2020年第58回特殊教育学会
自主シンポジウム27
強度行動障害に関わる専門援助職に求められること(5)
幼児の事例と青年期の事例から考える
企画者 笹田夕美子
企画者 奥田健次
司会者 笹田夕美子
話題提供者 原伸生
話題提供者 市橋那美
指定討論者 奥田健次
指定討論者 田中清章
企画者 奥田健次
司会者 笹田夕美子
話題提供者 原伸生
話題提供者 市橋那美
指定討論者 奥田健次
指定討論者 田中清章
笹田さんからの企画意図説明
「卒業時にひどい行動障害で、幼児期に関わっていた私に質問が来る。記録を読み返し、よく見ると、幼児期に既にその問題は出てきている」
ってめちゃあるある。
幼児期は「かわいい」「自己主張が出てきたね」「よくなってきてるよ」で済んでいたことが、卒業前にはそれですまなくなると・・・
そういう事態にしないための専門性は何か、ということなのですが。
で、こないだ、私の Twitter の TL でもやりとりのあった「マンツーマンはやめて(っていうか、どうしたら離れられるか考えて、だけど)」が最初に出てきてる。
話題提供1. 幼児さんの事例
1.問題行動がそもそも起きない環境設定(最初は集団から離して)
2.「ひとり遊び(できること)」を増やすこと
2.「ひとり遊び(できること)」を増やすこと
で問題を場面によっては完全消去、場面によってはまだ般化しないところも。
しかし2.によって保育士さんが「褒めることに意識が向く」ようになったと。(それまでは止めるばかり)
しかし2.によって保育士さんが「褒めることに意識が向く」ようになったと。(それまでは止めるばかり)
つまり本人さんもだけどスタッフさんも変化してる。
話題提供2. 高等部の方の事例。
さきほどの幼児さんも、この生徒さんも奥田先生のコンサルテーションで改善しているわけだが・・・
高等部の生徒さんに対して、たぶん小・中でも「当然やるべきこと(視覚を利用した自立的な活動)」が行われておらず、音声指示で問題が起きてる。
そして問題行動は昔の記録を調べてみたらずっと書かれてたって。
うまくいっていなかった時のABC分析と、介入してから(Aの部分の変化)が出ているけれど、前者のAでは「声かけ」しか記録されておらず、後者のAには「視覚支援」も利用されている。
このような事実から、今まで小学部・中学部を通じてご本人に合った視覚支援がなされていなかったのではないか、と推測される。
また作業についても過去「できていた」という評価があるが、介入後にはすごく簡単な課題に変え、できたらごほうびもあげている。
ここからは、「この作業ならできる」と考えられていたものが、実はできていなくて、「ひとりでできる」というところがおろそかにされていたのではないか、と考えられる。一応この記事の最後に「自立課題学習」についての、私の動画や参考資料を置きます。
まあうまくいって良かった、良かった、なのだけど・・・今までの9年以上は何だったのでしょうか・・・
もちろんそれを改善にもっていった奥田先生はすごいのですが。
しかし
○幼児から取り組むには保護者の理解を得るのがむつかしい場合もある
ということで、これは痛いほどわかります。
この難しさは2方向であります。
1.「かわいい」で済んでしまい、手立てをしない。あるいは支援者が無意識のうちに、プロンプトを出したり、力で「させ」たりして、「できる」と勘違いして大きな課題があるとわからない。
2.親御さんから「(視覚支援を使うと)音声言語が使えないようになる。やめてくれ」
「(まずは一人でできることを増やそうと個別プログラムをしていると)集団に入れてくれ。集団にはいることが大事なんだから」と反対されてしまう。
「(まずは一人でできることを増やそうと個別プログラムをしていると)集団に入れてくれ。集団にはいることが大事なんだから」と反対されてしまう。
1.の方は、よく観察することでわかります。ただし日々の実践の中では記憶にとどまらず流れていくことが多いので、動画を撮影して、それを見ればわかりやすいです。そして根本的に、「まずは(遊びでも)ひとりでできることが重要性」「的確なコミュニケーションの重要性」というのがしっかりわかり、その視点で見ていくことが大事です。ひょっとしたらそれが「身につけるべき専門性」かな?
2.の点は、管理職や教育委員会が「どういう指導がいいのか」をよく勉強し、現場が一貫した指導ができるようにし、保護者の理解を得られるようにしないとあかんよね。
なお、動画の撮影については、もう今はめちゃめちゃコストも下がり、簡便になっており、やる気があればすぐにできちゃうと思うけど。
今、個人情報の保護の面とかでむつかしいことがあるのはわかりますが、
1.入学時に動画撮影の許可をとっておく
2.動画は校内で指導のためのみに使うことを確約
3.そもそもそのお子さんと教師だけが映っているなら、その動画は保護者に差し上げても大丈夫
4.クラスの他の子も映っている場合でも、クラスの授業参観と同じだから、その学校に在籍している間はその動画を指導や成果を知らせるために見せてもOKでしょう
5.撮影して欲しくない、という方には個別に対応
2.動画は校内で指導のためのみに使うことを確約
3.そもそもそのお子さんと教師だけが映っているなら、その動画は保護者に差し上げても大丈夫
4.クラスの他の子も映っている場合でも、クラスの授業参観と同じだから、その学校に在籍している間はその動画を指導や成果を知らせるために見せてもOKでしょう
5.撮影して欲しくない、という方には個別に対応
で、入学時の「個別の動画」については、親御さんにお渡しし、成人後と比較したりもできますよね。
あと、クールダウンとかカームダウンとかいう言葉がよく使われるけれど、それは状態であって行動ではない。もちろん「落ち着ける」ことはいいけれどそれだけじゃなあ、と語っておられました。
そらそうやなあ。社会的に妥当な範囲で「わかってできること(もちろん余暇を含む)」が増えなきゃなあ。
もうおひとりの指定討論者の徳島の先生からの紹介
その中にはこんなのもありました
浜松の保育士の方はここを利用して勉強したりしているそう。
最後の質疑応答を聞いていて、学校で先生方の関わり方の「良い変化」として報告されているところ、「この事例」の「現時点」ではそうなのだろうけれど、それをそのままにしておく、他の事例にも同じことをする、などしたらめちゃ危険、というのが想像できてしまって、本当に学校って難しいなあ、と感じました。