私の関わりのある法人

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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2017年01月16日

学校と教師の特殊性(?)



Togetterで


をまとめました。


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2015年06月22日

高等学校とか大学とか


その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省

の余波は、少なくとも私がネットであれこれの発言を見る限り、まだまだ続いています。

 あと、職業教育学校化についても。

 私が目にするのは「あほかいな」みたいな、文部科学省や職業教育学校化に対する反論が多いですが・・・
 
 で、触発されて少し考えてみようと思います。

 先日、サッカー(特に男子サッカーかな)に喩えて反論してはる意見がありました。
 日本がある程度世界で強く(ワールドカップに出場できるかできないか、ではありますけど)なれたのはJリーグのしかもJ1だけがあったからではない。底辺が広くなってるからこそだ、と・・・

 たしかに底辺が広いのは大切。
 でも、J1、J2、J3、JFLとか、すごく厳しい競争にされされてるわけで・・・入れ替え制度もあるしね。
 あと、小学生や中学生などの学校や地域クラブがあったり、大人も地域クラブがあったり。
 小学生とかすごくたくさんの子がプロになるのを夢見ているだろうけど、そのほとんどの子はプロにはなれないわけね。でも、その子たちが試合を観に行ったり、グッズを買ったりするのもサッカーが繁栄し、日本代表が強くなっていくためには大事なことだろうな。

 でも、サッカーとか言うなら、割りとわかりやすよね。ゴールにボールを蹴ったりヘディングしたりして入れれば得点。得点の多い方が勝ち。

 大学で学ぶことって多岐にわたってて、あんまりわかりやすくないなあ・・・
 子どもも、あまりあこがれないかも・・・ロケットとかロボットとかならあこがれやすいかな。でもシェークスピアの英語劇とかあまりあこがれないとは思う。(もちろんあこがれる子もいるかもだけど)

 あと、たぶん草サッカーのクラブで楽しんでいる18歳以上の子なら、「自分はプロになれない」とかは自覚できてるだろうと思う。

 大学で学ぶ人はどうだろう。
 社会人を経て入って来た人とかだったら、学びたいことが決まってることも多いと思うけど、高校から直接やって来た子はどうだろう?
 自分はどの分野でプロになりたいかが決まってる子ってどのくらいいるだろう。もちろんそんなもの決まってなくって良くって、いろいろなことを「やってる」うちに決まってくるのだろうと思う。

 じゃあ高校はどうだ?
 
 う〜〜ん、しかし高校ってのは、「青春を楽しみたい」みたいなことは大事だと思う。で楽しめないのなら別の道を探してもいいような気もするのだけど。

 ビル・ゲイツがTEDで「私の主張するような教育方法を取ればアジアの高校みたいになれる」と言ってたけど、それはアメリカが高校で30%が中退し、黒人に限れば50%が中退する、ということに危機感を持っているからこそなわけだけど。(なおゲイツはハーバード中退だよね)

 う〜〜ん、なんか全然まとまらない・・・

 
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2015年06月08日

その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省

 朝日新聞記事

その学部、本当に必要? 全国立大に見直し通知、文科省

 これは国立大学の話なわけで、私立大学は関係ないのかな?
 それとも助成金のからみで関係してくるのだろうか?

「国立大に投入される税金を、ニーズがある分野に集中させるのが狙い」

っていうことで、まあいわば「実学」へのシフトってことだろうな。また以前から話題になってる「高等教育」の「専門学校化」みたいな文脈ともあってるわな。

 ただ、私のTwitterのタイムラインでもちらっと見かけたのだけど、「選択と集中」と言っても、学問分野で「お上」が判断してやってきたことってたいてい失敗してきたんじゃなかろうか・・・本当に「市場に任せる」にしたほうが・・・

 で、ひょっとしたら、昔から大学って「実学」を学ぶ所で、しかしそうしてるつもりがどうやっても外れていく人たちがいて、その人たちが新たな分野を切り開いて来たんじゃなかろうか・・・だからある意味、文部科学省が何をどう決定しようがいいのかもしれない、とか思ってしまう。

 佐藤優さんが

「神学部とは何か 非キリスト教徒にとっての神学入門」

の中で「神学とは虚学である」と書いてはり、神学から見れば哲学ですら「実学」であるそうだけど、ある時代には神学は立身出世のための、教会を運営していくための、「実学」だったんじゃないかなあ・・・で、そこからいろんな学問が派生していったんじゃないのかな?

 東京大学は、たぶん「暦」を作るための「天文方」が一つの起源なわけで・・・
 昌平坂学問所は、何だ?まあ統治の思想を作るところか?

 たぶん「立身出世のための機関」としては、一定の役割を果たしてきたと思うのだけど、さてしかし、もう今は「行けば立身出世が保証されている」わけでないというのは、実は昔からなのかもしれない・・・

 世界大恐慌の余波ではあるけど、

「大学は出たけれど」

は1929年の小津安二郎の映画。で、映画になる前からこの言葉はあったのだろうしね。

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2013年03月01日

「成績の悪い公立学校は閉鎖」という記事から

JBPRESSの
「全米に広がる「成績の悪い公立学校は閉鎖」の波先生も事務員も解雇、生徒はホームスクールへ」
という記事から

 う〜〜ん、私自身、あまり「学校」という場にこだわりすぎる必要は無い、と思ってるし「ホームスクール」だっておおいにアリとは思ってるけど、これは困るんじゃないか・・・引用すると

 2月初旬、米国ペンシルベニア州フィラデルフィアに住む知人から1通のメールを受け取った。
 そこにはフィラデルフィア市内の公立校が続々と閉鎖されている事実が語られていた。日本でも少子化の影響で、公立小中学校の併合や閉鎖はあるが、1校や2校という話ではないという。米国の大手メディアはほとんど報道しないので、日本から発信できないかという内容だった。
 ニューヨークでは100校以上が閉鎖された
 同市内だけで、今後数カ月に40校以上が閉鎖される予定だという。そうなると、知人の一人息子は慣れ親しんだ近所の小学校から、遠く離れた公立の小学校に通うか、ホームスクール(後述)を選ばざるを得ないらしい。

(中略)
 例えばニューヨーク市では近年だけで100校以上が閉鎖されていた。閉鎖を決めるのは市の教育政策パネル(PEP)で、マイケル・ブルームバーグ市長が圧倒的な権限を行使している。13人からなる理事会のうち過半数の8人を自ら任命し、市内の教育関連の施政を事実上牛耳っていた。
 同市長の教育方針は、全米中で見られる教育へのスタンスに共通するものがある。それは日本のゆとり教育からの反動と同じで、生徒の統一テスト結果を重視する方向に舵が切られていた。さらにビジネス型の学校経営が導入されたことにも原因がある。
 端的に述べると、教育レベルの低い学校を閉鎖するという悪しき慣行がまかり通り始めるのだ。同時に、予算不足による経営学的な観点から学校を閉めざるを得ないという。 

 
 これ「ニューヨークの高校生、マンガを描く マイケル・ビッツ著」の中でも、予算が削られ、高校がどんどんつぶされ、生徒も教師も混乱していく様子が描かれていた。

 あるいは「どこから始めればいいのか」で「落ちこぼれゼロ法」により、学力テストの成績の悪い学校が閉鎖さされるという形で無くなっていく様子が報告されている。しかし、それ、逆に言うと「成績の悪い生徒の行く学校が無くなる。居場所が無くなる」という話なんだよね。

 で「どこから始めればいいのか」でビル・ゲイツのTEDでのプレゼンテーションについて触れてるけど、その中でゲイツは「高校中退者は30%以上。非白人に限れば50%以上」ということを言っている。つまりそういう生徒が最初入った高校を最初からつぶしてしまえ、ってことになってるんだと思う。

 う〜〜ん・・・それは話のもっていきようが違う、という気がするなあ。

 しかし、その学校を中退してしまった15歳から18歳(あるいはそれ以上)の青年男女はどこに行くのだろう・・・ってか今どこでどうしているんだろう??



タグ:学校 財政
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2013年01月01日

黒板導入史についての心覚え

 どこかで黒板が教具として使われ出したのはいつごろだろうか、というような話をしたと思うのだけど、Togetterの中も探せなかったので、今日発見したものをこちらにまとめておきます。

 なにか著作権の切れた小説や評論などをデジタル化して下さっている

青空文庫

というものを発見。ここデジタル化の作業をして下さった人のことを「工作員」と呼ぶんですね(笑)

ここにたまたま

「黒板は何処から来たのか」小倉金之助

という文書を発見。その中に書いてあることを時系列にそって取り出しておきます。

1794年以前 フランスで黒板みたいなものは多少使われていたかもしれない。

1794年 フランスでフランス大革命の恐怖時代が終って間もなく、生産拡充
     のための科学技術者と、優秀な砲工の士官を養成する、二重の目
     的を以てエコール・ポリテクニクが開校。画法幾何学を教えるた
     めに、黒板が使われたと思われる。

1813年 ボストンの牧師メー(Samuel J. May)がフランス人ブロシウス師
    (Francis Xavier Brosius)が、数学の学校で黒板を用いているのを
     見た。それでメー氏は自分でも使いだした。

1816〜23年頃 アメリカのウエスト・ポイント陸軍士官学校の数学の教授で
        エコール・ポリテクニク出身のフランス人クローゼー
       (Claude Crozet)が大工と絵の具屋に頼み込んで作らせ使った。

1860年頃 アメリカの初等学校に黒板の普及を見るに至った。

1872(明治5)年9月 師範学校(現筑波?)にて大学南校(現東大)の
          アメリカ人教師スコット(M. M. Scott)がアメリカ
          から教材・教具の到着を待って使用した。
1873(明治6)年 天文学教授マーレー(David Murray)が文部省学監となり、報告書を出す。
         「模範塗板ノ如キ既ニ之ヲ製造シテ」

     8月刊「師範学校、小学校教授法」算術の授業に黒板を使用している絵がある

     12月刊「小学教師必携」
         「教師塗板ヘ書スルトキ」

 このあたりから「最新の教具」としてどんどん使われていったのでしょうね。

タグ:教具 教材
posted by kingstone at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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