私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2019年06月19日

ひとりで暮らす、ひとりを支える 高橋絵里香




 フィンランドの高齢者福祉について、著者は「出羽の守」にならないように、また文化人類学的に「参与観察」をされます。それも15年以上。(たぶん20年間にわたっているのじゃないかな)

 それでもとてもじゃないけど「全体ではない」と書かれてたと思う。

 で、プライバシー確保のために「仮名」「匿住所」そして開始年月も不明とされています。

 地名は書かせて頂く高齢者さんにもうかがって「群島町(アーキペラゴ)」とされます。

 まあ、そのあたり、著者の姿勢もあいまって、なんかめちゃファンタジーみがあります。

 (アーキペラゴと言えば、私なんかはル・グゥインのゲド戦記「影との戦い」を思い出してしまう)


 で、「北欧の福祉が素晴らしい」という価値観ではなく、とにかく体験し、感じようとされています。

 最初は「老人の家」のボランティアとして、またホームケアのスタッフをしたりとかいろいろされています。

 それ以外にも、ご自分のお子さん(乳児の時からかな)を連れていっての研究もされ、あちらの保育園を利用し、サービス利用者としても体験されています。

 で、人々の暮らしや価値観から理解していこうとされているので、その価値観や経済状態の違いから、制度をお互いに移入してもうまくいくってものじゃない、ということは強調してはります。

 確かに、描かれているフィンランド人の高齢者(最近は難民とかも増えてきているので、ちょっと変わってきてるかも)は、みなさん自立心が旺盛で、例えばたくさんの島があるのだけど、島に夫婦二人だけで住んでいて、どちらかが亡くなられても1人暮らしを続けるとかが多い。

 ムーミンの原作者、トーベ・ヤンソンさんも夫と二人きりで島に住んでおられたと。

 しかし、ある夏、漁の網を上げるのが突然億劫になり、そして段が必要になり、仕事をする意欲はあるのに屋根に登る気がしなくなり、そして海が怖くなったそう。

 で、どうやら島を離れたよう。だんだん年老いて、できていたはずのことができなくなっていく感じがよくわかる。

 でもきっと私などが思っている以上に、「そこまで頑張らなくても」みたいなところまで頑張ってはったんやろな。もちろん意識はせずに。

 またケアする人たちも、人里離れたところに一人で住んではる高齢者を、心配しつつもリスペクトしてはる感じがよくわかります。(「困ったもんだ」とは感じて、考えておられない)

 著者の関心あるキーワードとしては「自立」「孤立」「鬱」があると。

 ホームサービスの仲間のサガルさんは、ある高齢者について、クリスマスに子どもたちが一人も来なかった、と憤慨してはる。実はサガルさんはソマリア人で、親戚とのつきあいが濃い。

 サガルさんは、ソマリアからの難民で、フィンランドに来て、学び、資格をとった方。つまりフィンランドはそういうふうに難民を受け入れてはるんや。

 で、「時間がない」「時間がない」とか言いながらも、サガルさんは前日にその高齢者さん宅で2時間もお茶をして、話をしてたと。

 また別の高齢者の時も、ホームサービスとしては食事をとってもらうところでおしまいなのだけど、その後のコーヒーを誘われ「断ると悲しい思いをすると思う」という理由でつきあってはる。

 なんか、ほのぼのしてて、結構いい意味で「ええかげん」なところもあるんだな。

 あと、ヘルパーさんが花束を持って行ったり、利用者さんから贈り物をもらったり、と日本だったらありえない(?)様子も書かれています。

(でも、基本的にはホームサービス(日本で言えば居宅介護か)はすごく短い時間で終わりだし、そうでないと回れないんだけど)

 でももともと家族、親族への「家族で見守らんかい」みたいな圧力はほとんど無く、子どもは出ていくのが当たり前。でも、もちろん家族が支援している場合もあり、そのための制度もある。


一応、どんな制度があるか概観しておくと
※1ユーロは、今日121.60円。120円くらいでだいたいの金額で計算してみる。

1.ホームケア

訪問看護とホームサービスからなる、高齢者、障がい者、病気の人が対象で、自宅での生活を支える。定期利用 者の場合料金は月額で、所得(受給年金額一週ごとの訪問日数によって算定される。

2.支援サービス

@食事サービス:サービス付き住宅エリアの食堂で昼食をとることができる。また。自宅への給食配送サービスもある。いずれも1食 7.5 ユーロ(900円)

A輸送サービス:デイサービス利用者のた青のり合いタクシー。1回3.3ユーロ(400円)

B安全サービス:警報付きドアと安全電話(文字盤の無い腕時計型。文字盤の部分がスイッチになってて、そこを押すと待機している人と話ができる)からなる。いずれも月額24ユーロ(2900円)

Cサウナ・洗濯サービス :いずれも一回につき4.5ユーロ(540円)

3.親族介護者支援(2005年から)

家族・親族を会後している人に対する金銭的支援、レスパイトケアの提供、コーチングなど。「親族」となっているが「近所の人」でも良い。また他の仕事をしていても良い。(フルタイムで働いている人もいる)

親族会後者はえの給付状況は円グラフが出てる。356ユーロ(43000円)が65%くらい。474ユーロ(57000円)が25%くらい。590ユーロ(71000円)が10%くらい。これって月かな?

で、お金もだけどレスパイトがあるのがいいな。そのさいは例えば2時間ホームサービスの人が来て、その間一人で外出できるとかいうふうに使う。

4.デイサービス

@サービスハウス:後述のサービス付住宅エリアの共有施設。訪問介護のオフィス、安全サービスのオフィスの他にランチを提供する食堂がある。年中行事誕生日会などのイベントもここで開催されている。

A認知症対応型デイサービス「お日様」 : 認知症患者に特化したデイサービス。

B自由訪問型デイサービス「老人の家」 : 近隣の住民が自由に訪問するタイプの施設。ただし、契約型のサービスを利用する人もいる。

5.サービス付き住宅とグループ住宅

@グループ住宅:群島町にはアパートで共同生活を送るタイプのグループホームが3か所ある。一般的なアパートの一室で、四人の居住者がそれぞれ個室を持ち、居間やキッチンを共有する。日中は一人のケアワーカーが常駐している。

Aサービス付き住宅:群島町は五つの旧自治体が合併しているが、それぞれの旧自治体にサービスハウスとサービス付き住宅のコンプレックスがある。

Bサービス購入 :NPOや私企業が運営するグループホームやサービス付き住宅のサービスを町が購入している。

6.施設介護

旧群島町には町営の長期介護施設があり、インターバルケア、認知症ケア、長療養型介護を提供している。



 以上が概略。

 最近の流れとしては、新自由主義的なものが徐々に入ってきてるって。

 2019年4月の選挙の結果から、もっと流れは強まってるかな。

で、業務のIT化もはかられているのだけど、そのソフトがくそでまともにシフトが組めないし、また全員にスマホを持たせ二次元コードでサービスの場への入室、退室も管理できるはずが事務処理が増えたって。なんでやねん?


 ただ、時代の流れもだし、都市部とはかなり違うよ、みたいなことも書かれてます。都市部には上記のような雰囲気は少ないみたい。


 それから DNR(蘇生措置拒否。日本の延命措置拒否みたいなもん?)は、本人とともに、資格ある医師も決定権があるみたい。
 でも「気が変わる」ことはOKみたいね。

 2−Bの「安全サービス」ですが、緊急通報システムの担当者は昼は1人、夜は訪問看護師と2人になるそう。
 なるほど、昼は周囲の動ける人に連絡して動いてもらえるけれども、夜はそういうわけにいかないから自分たちのところで動ける人を置くんだな。
 腕時計型「緊急電話」だけでなく、玄関ドアが開いたかどうかのアラームもセットになってる。
 アラームは徘徊対策だけど、「緊急電話」のボタンが押されるのは、転倒、トイレ介助、寝返りなど。

 「緊急電話」は月額24ユーロ(2900円)で、まあ何度でも出動してくれるけれど、都市部では、私企業がやっていて出動1回ごとに36ユーロ(4300円)かかるところもある。群島町のケアワーカーさんは「それは高すぎる」と思ってはる。

 確かにそれだけかかると、押したいと思っても押さない人が出てくるやろなあ。

 まあ、ここに書いたことは「この本では」の出羽守なので、実際にこのご本を読まれることをお勧めします。



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2019年06月09日

給食の歴史 藤原辰史著




給食の歴史 藤原辰史著

 面白かったです。

 著者の政治的立場ゆえか、「ちょっとその書き方は・・・」という点はあるものの、資料はきちんと出ているので、役にたちますね。

世界の給食の歴史

イギリス

1870 義務教育法制定
しかし欠食など、貧困な子を無理に学校に行かせるのは虐待では、というので給食が始まったものの広がらなかった。
1899 第二次ボーア戦争(南アフリカでの戦争 1902まで)
末期に兵士を募集したら志願者の5人に2人しか肉体的適格者がいなかった。
1906 教育法(学校給食法)
・地方教育当局が給食費一部負担
・当局(国のこと?)による学校食堂委員会への援助
・食費の払えない人間から公民権を剥奪しないこと
介入的な自由主義 「弱く、劣っていて、失敗する個人」の救済によって市場メカニズムを維持する
(新自由主義と区別)
最初レストランに外注 不潔で暴利
学校食堂、一部センター方式へ
1922 公費負担が90%
1944 給食は地方教育当局の義務に
1946 牛乳の無償給与規則
1980 サッチャーが給食関連予算カット
(地方教育当局に・・・って国のサービスが地方のサービスになってお金が出なくなるパターン)
そのため、質が悪くなっていたが、最近またよくなってきた。


ドイツ
(ドイツっていつからドイツになるんだろう?)

1790 ミュンヘンで無宿者救済会が給食を開始。
労働者向け簡易食堂の一部で貧困児童に食事を与えた
1875 ハンブルク博愛学校協会
1880 ドレスデン要救済児童給食協会
1890 全国学校教員や学校医のライプツィヒ集会
給食が貧困対策として最も効果的であることが確認された
1896 79市が実施
1897 社民党が全市に普及する建議をしたが
人口の都市集中を引き起こすとして否決。
(ってことは地方ではやられてなかったんだ)
1890〜1907 兵役検査に44〜48%が不合格(国民皆兵)
児童衛生当局が給食を行うことを決断
1909 239都市で実施
1914〜1918 76万人の餓死者が出る
第一次大戦後 食料農業省が児童給食局設置
フーヴァーの欧州食料救恤事業部より義援金品を受け取る
1925 義援金品の期限が切れ、議会は経済状況が厳しいが500万マルクの支出
1927 原徹一が児童給食局を取材した時
対象者 小学校児童 55万人
未就学児 7万人
母親 1万8千人
青年 8千人
第二次大戦後 東ドイツ給食制度整った
西ドイツ 給食普及せず
2009 制度が整い給食復活


フランス

1849 パリ市で学校給食開始
最初は慈善事業職が濃かったが、貧困世帯でない子どもにも給食をするようになった。
貧困家庭の子どもの自尊心を傷つけないため。
食事前に無償給与者リストを作り無料チケット配布。
非貧困層からは一定料金徴収。
1882 給食無償児童 32%
1898 給食無償児童 63%
1909 給食無償児童 30%
1936 文部省が給食全国調査
学校の新設にあたっては学校食堂も設備する旨通知
(現在でも?昼食時間を長く取り、家庭に戻って食べる子どもも多い)


アメリカ

1904 ニューヨークでの小学校児童身体検査
多数の栄養不良児がいることが判明
イタリア系移民の住む東部とアイルランド系移民の住む西部の2校を選び試験実施
好成績だったので組織を整えた
(やはり実験と結果を大事にしてるのかな)
1908 ボストンで虚弱児養護のための「栄養クラス」設置。
1920 「学校教育奨励通牒」が発せられる
1929 大恐慌。
一つの原因は、農業技術の進歩による大豊作とそのために農家が貧乏になり、消費力が落ちたこと。
1936 ニューディールの一環。
余剰農作物の市場開拓、失業婦人の雇用のため国家政策の日程に登る。
1946 「連邦学校給食法」
1981〜1989 レーガン政権による人件費節減


韓国

1908 梨花学堂(現在の梨花女子大学)の寄宿制に食事提供
1953 朝鮮戦争後、ユニセフなどの援助のもとでパン給食始まる
1973 外国からの援助が終わったが、パンと牛乳の給食実施
1981 学校給食法
1988 (ソウルオリンピック)欠食児童が再び注目される
1998 初等学校での実施率99.9%
2000 朝食、夕食、休み期間中、未就学児の欠食にも対策
2003 中学校でも全国で導入
ソウルで集団食中毒
2006 ソウルで集団食中毒
これらにより民間委託から直営への転換の動きが大きくなる
2011 ソウルで小・中学校給食完全無償化
2016 全国で無償化率は小学校95.6%、中学校78.3%


日本

1806 会津の藩校日新館 15歳以上の諸生に2年間昼食提供
1831〜1845 天保期
手習所(庶民の師弟に読み書き算盤を教えた)で貧困者に食べ物を与えたい(与えた、ではなく)と文献にある
天保7年には天保の大飢饉。
一揆と打ち壊しが頻発
天保8年には大塩平八郎の乱
幕末 松下村塾で塾生に食事を出す
他にもこのような例はあったと思われる
1872 学生発布 授業料月50銭
翌年の調査 就学率男子39.9%
         女子15.1%
1886 小学校令
1889 忠愛小学校(仏教各宗派連合立。山形県西田川郡鶴岡町)
設立と同時に給食開始。基金は托鉢で賄われた。
1890 第二次小学校令
1900 第三次小学校令 義務教育無償化
1919 佐伯矩の援助で、東京府内の小学校でパンによる給食が始まる 
1920年代 女性就学率が100%に近づく
1921 原徹一が郷里岐阜県恵那郡川上村で副食(みそ汁)の給食を始める
1922 この頃より医師岡田道一が牛乳の普及に尽力
日比谷小学校保護者会による49回の給食実験が行われ、4〜5人の発育が改善した
1923 関東大震災
大阪毎日新聞と大阪朝日新聞の義捐金で学校給食をすることに
1931 東北地方冷害
1932 五一五事件
「学校給食臨時施設方法」「学校給食臨時施設方法に関する件」公布 国は3年で210万円を支出することを決定 しかし資金は十分ではなく学校関係者の個々の努力(それこそ釜を作るところから)に頼る部分も大きかった
1934 東北地方冷害
1936 二二六事件
1938 警視庁衛生部獣医課が東京市で子どもに牛乳を飲ませる取り組み
志那事変の勃発による体位向上の必要性から
1940 「学校給食奨励規程」「学校給食の実施に関する件」公布
欠食児童対策から全児童の体位向上に舵が切られた
1941 東條英機の食糧協会食糧学校での言葉
「食う物が足りないと不足を唱うる事は、(中略)、唯人間の知恵が足りないからであります」 ただし
1944 東條は
「決戦非常措置要綱に依る大都市国民学校児童学校給食に関わる件」を閣議決定 また農商次官通牒として疎開児童にも配給が届くようにし、それらの政策で人気挽回をして政治生命を少し長く保てた
1945 敗戦
上野の地下道での餓死者は1日7〜80人
日比谷公園で児玉誉士夫らによる「餓死対策国民大会」
1946 食糧メーデー GHQは「暴動」であると声明
GHQや旧日本軍の備蓄食糧を何度も放出したが、栄養状態は改善されなかった
フーヴァーを中心とする調査団が
「このままでは日本国民の栄養水準はドイツの強制収容所と変わらない」と警告
これをきっかけにガリオア資金による食糧援助スタート
 ララ物資(LARA。アジア救援公認団体)もやってきた
東京でララ物資を用いた給食開始
1947 給食用脱脂粉乳購入開始(まずく、下痢も多く不評)
石垣順二(当時、ラジオで解説する医師として有名)が「脱脂粉乳返上」を説いた。
1951 サンフランシスコ講和条約
当時の大蔵大臣の池田勇人は給食を無くそうとし、文部大臣天野貞祐以外の閣僚もそれに賛成。
「給食は社会主義だとの論もあるので」というのが無くす理由。
天野は「他人の弁当ののぞきこんだり、偏食ということも無くなる。礼儀を教えることもできる。一定のカロリーの食を全ての生徒に食べさせることができる等々によって精神、身体両面から有益で是非とも実行したい」と反論。
またその後、池田家を天野が訪れ頭を下げた。
そして様々な草の根運動も大きかった。
(しかし、裏で文部省が動かしてたんだって(笑)ええことするやん)
1965 すずらん給食


当時の首相佐藤栄作が「いまなお欠食児童がいることは政治の責任」と4億円の緊急支出を閣議決定
(選挙対策であっても、ええことはええこと。今だったら消費税増税停止か廃止で累進課税強化、法人税も累進強化とかかな?)

沖縄では給食開始は遅れた。 戦闘で建物が無くなっており、学校が青空学校であったため。
1949からリバック物資(カトリックの援助物資)により完全給食への移行ができた 


GHQ側担当者 サムスの考え方
・米と小麦の戦いで小麦が勝った
・日本人にも小麦、脱脂粉乳、肉の味を覚えさせる
・GHQの占領意図の完遂(反共、防共)
・無償給食反対(それは社会主義、共産主義であるというような観点)

ただし、こういうところから「アメリカ農産物を売り込むための陰謀」という意見が出るが、日本も欲しがっていたことに注意が必要。どちらの利害も一致していた。

どの国でも、給食を受けることがスティグマにならないように配慮している。
そのために一番良いのは「全員無償給食」
(もちろん、今だと、どうしてもダメな子には弁当持参を許してもいいだろうけど)




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2019年05月27日

映画「小さな恋のうた」




出演

佐野勇斗(「羊と鋼の森」の山崎賢人の弟役)
森永悠希(いろんな映画でよく見ますよね)
山田杏奈(LOTTEのCMに出てるって)
眞栄田郷敦(お父さんが千葉真一ってまっけんゆうの弟やよね)
鈴木仁(イケメンやなあ、と思ったらメンズ・ノンノ出身)

 めちゃ面白かったです。

 なお、月曜日の2回目(10:50から)ということもあって、観客6人。

 しかし、仕事しつつ、介護しつつ、映画を観る時間をひねり出す、って結構たいへんなものですね。

 もう「青春映画」ってだけで点が甘くなるけど、最初の方で予想を裏切られるというか、もう観て下さい。

 私も友人にギターを貰ったので、すぐ手に取れるところに置いているのですが、なかなか音を出せない。

 やっぱり音を出したいな。

あっ、世良公則さんも出てて、もうぴったりの役でした。

ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの
ただ あなたにだけ届いてほしい 響け恋の歌

 でも、私にとっては音を出すことよりも、演奏とは実践なのかも。

 そうだよね。

 この目の前の人にだけ届いて欲しい。

 そういうことかもしれない。







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2019年03月30日

映画「翔んで埼玉」




 神戸近辺で見ようと思うと「OSシネマミント神戸」か「109シネマズHAT神戸」まで行かないと見れません。

 で、ミント神戸はもう1日2回しかやってない・・・

 もう集客も下り坂かな、と思ったら、昨夜予約した時はあまり席が埋まってなかったのに、行ってみたらほぼ満席でした。

 映画ランキングでも先々週は4位だったのが、先週は2位にまた上がってますね。盛り返してきたのかな?

 もう、はちゃめちゃで面白かったです。

 出演者は犯罪を犯そうと、営業が変なコラボをしようと、作品は作品だよな、と思いました。


 しかし、1か月半、映画は見れてなかったのですが、母がデイサービスに行き出したので、ぎりぎりの時刻で見に行くことができました。福祉サービス、大事だよな。


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2019年03月19日

野の医者は笑う 東畑開人著




 東畑さんは京大出身。で、最初の指導教官が山中康裕さん(もう破門されているかもしれないが、ってことですが)。ってことはどういう流派かというのはイメージできます。

 なお、山中さんは2000年を過ぎてからのご著書で「自閉症はカウセリングで治る」と書いてはったのを見て、私は「もうカウンセリングと題名にある本は買わないでおこう」と決意した思い出があります。

 また私自身、1980年頃からカウンセリングの学習と体験を続けていました。一応「終結」していたのですが、その後1998年頃かな、師匠と町であれこれ議論していて、

師匠「それでは自閉症は治らんぞ」
私 「治らなくていいんです」

という会話をした瞬間、「あっ、終わった」と実感できました。

 まあ、カウンセラーというのは公的資格はなく(臨床心理士も民間資格)、先日やっと「公認心理士」という国家資格ができました。私は「日本カウンセリング協会」という民間団体で勉強していましたが、ある意味、師匠も「野の医者」みたいな立場だったと言ってもいいでしょう。

 東畑さんは、臨床心理学と沖縄に多い野の医者(ユタのところにも行かれていますが、ユタよりも、著書内のX氏や北海道から沖縄のえらいさんたちに請われてやって来られた方たちから急激に広がった流れに興味が大きそう)との異同はどこにあるのか、という興味から関与観察されました。

 なお、ある大学教授が日本の臨床心理士のことを意味としては

「精神分析もどきのユンギアンフレーヴァー溢れるロジェリアン」

と形容しはったそうですが、私は「精神分析もどき」はたぶんないけど「ユンギアンフレーヴァー溢れるロジェリアン」というあたりは一生懸命勉強してるころの私にも当てはまるな。

 野の医者が「傷ついた治療者モデル」であるというのは予想はついていたけれど、「傷つきから癒された」つまり「もう癒されなくていい」人ではなく「治療することで癒され続ける必要のある人(大意)」というのは面白かったです。

 なお、「野の医者」の使ってはるのは、ポップ心理学(自己啓発セミナーとかもここから出てきてるって。基本的にポジティブシンキングをさせようとするもの)というものになるそう。しかし根っこはロジャーズなんかも含んだ人間性心理学から出てきてると思ってたし、まあ兄弟と言ってもいいようなもんかもしれない。

 また「生計をたてるシステム」としては、セッションそのものではなく、

「癒されたと思う人がもっと学びたい、他人を癒したいと思う」時にスクールを開き、そのスクール収入で一部の人は生計を立てると。

 もちろん生計をそれで立てられる人はごく少数で、たいていの人は別の手段で稼ぎつつやっている。

 しかし・・・これって、家元制度もだし、多くの普通の学校だってそういうことかもしれない。

 また最後にヒーリングのイベント(これが沖縄ではたくさんあるそう)で、アンケートをとった時、そのアンケートを見た方から東畑さんは

「まだ沖縄のことがわかっていませんね」

と言われてはります。それは収入欄。

 東畑さんは首都圏で使われたアンケートを参考にして、収入(年収)の最下限を300万円未満にしてはりました。でも沖縄だったら200万円未満、100万円未満も作らないと、と。

 なぜ沖縄に野の医者が多いのか、というのはここにつきるのかもしれないな、と思いました。

 東畑さんもアカデミックポストにつこうとしてはって、「決まった」と思ったら実はそれが決まってなくて無職になった時期があり、その時にうつっぽくなられた、ということを書いてはりますし。(で、その手の話はよく聞きます。九州大学の放火自殺の事件もあったし・・・)

 しかしポップ心理学と、認知行動療法、あるいは最近よく福祉業界で言われるリフレーミング(ネガティブなことも見方によってはポジティブに見える)とどう違うのかな、と思ったら、認知行動療法の解説には

「ここで注意すべきことは,患者の否定的思考(negative thinking)を肯定的・積極的思考(positive thinking)に転換することが重要ではない点です.認知療法は,ある状況をみる視点はいくつも存在すること,その中には患者の否定的思考よりも適応的(adaptive)・現実的(realistic)な視点が存在しうることを,患者が自覚できるように援助します.」

とありますね。


 なお、私自身はカウンセリングの考え方そのものには否定的な思いはありません。



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