※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2024年06月06日

合理的配慮を建設的に話し合う



 令和6年4月1日から合理的配慮の提供が義務化されました。
 これは「事業者」に対するもので、本来は官公庁・学校などではそれ以前から提供されているはずのものなんですが、まあそれは置いておいて。

 例えば、様々な障害(肢体不自由で手指の動きが円滑でない、発達障害で書字が苦手で、例えば俳句程度は書けても、試験などで長文になると書けない等)で、授業のノートがとれない、テストで回答できない、といった場合、申し出があれば当然タブレット利用やパソコン利用は考えられるべきものです。

様々な根拠

 先日丹波篠山でのおめめどう20周年式典での講演「子どもの権利から考える合理的配慮」でも、障害のある人から申し出、学校や企業側もテーブルにつき、建設的に話し合うことが強調されていました。

 レジメ「子どもの権利から考える合理的配慮」
飯野由里子・平林ルミ(東京大学バリアフリー教育開発研究センター・学びプラネット合同会社)

の PDF も記事中からダウンロードできます。

 まあこれは「良い考え、まとめ」であっても、「しょせん研究者や民間人の書いていることじゃないか」と馬鹿にされ効果は無いかもしれません。


では


ではどうでしょうか。こちらの「解説編」にはこう書かれています。

【望ましくない対応例】
事業所等「何の説明や見当もせず対応しない」
・障がいの特性や求める内容は様々ですので、まずは、障がいのある人が求めている内容を聞いて、何ができるのか、考えてください。
・もし、求めている内容がすぐには対応できない場合は、代替手段がないか、検討してください。
・対応できない場合でも、その理由を説明し、理解を得るように努めることが求められます。
・障がいのある人の求める内容が明らかな場合には、適切と思われる配慮を提案するなど自主的に対応することが望まれます。

障がいがある人「言わなくても察してほしい。何としてもやるべきだ」
・障がいの特性や求める内容は様々ですので、まずは、障がいのある人が求めている内容を聞いて、何ができるのか、考えてください。
・もし、求めている内容がすぐには対応できない場合は、代替手段がないか、検討してください。
・対応できない場合でも、その理由を説明し、理解を得るように努めることが求められます。
・障がいのある人の求める内容が明らかな場合には、適切と思われる配慮を提案するなど自主的に対応することが望まれます。

【望ましい対応例】
話し合い、何ができるのか、お互いに考えましょう。
・建設的な対話を行うためには、それぞれが持っている情報(障がいの状態や提供できるサービス内容等)や意見を相手方に示すことが重要です。その上で、相手方の意見を否定するのではなく、理解し合えるように話し合い、何ができるのか、お互いに考えていくことが望まれます。
・申出があった際の建設的な対話のためには、初期対応が大切です。コミュニケーションの不足や、傾聴しない姿勢が、障がいを理由とする差別につながることも考えられます。差別解消を可能な限り迅速で円滑に図る観点から、障がいのある人に寄り添う姿勢を持つなど、特に初期対応を丁寧に行うことが求められます。  

 つまり、事業所側には頭ごなしに「できない」と言うのではなく、「困りごと」を解消するためのアイデアを出すことが求められています。なお


「事例編」P46 には

●主にルール・慣行の柔軟な変更に関すること
「障がいにより文字の読み書きに時間がかかるなどのため、授業時間内に最後まで黒板を書き写すことが難しい生徒に対し、デジタルカメラやタブレット型端末等により、黒板の写真を撮影することや、ノートに書くことの代替としてのパソコン入力、ボイスレコーダーでの録音、動画撮影などのICT 機器の利用を認める。」

となっています。

 ただし、例えば「発達障害(見えない障害)による長文を書く困難」が、学校の教師に理解しづらい(しかし、学校に特別支援教育コーディネータは、高校などでおられないのだろうか?)場合、「この学校の教育目的は、本人の生身で書字させて、書字の技量を上げることです」という主張で封じ込めようとする(もちろん学校側は善意で)可能性があります。

 そうなると医師の意見書があれば強いかなあ、とは思ますが。


posted by kingstone at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月02日

手を持ってコミュニケーション(?)する方法について、最近考えていること。



 この「(支援者が)手を持ってコミュニケーションする」という方法については、以前にも記事にしています。

 しかし、その頃より、少し考えが進んだというか「字をかける」ということと「コミュニケーションできる」ということを分けて考える必要があるな、ということを思い出しました。

 以下に Twitter(X)に書いたことを、とりあえずまとめておきます。
ーーーーーーーーーー
 FC について、TL にいろいろ流れてきたので、FC ということではなく「手を持ってするコミュニケーション」について、肢体不自由養護学校、知的障害養護学校の現場で働いてきた人間としての見解。(「専門家」ではなく、一実践者としてですが)

 実際問題として一人では字が書けないのに、手を持ってあげる、場合によってはサポートしてあげることで、字が書けるお子さんは存在しました。ただし、そうなれば「どうしたら、(人的サポート無しで)一人で出力できるように環境整備したらいいか」を早急に考える必要があります。

 それが肢体不自由の場合、機器(随意部分を使ったスイッチ操作。最近は視線入力もあり)を使ったAAC、ということになるし、知的障害の場合、例えば PECS とかになります。なぜか?人的サポートだと、本人の書きたいことだと支援者が思っていても、実は支援者が書かせたいことだったり・・・

 肢体不自由の場合、実は知的障害も合わせもつことも多いから、機器を使ったAAC と PECS との組み合わせとかそういうことも必要になってきます。(最近、AAC とおめめどうの組み合わせという例も知った)

 このあたりはカウンセリングを実践者になろうと学習(そして訓練)を受けた人だとよくわかるのじゃないかな。クライエントさんの考えていることと、カウンセラーの考えていることを確実に分けられるようになるのは、基本だけれどもものすごく難しいことです。

「よし、この支援者が手を持ってするコミュニケーションを追求しよう」とずっと続けていると、どこかで本人ではなく支援者の書かせたいことになっていく危険は常にあります。

 あと、本当にその書いたことがコミュニケーションになっているのか、というのも大事です。

 パソコン通信の黎明時代、いろんなところに野良ネットワークがありました。肢体不自由養護学校の生徒でパソコンで字が打てるようになった子がいました。

 野良ネットワークにその子が書き込むとみんなが褒めてくれました。するとその子は嬉しかったのでしょう。あるいは親御さんが「これしてみたら」と言ったのかもしれません。毎日「天声人語」を打ち込むようになりました。

 ある日誰かが「いや、『天声人語』はいいから、あなたの思ってることを書いてよ」と返信しました。

 その生徒は何も書けなくなってしまいました。特に誰かに伝えたいことが無かった(というか、それを表現する手段を持たなかった。例えキーボードが打てても)からです。

 その方ご自身の自発の欲求を表現できているのか、自分が感じ、思って、他人に伝えたいことを表現できているのか。

 そこを注意深く見て行く必要があると思います。


 なお、過去の記事を読んでいて思い出したのですが 平本歩 さんのことを思い出しました。
 過去の記事に貼っていたリンクは切れているのですが、新しいものがあるので、そこにリンクを貼り直します。

 また、こちらにもリンクを貼っておきます。


 彼女の場合、手をサポートしてあげれば字が書けることを発見し、クラスの周囲の子どもたちも始め、速い段階でパソコンに移行しています。
(ごめん、ひょっとしたらパソコン移行は早くなかったかも。また入力が難しくなって、文字盤に戻ったかもしれない)

 なんせ手を持ってやりとりしている段階で、友達と喧嘩している動画を見たことがあります。

 ほんまに言いたいことを言ってたなあ。

ーーーーーーーーーーーー
過去に書いた記事



posted by kingstone at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月28日

「普及と実装を科学する ーその方法と実際ー」島津太一を読む



「普及と実装を科学する ーその方法と実際ー」島津太一
『日本健康教育学会誌』第31巻第4号2023年

 私の書くことは、ほんとかいつまんでいたり、適当な読みなので、興味を持たれた方は元論文をお読み下さい。

 先日のポジティブ行動支援ネットワークのオンライン研修で「実装研究(implementation research)」という言葉を知りました。

 で Google Scholar で検索して引っかかったのが、上の論文。

 確かに「社会的実装」なんて言葉も聞くし、社会にどう広めて定着させていくか、が大事だし、どちらかというと「何が障害となっているか」を研究する、みたいな方向が強いみたいだけど、その障害をどう突破するかと考えると大事ですね。

 もともと医療分野で、 EBI(evidence based inervention,根拠に基づいた介入)の普及と実装を科学的に進めるためにできたものだって。

 近年では、患者や市民の役割を重視した参加型アクションリサーチの方法も取り入れられてきている.


 研究者が実践者ともなる、ということかな。

 2002年に「Designing for Dissemination(普及のためのデザイン)」という会議が開かれ、この会議で

 研究者はエビデンスを創出する役割を担い,実践家は具体的な方法を教えられれば実施するという考えであった.両者は研究成果の実装に関する責任を負う立場になく、その責任を負うのは米国国立衛生研究所(NIH) や他の研究資金配分機関であるという結論となった.

ってことは、これを日本の教育分野・福祉分野で言い換えれば

研究者はエビデンスを創出する役割を担い、教師やスタッフは具体的な方法を教えられれば実施する。実装の責任を負うのは文部科学省・自治体教育委員会・厚生労働省・自治体障害福祉課(局)である。

ってことになるかな。

まあそうは言っても、アメリカでもうまくいっているわけではなく、

 最終的にはエビデンスとプラクティスのギャップが残り、これが課題となっている

ってことだから、ある意味、どこでも同じやなあ、と。

 で、そのギャップを埋めるのが「実装研究」であると。

1.EBI についてはエビデンスを3つに分類し

タイプ1:疾病とその負荷→例:喫煙と肺がん、生活習慣と糖尿病
タイプ2:介入の有効性→例:禁煙治療の有効性、米国糖尿病予防プログラムの有効性等
タイプ3:特定の現場の文脈に合わせた必要な方法について→例:禁煙外来受診の促進・阻害要因、米国糖尿病予防をYMCAが主導する等

 教育で言えば、スクールワイドポジティブ行動支援(SWPBS)はタイプ3をよく研究した結果出てきた感じではあるな。

2.実装戦略(あくまでも1例として)

監査とフィードバック(しかし・・・行政の監査って・・・お金の出入りの監査は有効だと思うけれど、教育や福祉の内容についてはほとんどの場合無力というか・・・)
教育ワークショップ(研修だな)
コンピューターによるリマインド(物を使う)

3.実装アウトカム

1.受容性(主観的満足度)
2.適切性(客観的な評価)
3.実施可能性
4.採用(組織レベル)
5.忠実度(どのくらいEBI実施の手順に従っているか)
6.浸透度(どれだけ多くの対象にアプローチできているか)

 この1.2.3.あたりは応用行動分析で言う、社会的妥当性に近いな、と感じるのだけど、どうだろう?

4.理論・モデル・フレームワーク

 そのうちの「決定要因フレームワーク」が「なぜ現場で実装されないか」の理由を整理するためのフレームワーク。これを視覚的支援についてあてはめてみると・・・

実装研究のための統合フレームワークCFIR(Consolidated Framework for Implementation Research)

1.「介入の特性」介入そのものを現場の方がどう認識しているか。現場の方がどう認識しているか。

あまり必要性、有効性を認識していない。(きちんとやっているところは認識しているが、そもそもそういう場は少ない。また「できるだけ外したほうが良い」という考えも強い

2.「外的セッティング」制度など、自分たちの組織の外にある要因

厚生労働省の強度行動障害支援者研修などではかなり詳しく言及されるようになってきた。教育会はまだまだと見える。(なお、2002年頃からいっせいに特別支援学校の時間割が前の黒板に「大きな絵」や「おおきな字」で示されるようになったのは、どういう力学が働いたのだろう。ただし、それによって視覚的支援が無効化されてしまった例を多数見てきている)

(「視覚支援」と書いてはいるが「視覚の檻」でしかない)

なお、令和6年2月、東京都教育委員会が

を出しており、視覚的支援や機能分析のこと、環境整備のこと、かなり詳しく書いている。これをどう現場が取り入れるかだな。

3.「内的セッティング」リーダーシップやコミュニケーションなど組織内部の要因

例えば、厚生労働省の強度行動障害支援者研修を受けても、現場でベテラン(リーダー)からの適切な OJT が受けられなければ、「ああ研修終わった。これで加算がつく」で終わってしまいがちである。

4.「個人特性」個人の自己効力感や知識

学校や福祉事業所で、きちんと実践してみた人は「わっ、ちゃんと通じあえる!」と自己効力感・喜びが得られるのだが、それを周囲に伝えることによってかえって孤立する、という現状が多そう。

5.「プロセス」計画を適切に運営するための活動の観点から実装に影響する要因を整理する

 で、もちろん「阻害要因」を整理するのは、「じゃあどうすればいいか」を考えるためで、私もそこ(と言っても、私は組織には属してないから、保護者に対して、だけど)を考えていきたい。

 で、論文内で下のページが紹介されており、そこにある動画に、論文内に出てきた図があったり、解説があったりする。




posted by kingstone at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月04日

NHK「世界はほしいモノにあふれてる」に出てきたオモチャ



2024年4月29日に放送された(2023年8月に放送されたものの再放送らしい)

NHK 「世界はほしいモノにあふれてる 夏のスイス&ドイツSP美しきオモチャめぐる旅」

に出てきたメーカー

※図はクリックすると大きくなります。

スイス キュボロ社

検索画面
スクリーンショット 2024-05-04 20.06.47.png

 番組で言ってたけど、ピタゴラスイッチみたいなことができる。

 創業者は障害者施設で働いていて、利用者さんにとって当時あったパズルは難しすぎると感じて開発したとか。



スイス ネフ社

スクリーンショット 2024-05-04 20.09.16.png

 トイオブジェ 美しいオモチャ

 創業者さんが家具職人で、お客さんが「美しい家具はあるのに、美しいオモチャが無い」と言ったことに触発されて作り始めたんだって。


 後半はドイツの職人さんの技とかで、会社って感じじゃなかったな。


 これらを買付に行ってる 西川涼さんって方は アトリエ・ニキティキ の経営者さん。







posted by kingstone at 20:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月30日

給食指導についての記事へのリンクを集めてみました



 給食指導についての記事へのリンクを集めてみました。

 最初に書いてある日付は記事にした日。( )内はその年度のできごと、日付がわかっているものはその日、ということを表しています。

 「過去の記事」カテゴリのものはリアルタイムで書いていたので日付がわかっています。
 「過去の記事」カテゴリのものは、何も知らない新人さん2人と私、そしてベテランさんの1998年2学期から(正確には夏休みの準備段階から)1998年度いっぱいの記録です。

 いろいろ迷いながらやっていた、ということはわかって頂けるでしょう。
 また、「今ならやらないな」「もっと別の工夫をするよな」という点も多々あります。


2010年2月14日(1996年度)
給食の思い出1
 当時勤務していた知的障害養護学校では手早く完食させられる教師が指導力があるとされ、威嚇や、スプーンを子どもに突っ込むなども、普通にやられていた話。


2010年2月14日(1996年度)
給食の思い出2
 何か違うよなあ、と思い出した話。 


2010年2月14日(1997年度)
給食の思い出3
 超ベテランの先生が威嚇して食べさせているのに、私がキレて教室を飛び出してしまった話。



2010年2月15日(1997年度)
 1997年に初めて特殊教育学会に行き、齊藤宇開さんの TEACCH 的な視覚的支援を利用した給食指導の例を知りました。そして「残してもいい」という指導をクラス打ち合わせで提案したら、4人担任中、2人(無理やり食べさせるのが上手な人達)が反対、1人棄権で、否決された話。

2010年2月14日(1998年度)
給食の思い出4
 クラスで「給食は自分で食べる。全部食べさせなくて良い」と宣言した話。


 指導についてあれこれ考えている。


2010年3月26日(1998年10月13日)
過去の記事73(給食指導について)
 基本はおいしいものを楽しく頂く、だろうな。


 私は、クラスのみなさん宛のレターもよく書いていました。そのひとつ。
 我々のクラスは職員室でみんな静かに事務処理をしている最中、突然子どもについて相談し始めたり、どこでもクラス打ち合わせのチームだったのですが、それでも時間が足りないので。


2010年4月5日(1998年11月14日)
過去の記事105(BさんとC君の給食指導)
 試行錯誤や、起こった不思議なできごと(というのもよく起こる)について。


2010年4月6日(1998年12月7日)
過去の記事137(給食指導その後)
 いろいろ観察し、相談している様子。


2010年4月6日(1998年12月9日)
過去の記事144(給食指導その後2) 
 もう試行錯誤し、観察し・・・


 わかってる、と思っていたカードがわかってなかったのでは!?



 C君の給食指導の僧だ何を専門家にした時「この資料からでは何もわかりません。とにかくC君のコミュニケーションサンプルをとってみないことには」と言われたことを書いています。それももっともです。
 しかし、現在の私だったら、相談されたらその資料からわかる範囲で、一緒に考えると思います。


2010年4月12日(1998年2月28日)
過去の記事238(C君への給食指導・その後)
 振り返り


この動画の7分10秒あたりから、1999年6月の給食に関しての部分になります。


BさんとC君が映っています。
Bさんは、1997年度まで、私以外の教師からはスプーンを口に突っ込まれて給食を食べていました。
C君は、1997年度までは、やはり手が止まると、私以外の教師からはスプーンを口に突っ込まれて給食を食べていました。
なお、2024年現在、この後継の学校では、スプーンを口に突っ込まれることは無くなっているようです。


2010年2月15日(2001年度)
給食、ある時
 支援級の前担任が威嚇して牛乳を飲ませていたことが発覚した話。引き継ぎでは「私が指導して飲めるようにした」とおっしゃってました。私は「できていたこともできなくさせたダメな教師」と親御さんに思われていたでしょう。



2010年10月31日(1996年からかなり後について)
食事指導について




なお、「過去の記事」カテゴリの最初の部分は


から始まり、順番に読んでいけます。



 

posted by kingstone at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする