシーンがあった。セリフは忘れたけど「神のために喜んでやってるよ」みたいな話。これって『典座教訓』と同じだよね。

 なお、山室さんのやった仕事の主なものの一覧がパンフレットにあった。

著述・出版:「ときのこゑ」編集、「平民の福音」、「社会廓清論丿他多数
自由廃娼運動と女性支援:醜業婦救済所(東京婦人ホーム)、女中寄宿舎、生業資金
失業労働対策事業
犯罪者更生社会復帰支援:出獄人救済所(救世軍労作館)、希望館(軽犯罪者の復帰施設大阪)
医療保険事業:救世軍病院、結核療養所
貧窮者事業:歳末慈善鍋
災害支援事業:東北凶作地子女救護運動関東大震災への支援
セツルメント事業:大学殖民館、社会殖民部、部落解放運動、愛隣館
相談事業:身の上相談事業
児童虐待防止運動▷1933児童虐待防止法へ「芥種寮」開設

すげえ。
やってることの範囲が広い・・・

 で、奥様も同士として活動されてたみたい。
 しかし・・・士族の娘になるんだけど、明治時代、恋愛で結婚するってのは周囲からはものすごく変なことと思われたかもしれないな。(それこそ貧しい庶民はその限りにあらずだったみたいだけど)









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2017年10月01日

仏像に恋して 真船きょうこ著




真船きょうこさんの著書

 上のは文庫ですが、私は新人物往来社のA5版の本を買いました。
 こういうエッセイ漫画は大きい版のほうがいいっすよね。
 西原理恵子さんの本で痛感してます。

またネットでほとんど無料で見ることもできるみたい。



 この本、読んで、興福寺の阿修羅像って、特別な時だけでなくいつ行っても見ることができるのか、とか、六波羅蜜寺に行って空也上人像見たいなあ(昔、京都であった仏像展で見たことはある)、とかいろいろ思いました。

 あと、園城寺を作り天台宗中興の祖となった円珍さんって、とんがり頭(ビリケン頭)してたんだな、とか知ることができたのも良かった。

 ガンダムおたくの彼氏とは結婚されたのかな?
 気にかかる・・・

 ブログの「あけましておめでとうございます」というエントリにのってる年賀状にはご夫婦の顔が描かれてますが・・・






posted by kingstone at 19:21| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月12日

佐藤優さん、神は本当に存在するのですか? 竹内久美子×佐藤優



リチャード・ドーキンスの著書「神は妄想である」が話題の最初に


Wikipedia
利己的遺伝子(the selfish gene)生命の本質は自己複製をすることだ



Wikipedia


アメリカで創造論者との戦いの中で生まれてきた概念

ドーキンスはこれを「神は妄想である」の中で批判的に紹介してるそう。(ドーキンスからは、日和った、と見えるってことかな)


佐藤さんのお母さん 戦前からの沖縄の方で敗戦の時、14歳で手榴弾を渡され、死ぬ気でいた。しかし周囲の人から親族への遺品を託され生き延び、戦後キリスト教(カルヴァン派)の洗礼を受けた。

佐藤さんのお父さん もともとの母方の先祖に臨済宗の僧侶。妻に連れられていろいろな教会へ行ってみたが、どうしても浄土真宗と同じような他力本願を感じて入信するに至らなかった。


キリスト教のターゲットは女性だったという話

 確か、イエス無き後の原始キリスト教団が広がっていったのは、夫の死後の未亡人に生活の保障がされていたから、という話はどこかで読んだ。相互扶助ですね。宗教ってのはコミュニティを守ろうとするものだと思うけど、コミュニティにとって相互扶助は大事だもんな。

竹内 あ、女性が布教のターゲットだったからなんですね!
   いつの時代もそうですね。というかキリスト教団も
   しょせんは穴場狙いだったのかな。
佐藤 ユダヤ教は母系社会だけれども、母権社会ではなかった。
   イエスが現れるまでの社会では、女性は極めて不利な
   状況に置かれていたわけで、男は離縁状を書けば女を
   つまみ出すことができた。女になんの落ち度がなくて
   もね。対して女からは、男に不貞がないかぎりは離縁
   することができなかった。それではあまりに女が不利
   だからと、イエスは男の姦通の罪に「淫らな目で見た
   だけで不貞」と付け加えたわけです。
竹内 でも、何をもって淫らに見てるかって、いくらでも難癖
   をつけられますよね?
佐藤 冤罪でも何でもありです。男の姦通は厳しく、女の姦通
   は緩くなっている?これがキリスト教の特徴です。
   ただし、イエスのそういう考え方に対して、使徒パウロ
   はどちらかというと守旧派、つまりユダヤ教に近い傾向が
   ある。
竹内 イエスは女にやさしかった。いいマーケットだから。
   それに対してパウロは、従来どおり、女は一歩下がって
   いろと。
佐藤 そう。男性への布教は、すでにほぼ飽和状態でしたからね。
   だって布教の要諦は、今まで手付かずだった層にまで拡
   げることなんだから。
竹内 それでイエスは娼婦とか最下層の人たちとか、いわゆる
   底辺の人まで受け入れた。
佐藤「ツァーラハトの谷」に送られて社会から排除された人
   びととも、イエスは普通にコミュニケーションを取り
   ました。
竹内 重い皮膚病の人というのがそれですね。でも、そんな
   ふうに信者の層をひろげて、うまくいったのかな?
佐藤 効果はあったんですよ。イエスが十字架にかかった
   ときも女性陣は逃げなかったもの。
   男はみんな逃げたからね。

 なるほど。
 イエスは女性にやさしかったけど、パウロが元の男尊女卑に戻しちゃったっと。

 なお、パウロは中村うさぎ説によるとユダヤ人共同体(もともとの原始キリスト教団の人々もユダヤ人共同体)にいられなくなるようなとんでもないことをしでかしたのではないか、だから外国に行くしか無かったのでは、という・・・
 こういうのはありそう。


 科学との関係で言うと、カトリシズムと正教は科学も魔術も否定する。(確かにハリー・ポッターも非難してたな)モダンを認めないプレモダンな立場。

 対してプロテスタントは科学を認めていたのだが、第一次世界大戦から第二次大戦によってモダニズムがボロボロになるのと同時にプロテスタンティズムもボロボロになってしまった。

 で、よくニーバーの祈りで引用するラインホルト・ニーバーはアメリカで大きな存在。

 海賊船の例え。「海賊船の中で一生懸命働く人間はいい人間か?」(それまでのアメリカ人の考え方で一生懸命働く人間はとにかくいい人という評価だった。
 しかし、(というか「それで」かな?)光の子、闇の子という考えを出し、ナチは闇の子であるとして戦うことを正当化し、次はコミュニズムを闇の子とし、戦うことを正当化するのに力があった。

「農業は人類の原罪である」コリン・タッジ著


農業によって人口増加→増加した人口を食べさせるために耕地面積を広げる→人口が増える(この繰り返し)
そしていつも一定数の飢えた人が出る

チンパンジーはレインダンスをする(ただし雨乞いではなく、雨が降ってきたぞ、というダンス)

 ヨブ記のヨブは試練を与えられるが「神様のお考えがあってのことだ」と考える。私はそこまでは知っていたけれど、友人が「何か神様に悪いことをしてるから謝罪したほうがいい」と勧めても「悪いことはしていないから謝罪はしない」と決して謝罪はしなかったと。

 へえ、神を恨まないが、謝罪もしない、なるほど。


 オキシトシンについて。

 オキシトシンは報酬系のホルモン。
 セックスでもオルガスムスに達するとオキシトシンが出てくる・・・
 ほほお、それは知らなかった。

 しかし、オキシトシンは相手を信頼しすぎる、お人よしになる、という問題もある。


 竹内さんから

浮気と子どもの数の関係

 イギリスのロビン・メーカーとマーク・ベリスのアンケート
 イギリス人女性に質問した。
「一番最近のセックスの相手はパートナーでしたか、それとも浮気相手でしたか」

・年代が上がるにつれて浮気の確率が急上昇した。
・「浮気した時に子どもが何人いたか」
  子どもなし 1桁台
  1人     1桁台
  2人    10%
  3人    16%
  4人以上  31%


イタリア パドヴァ大学のアンドレア・カンペリオ=キアーニらの研究
男性同性愛者と男性異性愛者の家族を含む合計4600人以上に対する家系調査

男性同性愛者の母系(母親、祖母、おばさんたち)の出生率(2.69)は、男性異性愛者のそれ(2.32)をうわまわった。
つまり一族全体としては遺伝子の保存という意味ではバランスが取れている。



 あれ?
 で、結局、神様の問題はどうなったんだっけ?
 地動説で、神が「天」にいる、ということができなくなって困った、だからプロテスタントは心の中にいることにした、というのは頭に残っている。


posted by kingstone at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月03日

酒井しょうこと辿る聖フランチェスコの足跡




 酒井しょうこさんが聖フランチェスコの足跡を辿り、文を書き、渡辺信光さんが撮影された写真とを、いろいろ構成・編集されてできた本。

 私も行きたいなあ・・・

 ジョットの描いた「鳥への説教」

鳥1.jpg

 Wikipediaの記事を見ると、「ジョットが大聖堂のフレスコ画を手がけたかどうかについて学者の間でも大きく意見が分かれている」ってことですね。でも、チマブーエって人と一緒に行ってたかもしれない、と。

 この次に見開きに「鳥への説教」をしたと言われる場所の写真があります。

鳥2.jpg

 森の中かと想像していたのですが、畑か草原のようですね。

 でも、ほんと、鳥への説教、ってなんかほのぼのしていい話かと思うけど、

聖者フランチェスコの物語

によれば、"「厳格派(清貧と信仰)」と「穏健派(管理が必要)」の対立は生まれていた。フランチェスコはそういう「対立」が嫌で、山にこもったりした。小鳥に説教した、というのはその時代。"ということで、ほんと、そういうのが嫌でフランチェスコは修道院から逃げだして、鳥たちへ説教してたんじゃないかという・・・結構つらい話かもしれない。

 でも、今も、この本にあるような聖フランチェスコの足跡を辿れるのは、「穏健派(管理が必要)」の人たちの力があってのことだもんな・・・

 「厳格派(清貧と信仰)」の人たちだけだったら、歴史の闇の中に埋没して、何も残っていないかもしれない・・・

「アッシジのフランチェスコ」を読む


posted by kingstone at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仁義なきキリスト教史 架神恭介著




 ずーーと前から気になってた本ですが、今日、三宮に出たのでジュンク堂で買って来ました。
 宗教関係の棚って動きはどうなんだろうと思うけれど、見る度に置いてある場所が変わってました。
 いろいろ書架の整理、してはんねんなあ。
 最初に見つけた時は、私の胸のあたりの高さにあったのですが、だんだん上の方になってて、今日はちょっと書架を登って(やっていいのか・・・)取り出しました。

 ヤクザの抗争に見立てて、話言葉は広島弁で書かれています。
 でも・・・実際十字軍とか、もろヤクザ抗争そのままやわな・・・

 知ったこと。

 イエスのいた当時、エルサレムのユダヤ教には、サドカイ派、パリサイ派、エッセネ派などがあり、サドカイ派が最有力だった。(後世に広がっているのはパリサイ派)

 イエス死後、ペテロたちが教会(集団)を作ったわけだけど、ヘブライ派(アムル語が母語で書き言葉としてはヘブライ語。土着派?)とヘレニスト派(ギリシャ語が母語。書き言葉としてはラテン語になるのかな?国際派)との確執が起きた。

 最初は

「おやっさん・・・おやっさん・・・なんでワシを見捨てたんじゃあ!」

というセリフから始まります。

 最初の2章でイエスの死までいっちゃうんですけど、「罪なき物、まず石を投げよ」のエピソードが無いのは残念。

ユダヤ教の過越祭(すぎこしのまつり)の由来を初めて知りました。

ユダヤ人がエジプトで迫害されていた頃、Wikipediaから引用すれば神エホバ(ヤーフェ)がモーゼに

「エジプトに対して十の災いを臨ませる。その十番目の災いは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というものであった。神は、戸口に印のない家にその災いを臨ませる」

で、本当に殺していったわけ。そして「うちはユダヤ人です」という印(血で赤く塗る)をつけていた家は殺人者は「過ぎ越し」て行ってくれたので良かったね、という・・・・
こわーー

なお、最後の晩餐でイエスが
パンを「これは私の体」
ぶどう酒を「これは私の血」
と言って配ったことが、ローマで
「あいつら(キリスト教徒)は教会で人肉を食ってやがる」
という噂になって攻撃される、ということになった。

また信徒同士で「兄弟・姉妹」と呼びあうから
「あいつら近親相姦しまくってる」
という噂になって攻撃される、という・・・

それからイエスの死後、初期教会(?)ができたわけですが、その特徴は
   ・入る時に財産を拠出する
   ・未亡人には生活扶助が出る
という相互扶助制度のあるところだったと。

なるほど。イスラム教もそうだし、大きく広がる宗教(教団)って基本的に「相互扶助」があるのかも。仏教はどうだろう?

割礼など、一部のユダヤ教の習俗を「しなくていい」と言いだしたのはパウロで、初期教会の人たちは(もともとユダヤ教の人たちだし)怒ったけれど、それが世界的な広がりの原因になったと。(そりゃ教義に魅力を感じても、「入るなら皮を切れ」と言われたら躊躇するよな)

11世紀頃まで司祭でも妻を持つのは当たり前であったみたい。

グレゴリウス7世
   「カノッサの屈辱」の時の教皇。
シモニア
   聖職者の地位を買うこと
ニコライスム
   聖職者の妻帯。
   これは例えば教会財産を自分の子に相続させることにつながる。
俗人叙任
   世俗権力者が聖職者を任命する
    司祭・・・村レベル
    司教・・・都市レベル
    の封建領主と同じような力を持つ
   そもそも十分の一税により、お金が入ってくる
   仕組みができあがっていたので、収益をあげる
   財産としてみられていた
   「カノッサの屈辱」も聖職者に自分の都合のいい
   者を選ぼう(叙任しよう)とするハインリヒ4世と、
   それをさせまいとするグレゴリウス7世との戦い。
   (叙任権闘争)

1122年 ウォルムス協約(ヴォルムス協約)

第4回十字軍

Wikipediaによると

「ローマ教皇インノケンティウス3世の呼びかけにより実施。エルサレムではなくイスラムの本拠地エジプト攻略を目ざす。しかし渡航費にも事欠くありさまで、十字軍の輸送を請け負ったヴェネツィアの意向を受けて輸送料の不足分支払のためハンガリーのザラ(現クロアチアのザダル)を攻略、同じキリスト教(カトリック)国を攻撃したことで教皇から破門される。ついで東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを征服、この際十字軍側によるコンスタンティノポリス市民の虐殺や掠奪が行われた。」

 なお、ザラはカトリック(キリスト教)国だし、当時のコンスタンティノポリスはギリシア正教会(キリスト教)国ということで・・・この人たち、無茶苦茶や・・・

 で、騎士たちは自分の武具・食料・渡航費も自腹で、渡航を請け負ったヴェネツィアがもくろんだ人数より集まって来た騎士が少ないから、お金(渡航費)が足りなくなり(人数が少ないと一人あたりの渡航費が上がり、しかしそんなもの払えるわけがない)、渡航費がなくなり・・・とか全部、金、金、金・・・・

 まあ、そういうことやろな・・・

ルターの宗教改革

免罪符は免償符と言ったほうが良いというのが著者の意見。
なるほど、罪は免ぜられるわけじゃなく、罪は償うんだけどその償いをしなくていい、というお札なわけね。
構図としては

罪→告解で解決。しかし償いは必要

償い
   ・祈り
   ・巡礼
   ・隣人への奉仕
   ・十字軍への参加
   ・献金(免償符を買うことも含む)

お金を入れる箱が作ってあって、そこにお金を入れる音がチャリンとすればいいという・・・まるっきりお賽銭と同じなわけで、著者も免償符自体はそう悪いものでもないのでは、という意見を書いてはる。

まあでもルターは、聖書やヤーフェへの信仰へ立ち返れ、と言いたいわけで・・・

でもカトリック教会にはマリア像とかがあったりするけど、プロテスタントの教会にはいっさい無い(偶像崇拝の禁止ってことだと思う)。実はルターは当時あったマリア像とかを認めないというのはなかったみたいなのだけど、一緒に活動していた若いもん、カールシュタットが学生などとともに壊してまわったとのこと。この時はルターがのりだして、カールシュタットを追放した。

なお著者によるとルターの考え方は
「Aさんの信仰が立派だから、神がAさんを認めてくれる」
ではなく
「神が勝手にAさんを義とするので、そんな神をAさんは信頼する」
なのだそう。

このあたり、親鸞上人の言ってはることに近そう。

1545年 カトリック最大の自浄努力。「トリエント公会議」




posted by kingstone at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする