昨日、おめめどうの「神戸セミナー」で私に対して 「ABA って2つあるの?」という素朴な疑問が出されました。
2つあるってか・・・
まあ、私はあんまり ABA(応用行動分析学)については詳しくないわけですが・・・
「行動分析学」と言うなら「生物はこうするとこう行動する(動く)よ」みたいなことを研究する学問になるでしょう。
単にそれだけのこと。
でも「応用行動分析(学)」となると、やはり「応用」が入ってくるから「誰かが」「生物に働きかける」その手法(?)技術(?)とかが入ってくるよね。
その時に「自分は変わらず相手だけをコントロールしようとする」のか「相手のQOLを考え、相手中心で考えるのか」の間にグラデーションがあるんだろうな。
で、こういうの、文字にしたり、定義したりすると、どっか抜け落ちていく部分があるんだろうな。
そういう意味では ABA の研究者って、記録を重視し、論文にして残していく、という努力をしてはってそこがすごいよね。
で、私も昔「TEACCH ってkingstoneさんのやってるのと、別のと2つあるの?」と聞かれたことがあります。
その人(でもおひとりじゃなく複数おられたな)は、私が視覚的支援の実践を始めた(1998年頃の話)ら、めっちゃ怒って「あの人はパソコンなんかやってる(パソコンを触るのは常識的な人では無い。劣った人、変な人、みたいな価値観は当時結構たくさんの人が持ってた)から、TEACCHなんてものにカブれるのだ」みたいな悪口を陰で言ってはったそう。この方(達)は、いろいろ勉強会などにも参加して TEACCH は悪口はよく聞いておられたのでしょう。
で、私が校内研修などで動画つきで発表したり、なんとなくのクラスの雰囲気(壁1枚隔てていたら、中では何をやってるかはわからない)で、なんか聞いてた話と違う、と思われたのかもしれません。それで
「TEACCH ってkingstoneさんのやってるのと、別のと2つあるの?」
という質問になったのだと思います。
そういやこの方、当時上越教育大におられた(後に筑波大)藤原義博さんの講演を聞いて感動して帰ってこられました(1999年か2000年)。
でやっぱり
「行動療法とは違うんだ」
とこの先生は注釈つけてはりましたが(たぶんその先生の思い込み。まあ「療法じゃない(暮らしだ、生活だ)」という意味では正しいでしょうけど)
レジメを見せてもらったら
・年齢相応のかかわり
・養護学校の人手がありすぎる問題
・伝達手段の確立と見直し・子どもが理解できる伝え方の確立
動作・補助的手段(写真・絵・マーク・文字)の使用・環境の構造化
・養護学校の人手がありすぎる問題
・伝達手段の確立と見直し・子どもが理解できる伝え方の確立
動作・補助的手段(写真・絵・マーク・文字)の使用・環境の構造化
とか書いてあって、最後の部分はスケジュール、ワークシステムとかとも書いてはりました。
まあ、どんな看板かかげていようと、「ほんまのところは、どうやってんねん」というの、いろいろグラデーションがあるんでしょうね。
で、実際 「TEACCH やってます(ってこの言い方が本来矛盾してるんだけど)」と言いながら、自分の思うとおり相手を動かしたいだけの、ひどい実践やってる所も実際にあったんだろうな、と思います。
といっても、私も、25年前の日本で学んだ TEACCH だし、今の TEACCH については全然詳しくない人ですが。