※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年05月30日

愛子さま記事(週刊文春6/3号)

見出し
「雅子さまと愛子さま「母子密着」20人の証言」

引用開始
「4月に初等科3年生となられた愛子さまですが、通学には必ず妃殿下が付き添われています。1時限目から来られることはまずなく、最近では、9時半から11時の間に登校されて、12時45分ごろまでに帰るパターンが定着してます」(皇室担当記者)
引用終了

 とりあえずは登校できている様子。良かった。(いいところを見つけないと)

引用開始
「実は、いまでも愛子さまは、雅子さまとごいっしょでないと『学校に行きたくない』とおっしゃっているそうです。やはりいじめのトラウマは拭いがたいようですね。
 暴れん坊の児童たちは、ある時、愛子さまの目の前で、母である雅子妃について『仮病の税金ドロボー!』と暴言を吐いたといいます。これに強いショックを受けられた愛子さまは『学校に行きたくない』とか、『もうやめたい』とたびたび口にされているのです。何より、雅子さまの姿が見えないと、愛子さまの表情が明らかに強張ってしまうと言います」(宮内庁関係者)
引用終了

 まず「いじめ」と簡単に言ってしまうのはいかんやろな。もちろん「いじめ」はされた本人の気持ちが大事ではあるのですが。しかし外から見ていて「いじめ」と言われる行動が観察されないことだってあるわけです。「トラウマ」という言葉も簡単に出してほしくないな。なんか「わかった気」になる。

 特に「いじめ」と見られる行動が無くても「学校に行きたくない」と思ってしまう場合はあります。

 しかし「仮病の税金ドロボー」発言・・・本当だろうか。もしあったらつらいよなあ。

 小学3年生くらいの場合、「悪者づくり」をせず、かつ「そんなこと言ったら相手はこんなにいやな思いをするんだよ。こんなこと(聞いて気持ちいい発言)をお互い言い合えたら気持ちいいんだよ」と指導すれば言うことを聞いてくれるけどなあ。

 しかし学校で母親が子どもにはりつくのは母親にとってすごく負担になります。(子にとってもか?)

 愛子さまが雅子さまぬきでも安心できる空間はないだろうか。保健室とか。あるいは別室で思う存分相撲のことを調べたりまとめたりできる空間とか。

引用開始
 愛子さまの学校への拒否反応が余りにも強いため、この春には、一時は「転校」も視野に入ったが、「現実的でない」として断念された経緯もあったという。
引用終了

 早急に決める必要も無いだろうけど、常に視野に入れておく必要はあるでしょうね。あくまでも愛子さま中心に考えるべき。

 あと「学校行事もすべてご欠席されている」という記述もありますが、もちろん参加できたらいいだろうけど、参加できなくても構わない、というスタンスは必要ですね。学習院は「どうやったら参加できるか」を考えて欲しいけど。でもその努力の上で「参加しない」はあってもいいことで。(でも運動会の笑顔のお写真を思い出すと、いろんなことにのってこれそうなお子さんです)

引用開始
「春休み中の話し合いでは、学習院側は、両殿下に『問題の児童たちをきちんと指導します』と説明したそうですが、依然として暴言などは収まってないようです。
 またいじめ問題に関しては、当人同士で『ごめんね』という場面があって、次の段階へ進むのでしょうが、そういう場も今のところないといいます。波田野敬雄・学習院院長が、いまだにいじめの事実自体を否定しているので、不信感がますます募っているようです」(学習院関係者)
引用終了

 「暴言」「いじめ」については上に書いた通り。「ごめんね」わあ・・・「ごめんね」「ああいいよ」というやりとりを指導する教師も多いのですが、何か違う気がする。もちろん「悪いことをした」と思った時に謝れるのは大事。だけど「悪いことをした」と思ってない場合も多いわけで。過去の行動を非難するより、これからこうしたらいいんだよ、というのを教えてあげる方が大事だな。

引用開始
 皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏はこう指摘する。
「学習院側はこれ以上、この問題で何かをする気はない。愛子さまが登校できないのは、家庭でのしつけの問題が大きいと考えているからです。
引用終了

 出た!「しつけ」・・・まあ学習院が言っているのか、松崎氏が言っているのか、記者のバイアスで書いたのかはわかりませんが、「しつけ」の問題で無いことは確かです。

引用開始
 自身3人の子どもを初等科に通わせた家庭教育コンサルタントの山本紫苑氏はお二人の関係についてこう語る。
「先日のスキーのご様子を映像で拝見しても、雅子さまと愛子さまはずっと手を繋がれています。幼児教育の用語で「母子密着」という言葉があって、特にお子さんが小さいうちは、密着の快適さがあるものですが、成長されるに従って、第三者、つまりお友達といるほうが楽しいということをお教えしなければなりません」
引用終了

 「手をはなしていく必要」についてはもうみなさん十分承知で、しかしできないのだったらできないわけがある。そしてそれを解決していかないと。安心できる空間を用意するとか。また「友達といると楽しい」は教えるというより、単にそうであるだけで、中には「友達といると楽しくない」人もいることには想像を及ばしておくことは必要。もちろん愛子さまがどうかはわかりませんが。またカメラに囲まれた状況は不安をあおるのに十分な環境だと思うな。

 スキーの映像は私も一部見ましたけど「ずっと手を繋がれ」てはいなかったけど。

引用開始
 学習院OGの池坊保子衆議院議員はこう話す。
「妃殿下が授業までご覧になって、愛子さまのクラスメイトも初めて『あ、特別な人なんだ』と実感したのではないでしょうか。同級生から敬遠されるようなことにならないといいのですが・・・・。愛子さまの問題であるだけでなく、妃殿下がお子様からお離れになることができない面もあるのではないかと心配です」
引用終了

 まあいろんな意味でひとりひとりの特性を周囲が知ることは大事なことです。両親の仕事も特性のうちに入るかも。それを「敬遠される」方向に持って行かないためには担任の指導が必要です。また環境を整えることも。

 子どもから離れることはたぶんどの親も思っていること。それができない状態になっているのだから、いろんな意味で環境を整えなきゃ。

 ふ〜〜、批判のための批判、単なる批評になってないよね。代案も出しているつもりなのだけど。(って、私が言ってもしかたないことか・・・)










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2010年05月03日

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式でのスピーチ

スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳)

 上にも動画があります。
 大きな動画本体を持ってこようとしたら、禁止タグがあって、持って来れなかった。

 里子制度が機能しているのですね。





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2010年03月31日

愛子さま記事(週刊朝日4/9号)

見出し

「春休み”スキー満喫”愛子さま
 心配事は新学期「クラス替え」」

引用開始
 だが、学習院関係者は笑いながら首を振る。
「他の子どもより頭ひとつ背丈の大きい愛子さまは、むしろ活発ですよ。
 ふざけ合うときなど逆に、男の子の頭を後ろから腕で挟むほどだとか」
 そして、子どもたちの間で起こる「やった」「やっていない」の類の
話を「乱暴な行為」と騒ぎ立てるのは行き過ぎだ、と話すのだ。
「学校側は結局、活発な男児とは別のクラスに編成したようです」(同)
引用終了

 クラス編成をあれこれ考えることは基本ではあると思います。

 また「本当」のことをマスコミに話す必要は全然ありません。

 しかし同じことを繰り返しますが「宮内庁」「学習院」が「正確な情報」
を「情報共有」していて初めてOKになる話です。

 たぶん愛子さまにはおおげさな「配慮」や「方法」は必要ないはず。
 でも少しばかりの「配慮」や「方法」は必要なはず。
 それで個性が輝くはず。
 それは他の子も同様。
posted by kingstone at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

愛子さま記事(週刊朝日4/2号)

大見出し

「待望の皇太子さまのお言葉を読む」

リード部分
引用開始
 東宮サイドが3月5日に火をつけた愛子さまの欠席騒動は、「乱暴行為を
行った男児」が犯罪者のように扱われるという悲劇を生んだ。次代の天皇、
皇后となる皇太子ご夫妻からようやくお言葉が出されたのは19日。だがそ
こには、学習院児童らへの配慮の文言はなかった−
引用終了

 皇太子さまが言わなきゃいかんのか?

引用開始
 さる宮内庁関係者は言う。
「皇族が謝罪するわけにもいかないのでしょう。しかし、ほかの表現はなか
 ったのかと思います」
「お世継ぎ」の著書がある評論家の八幡和郎さんは、
「愛子内親王はあくまで被害者であるという強いメッセージ」と読み解く。
「皇族という以前に、子どもを持つ普通の親として考えても、疑問の残る対
 応です。自分の子どもを一方的な被害者と主張するばかりというのは、ど
 うなのでしょうか」
引用終了

 東宮と皇太子さまは分けて考えるべきものと思います。

 「子どもを持つ普通の親」として自分の子のことを一番に考えるのは当然
のことです。で別に皇太子さまは「一方的な被害者」とはどこでも言ってお
られないと思います。謝罪すべきは東宮です。大人の組織なんやから。

 また親は間違うことがあっても当然です。

 先の大戦について一部で言われるような「君側の奸が悪くて天皇陛下は悪
く無い」というようなことを言いたいのじゃありません。

 間違いはあっていいのです。

引用開始
 この日は、もともと皇太子さまが応神天皇ご事績について、両陛下と一緒
にご進講を受けていた。その後、雅子さまがひとりで昼食に合流するはずだ
った。だが、愛子さまが自分も一緒にと希望したという。
「祭祀に関するご進講後の昼食ですから、未成年の愛子内親王殿下がご一緒
 されるのは、過去、例がないといってもいい。愛子親王殿下がいらっしゃ
 る場では、両陛下と両殿下も学習院の件をお話ししづらかったのではない
 でしょうか」(宮内庁関係者)
 −犠牲が出ることがないように。そう発信した両陛下だったが、果たして
皇太子ご夫妻とじっくり話し合えたのだろうあ。
引用終了

 記者もどれだけ微妙でそういう場で話しづらいことだと、想像がつかない
のか!皇太子さまに正確な情報があったとしても。(ない可能性のほうが高
いと思います)

引用開始
「特別視されるという点では俳優や大企業の社長の子どもも同様です。皇太
 子ご夫妻は愛子さまを一般の子どもと同じように扱ってほしい、と希望し
 ながらも、特別扱いしないという状況を受け入れきれないところに矛盾が
 あります」
引用終了

 たぶん男児もだし、個別の配慮は必要なはず。それは「一般の子ども」で
あってもです。

 なんか記事の姿勢にむかつくなあ。

 10年前じゃない。今なんです。

「東宮」も「学習院」も、もっと言えば「文部科学省」も「厚生労働省」も
なぜ必要なことをしていないのか。マスコミへの情報提供なんて必要ありま
せんが。


 テレビのニュースで、とりあえず平穏そうな皇太子ご一家の映像が流れて
いました。ご一家の平穏を祈るばかりです。(ニュースで流す必要も無いの
だけど)













posted by kingstone at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月18日

愛子さま記事(週刊朝日3/26号)

大見出し

「皇太子ご夫妻の"正念場"」

引用開始
(3月5日の東宮の会見で)このため「いじめ」「学級崩壊」という
言葉がメディアに氾濫。「乱暴」した”犯人”捜しの末、小学2年の
男児がまるで犯罪者であるかのように、身長や家庭事情までが報道さ
れた。学習院付近では右翼の街宣車が、「愛子さまをいじめたやつを
許すな」などとがなりたてた。
引用終了

 なにすんねんな。報道した奴も、右翼も・・・

引用開始
 さらに9日には、東宮太夫が皇居に参内して天皇、皇后両陛下に経
緯を説明した。その場で陛下は、「(愛子さま、児童、学校などの)
いずれかが犠牲になる形で解決がはかられることのないよう、十分に
配慮をを払うことが必要ではないかと思う」と憂慮を示した。これは
宮内庁関係者によれば、極めて異例な事態だ。
引用終了

 極めて大事なお言葉だと思います。

引用開始
 12日の(東宮の)会見で、記者たちの質問は、皇太子ご夫妻の”認識”
に集中していった。(中略)「こういう話(発表)を両殿下の了解なしに、
私が発表するのは想定できない」
引用終了

 ふむ。「両殿下の責任」と言いたいわけか・・・困っている保護者の
言ったことを「そう言ったから」といってそのまま伝えるようなのは
「子どものつかい」です。

引用開始
 しかし、と前出の宮内庁関係者はこう話す。
「皇太子殿下は出発前日にあたる5日、それも太夫会見の数時間前に、
外国訪問前のご挨拶で両陛下を御所に訪ねています。両陛下が東宮太夫
に経緯を聞く前に、なぜその場で直接、ご自分でお話にならなかったの
でしょうか」
引用終了

 こういう問題の場合、内孫だったら毎日一緒に過ごしているから事情
はまだわかりやすいけど外孫(この場合は外孫になると思います)の場
合なかなか話すのは難しいです。しかも「正確な情報」があっても、お
じいちゃんおばあちゃんに話すのは難しいものです。

 両陛下が知ってしまわれたのは、東宮の会見のせいじゃないか。

引用開始
 両陛下をよく知る人物は(中略)
「いずれにせよ発信源となった両殿下が、このまま沈黙を守り、知らぬ
 存ぜぬということは、ないと信じております」
引用終了

 記事自体も「殿下の説明責任」といった方向でしめくくられています。

 私は基本的に「説明」は必要無い、と思います。
 保護者が子どものことを外部に説明?
 もちろん、子どもが生きやすくするために周囲の人に説明することは
あり、それは大きな効果を上げます。しかしマスコミに発表する必要は
さらさら無い。


 それから別の雑誌の記事で「学習院のあるクラスで監視の教師が一人
ついた」というのがありました。これはひょっとして「監視」というの
は記者の先走りで「サポートの教師が入った」ということかもしれませ
ん。

 人手が必要な時はあります。
 しかし、人手に頼るだけでは事態は、子どもにとっても周囲にとって
も良くならないことはおうおうにしてあります。

 必要なのは正確な情報と手だてです。

 

posted by kingstone at 15:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする