いや、なんか副題が小っ恥ずかしいぞ。
原題は『La Nouvelle Femme(新しい女性)』だから、そっちにするか「マリア・モンテッソーリ」だけにしてくれてたら良かったのに・・・
テアトル梅田に来てますが、同じ系列のシネ・リーブル神戸にも来るかも、と上映予定作品を観察してたんですが、出てこずこのまま終映で神戸まで回ってこなかったら後悔する、と思って行って来ました。
テアトル梅田は梅田スカイビルにあるってことだったんですが、大阪駅方面からスカイビルイーストに入るところが玄関がよくわからず(後から考えるとあえてわかりにくくして、イーストとウエストの間の中央に人を誘導しようということだったんですね、たぶん)、何とか見つけて入ると、そこではテアトル梅田に関する案内はなく、困ってしまってたまたま歩いてたどっかの社員さんに尋ねたら、イーストからしたら外れに出っ張ってるようなところのエスカレーターかエレベーターで上がるようになってました。
で、エスカレーターで上がっていくと、4階まで行くと目の前に映画館があるのですが、チケット販売は3階でしかやってなくて、なぜわからなかったのだろうと思ったら、エスカレーターで3階に上がったところに大きく展望台行きと書いてあり、4階に上がる方の壁面にいろんなのに混じって小さく「テアトル梅田」と書いてあるのがわかりました。
私としてはそちらの壁面を見る前にエスカレーターの乗口に視線が行ってしまうので、まったく気づきませんでした・・・
もうトラップだらけでした。
ーーーー ネタバレアリ ーーーーーー
モンテッソーリさんについては Wikipedia では
で、この Wikipedia では
1896 イタリア初の女性医学博士号取得
(その後) 精神病院に職を得た
1907 ローマの貧困家庭の子供たちに応用する機会を得る(「子どもの家」だろうな)
1907 ローマの貧困家庭の子供たちに応用する機会を得る(「子どもの家」だろうな)
となっているわけですが、ここに詳しくは書かれていない1900年〜1907年の間のことが描かれています。
で、1900年当時は「教育研究所」を恋人(と言っていいのか?マリアの婚外子の父親)のジュゼッペ・モンテサーノ(イタリアの児童心理学と神経精神医学の創始者のひとり)と運営していた。これは知らなかった。
ってか、どこまで実話に基づいているかはわからないのですが。この映画のもうひとりの主人公、高級娼婦のリリ・ダレンジって人は創作とのことですし。
モンテッソーリさんはプレゼンをする時、「イタールの弟子のセガンの開発した(中略)メソッドで・・・」とかソースというか先行研究について語ります。でもリリは「業界の話なんて退屈。私が開発したメソッドって言うのよ」と助言するシーンが面白かったです。
しかし、確かにイタールやセガンが「できるんじゃないか」という態度(それはすごく大事)は引き継いているだろうけど、教材・教具を含めた総合的なシステムを 0 から 1 にしたのはモンテッソーリさんだろうから、モンテッソーリ・メソッドと呼んでもいいんじゃないかな、とは思うな。
なお、出てくる教育研究所の子どもたちは、実際に何らかの障害を持っている子たちが出ています。で、演技にちゃんとなっている(ってかそれぞれの子どもに合わせるように撮影していった部分もあると思います)のがすごいです。
1870年(明治3年) モンテッソーリ生まれる(ちなみにイタリア統一完了の年)
1900年(明治33年) 映画で描かれた時点
1900年(明治33年) 映画で描かれた時点
ということで、日本でもそうだけれど、女性は見えない存在にされていた、ってことがあるのだろうな。結婚できなかったことも、婚外子がいることを秘密にせざるを得なかったあたりも。
だから「その時代」の背景があるから、現在の視点でモンテサーノを非難することはできないのだろうけど、何だかなあ、とは思いますね。
私の昔のまとめ。