こちらの番組、アメリカの「落ちこぼれゼロ法」と大阪の「教育基本条例案」を比較しています。
この番組では「落ちこぼれゼロ法」がサッチャーの教育改革を参考にしているということを言っています。そして大阪の教育基本条例案もサッチャー改革を参考にしている。
いわば「競争原理」を教育に持ち込もうというわけです。
しかし、結果として「いい結果を出すようにしよう」ということにはならず「悪い結果を隠そう」という方向になってしまったり、「落ちこぼれゼロ法」の場合、割と成績の悪い学校が廃校になる、つまりその生徒たちの居場所が無くなる、という事態になっていることがわかります。
ここらへん、むつかしいですね。
私が現役の教師時代、「競争原理」を職場に持ち込んで欲しいと思っていました。自閉症の子を無茶苦茶にする授業・クラス運営をしていても、何もペナルティはないし、落ち着いた生活をさせていても何も得なことは無い。そこんとこしっかり競争原理を持ち込んで下さったらいいのじゃないか。
あるいは市場原理。児童・生徒にあるいは親御さんに選んでもらったらいいのじゃないか。どこを評価したらいいかわからない管理職からの評価にならざるを得ないのはよくないのじゃないか、と。ほんとお医者様を患者がある程度は選べるように、教師も選んでもらえばいいのじゃないか、と。
でも競争原理にしても、「いい教師」を評価し、全体をそちらに向けて底上げしていく形じゃなく、教師の悪いところを見つけて足を引っ張る、っていう方向に行きがちなものかもしれない。
で、この動画を見ていて面白いのは、「うまくいっている小さな公立高校(アーバン・アカデミー高校)」というのが出てくるけど「選択と好奇心」とか「議論する」とか、あれれ、それってアメリカの授業の素晴らしいところ、とか言ってよく宣伝されるものじゃないのか?って思います。「白熱教室」みたいな。それがやっと出てきた、みたいな言い方をされています。でインタビューされている生徒が「ふつうの学校だったら生徒は言われたとおりにするものだ」と言っています。それが少なくとも彼の周辺ではそうなわけですね。
確かに「アメリカではこうだ」「こうやられてる」と言われても、その人はそれを見てきたかもしれないけど、他の時間はどうなのか、また全体ではどうなのか、というのを常に考えていないとダメでしょう。
「アメリカは個人の選択が大事な国だ」と言っても、1995年頃だったかABAを学びに行った方があちらの大学の方に聞いたら「まず服従を教えることが大切だ」とおっしゃったとか。
また私は服巻智子さんが「アメリカではまず権利の前に義務を教えます」と言っておられたのはよく聞いています。(ただし、この言葉、もちろん真実ですが、服巻さんが徹底的に「このお子さんには何ができるのだろうか」を考え、その支援方法を考える方だ、ということがあっての言葉だということを忘れてはいけないと思います)
Googleの入社試験ではよく「飛行機テスト」というのがある、という話は聞きます。つまり「こいつと狭い飛行機の中に長時間とじこめられても気持ちよく過ごせるか」というわけですが、しかし同時にものすごくシビアな「学校の科目などの得点による評価」もされています。「飛行機テスト」というのは最後の最後に出てくるだけで。
何が言いたいか、というと喧伝されたり、ある方が言われたりしたことの、背後には「全然反対じゃん」と思えるようなことがあってバランスをとっている、というか・・・
TEDでのビル・ゲイツのプレゼン。
「Mosquitos, malaria and education」 この中でゲイツは
「高校中退者は30%以上。非白人に限れば50%以上」
と言っています。そしてまた
「私の言うような改革をすればアジアの学校のようになれる」
と言っています。つまり彼の目指しているのはアジアのような学校。たぶん日本もその中に入るのでしょう。今、日本はいくらなんでも退学者30%ということはないでしょうから。(今後はわからないとして)
だから日本は、いろいろ問題はあるにしても、いっぱい綻びはあるにしても、そこそこうまくやっているのかもしれない。
あんまり簡単に諸外国をお手本に、なんてことはできず、自分たちのオリジナルを少しずつ作っていくしかないんだろうなあ。
posted by kingstone at 22:25|
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