私の関わりのある法人

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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2017年03月27日

"町内会"は義務ですか 紙屋高雪著




"町内会"は義務ですか 紙屋高雪著


 最近、地域の「町内会みたいなもの」デビューをしました。
 なんか社会福祉協議会の支援を受けて困りごとを解決しようみたいなことを始められてて。場合によったら「朝のゴミ出し」のお手伝いくらいだったらできるかな、と、その前段階の勉強会には出席させてもらいました。

 あと、地域の人たちのそれこそ「居場所」的なところとしてカフェも曜日限定で始めてはったのですが、土曜日も仕事があるので行けていませんでした。しかし現在の職場を退職することになり、少し時間に余裕ができたので、初めて行ってみました。

 ごく普通の(ドトールやマクドナルドとかじゃなく)喫茶店の価格でした。少し高めかなとも思ったけれど、まあコミュニティ維持費用かなと、一週間に一度くらいは行ってみようと思いました。

 私の場合は、まあ隅っこのほうでちょこっと何かができたらいいかな、くらいで思っていますが・・・

 紙屋さんの場合は、それまで頑張って町内会長をやってこられた方が突然亡くなり、「会長を引き受けてくれないか。私達も協力するし」と話をもって来られて引き受けはります。


 実は、私は大学時代に学生自治会の役員をやっていました。学生自治会というのは、まあ、中学校や高校にある生徒会のようなものだとまずは考えてもらっていいでしょう。その全国団体の役員もしていたこともあります。浜田さんも鶴島さんも、私のそういう経歴を知っていました。だから、この男なら、御輿の上にかつがれてもいい、と言いだすのではないかという目算があったのだと思います。

 いや・・・大学の自治会は中学や高校の生徒会とはだいぶ違うと思うぞ・・・
 Wikipediaに紙屋さんの経歴がありました。


 またこんなブログをやってはります。


 しかし、この協力すると言っておられた方達、ご家庭の事情でほどなく転居・・・
 たいへんやあ。


 なお、「町内会」と「自治会」は同じものと思って構わないんだって。
 その他の名前としては「区」「町会」「部落会」「区会」とかがあるって。




いろんな自治会でやっていることの例

   ○夏祭りなどの地域のお祭り
   ○回覧板による住民への広報活動
   ○防犯灯の設置と維持管理
   ○清掃活動・リサイクル活動
   ○中にはビジネスに取り組むところも
   ○高齢者の見守り 住民の相談、生活支援
     なお、紙屋さんも24時間電話OKにしてみたが、
     かかってきたのは2か月に1本程度だったとのこと

 なお、紙屋さんは文を書いたり広報文書を作ったりはめちゃ得意だからそこの分野で頑張っただけで、「どうだ、こんなすごい活動をしたぞ」というようなことは無い、と書いてはりますが、後を読めば、なかなかできないことをやってはる。

 なお、地元の外国語学校が、中国人留学生の寮としてUR団地の空き部屋を借り上げるという計画が団地に持ち込まれた時にURと団地住民の間にたってやったこと。
 大量の通学用自転車が持ち込まれて駐輪場がパンクするのではないか、という心配に対して。

   ・学校は学生にシールを渡す。(どれが外国人学校関連の自転車かわかる)
   ・団地の人たちがそれまでにあった放置自転車を撤去。
   ・それでも場所が足りない場合はURに駐車場増設をお願い。

 結果 日本人もびっくりするくらいマナーの良い駐輪が実現した。
    (ってか、それまで日本人もええかげんだったに違いない)

 よく、
「外人はゴミ出しマナーがなってない」
「外人は駐輪マナーがなってない」
とか文句を言ってはるのを聞いたり見たりすることも多いけれど、それ以前の努力を地域の人がしていない点も多々あるやろな。
 漫画「テルマエ・ロマエ」でロシア人の入浴マナーが悪かったのは、わかるように伝えていなかったからで、視覚的にわかるように伝えたら、マナーが良くなった、ってストーリーがあったけど。


 しかし紙屋さん、「校区」の会議は忙しくて出られない、と宣言してはりました。
 どんな方が参加しているかと言うと・・・

   ・町内会長 たくさん
   ・防犯委員会
   ・防災委員会
   ・交通安全委員会
   ・衛生委員会
   ・環境委員会
   ・男女共同参画委員会(旧婦人会)
   ・青少年健全育成委員会
   ・体育協会
   ・社会福祉協議会
   ・老人クラブ
     などの団体の代表者

 なお、「校区」の会議に欠席し続けていると、「校区」の規約に「欠席はまかりならぬ」みたいな文言が加えられ、ついにはある時出席したら「吊し上げ」されてしまいはります。

 「吊し上げ」?「査問」?「総括」?

 いやはや・・・

 もちろん「校区」の会長さんは一生懸命なのでしょうが・・・

 ところで、大山さんや石田さんはなぜこんな「暴挙」に出たのでしょうか。
 実は、私以外にもこのようなつるしあげにあった町内会長は何人も出ました。
 やはり私と同様に、出席率・動員率が悪いということで、居残りさせられ、集団で罵倒を浴びせられたのです。一人の町内会長は、心を入れ替えることを誓わされました。
 別の町内会長は、休会して校区と無関係に行事をやっていることをなじられて、やはりつるしあげられました。この人は、町内会長をやめて、別の町内会長に交代しました。
 他にも数例ありましたが、手法はすべて同じだったようです。
 会議で突然追及され、居残りさせられ、つるしあげられるという手法です。
 中国の「文化人革命」時代に、ある日突然悪者にしたてあげられてしまう指導者の話を思い出しました。
 大山さんをはじめとする校区自治協の役員のみなさんは、行政が求める補助金の要綱(行政が定める8つの事業をきちんとやり、校区内の8割の町内を組織できれば補助金を受け取れる。第1章参照)どおりの模範的な活動をきっちりそろえようとしています。それを補助金目当てだとか私物化したいのだと悪口を言う人もいるのですが、私は必ず
しもそうは思いませんでした。
 もともと大山さんは、それ以前の自治協の悪いところをただすという姿勢ででてきた会長で、新しい機軸を次々とうちだしていた自治協会員でした。最初に校区の自治協を脱退していった町内会は、「旧弊」扱いされたようで面白くなく、そのあつれきのなかで抜けていきました。
 いわば改革者として登場したのが大山さんでした。なので、嫌がる人も多いのですが、逆にファンもいるのです。
 しかし、行政が求める「町内会・校区像」に強く縛られ、それを無理矢理にでも実現しようとして、規約や威嚇まで使うようになってしまったのでしょう。ふと、ロシア革命がその後、スターリン体制の恐怖政治になってしまったことが思い起こされました。
 大山さんは「行政の下請け」であることを極端にまで推し進め、いっさいのボトムアップを否定してしまった存在だということができます。その中でおきた悲劇ではないかと、私は今では考えています。
 つるしあげをうけて、日付も変わりかけた夜道を、私は自転車をこぎながら、「もう自治会長をやめよう」と心に決めていました。ここまでの負担を背負ってやるものではないと思ったからです。

 これは町内会が「住民の親睦を深める」「住民の困りごとを行政などに伝える」という役割と、「行政の下請け」の役割の二面があり、その後者の面だけをやろうとした悲劇かな。

 なお、紙屋さんはこの本の中でも「私はコミュニスト」と定義しておられます。
 そして、当然のことながらコミュニストとコミュニティは語源は同じですね。

 で、紙屋さんは会議を開いて会長をやめようとしますが、後を引き継ぐ人が誰も出ません。そこで町内会を解散することにしようとしますが、参加者のお一人が「祭りだけでもできるような会を作りませんか」と提案され、現在の町内会は休止して、新しい会を作られます。その会は

   ・加入の強制なし
   ・加入者もできる時にできることだけすればいい
      合い言葉
     「『今回は遠慮させてもらいます』
      『当分は忙しいです』を気軽に言える自治会に」
   ・町内会費なし(それまでの町内会費には手をつけない)
   ・全員まったくのボランティア
     (好きでやっているのだから、
      やっていない人に文句は言う必要ない)
   ・もし「いやもっときちんとした町内会にしよう」という
    人が出てくれば、休止した町内会の会費を引きついで
    やって下さってよし。(「言い出しっぺ」の原則ですね)

 なお、町内会・自治会は「強制加入では無い」という最高裁判例が出てるそうです。

 また町内会・自治会や「絆」が息苦しいものになるのは、「負の社会関係資本」と言える。社会関係資本というのはいいものばかりではない。その典型例は戦時中の町内会かも。

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2017年03月25日

オープンダイアローグとは何か 斎藤環著+訳




オープンダイアローグとは何か 斎藤環著+訳

 なるほどなあ、の連続でした。
 しかし、これをお医者様が実践に使うのはかなりたいへんかもしれない。
 本の中でもそれが書かれてます。
 ひょっとしたらケースワーカーや相談支援でのほうが似たような形を取れるかもしれない・・・しかしむつかしいかなあ・・・


 太字(ボルドー)が本からの引用

 セイラック教授はオープンダイアローグが「技法」や「治療プログラム」ではなく、「哲学」や「考え方」であることを繰り返し強調しています。


で、その源流はバフチンとヴィゴツキーだって。


1895-1975
 ロシアの文芸評論家、言語哲学者。
 言語現象の原理探究を生涯のテーマとする。
 言語を発話者個人の内面に帰属させる見方と、
言語を個人から自律した抽象的構造体とみなす
構造主義という当時の言語学の二大潮流を同時に
批判し、社会と集団の観点から言語現象の本質
として「対話性」を見出した。ポリフオニーや
ヘテログロシアなどの概念はこうした文脈から
登場したものである。



1896-1934
 旧ソヴィエトの心理学者。
 幼児の発達研究で大きな貢献を残した。彼の研究によれば、
@人間の精神は記号、特に心理的道具としての言語を
 使用することをその機能としており、
A精神発達の過程において、まず人々とのあいだで
 対話を通して記号使用を学び、そのあとに個入内での
 言語使用つまり内言が可能になるという順序をたどる
 (社会的水準から心理的水準へ向かう発達)。
 この研究によって、個人の内面の発達から社会性の
獲得へ向かうと考える当時の発達観を覆した。
 38歳の若さで亡くなったために、研究としては不十分
な点が残るとされるが、この点に関して心理学者
ジェームズ・ワーチがバフチンの理論で補完できると主張し、
ヴィゴツキーとバフチンをつなぐ研究を行っている。この
研究がオープンダイアローグに流れ込んでいる。


やり方について

 患者もしくはその家族から、オフィスに相談依頼の電話が入ります。このとき、電話を受けるのは医師だったり看護師だったり心理士だったりPSWだったりとさまざまです(実際には看護師が多いようです)。いずれにしても、最初に相談を受けた人が責任を特って治療チームを招集し、依頼から24時間以内に初回ミーティングがおこなわれます。
 参加者は患者本人とその家族、親戚、医師、看護師、心理士、現担当医、そのほか本人にかかわる重要な人物なら誰でもいいのです。このあたりの非常に「オープン」なところが、この治療法の特徴です。このミーティングは、しばしば本人の自宅でおこなわれますが、場所は別にどこでも構いません。初期のオープンダイアローグは病棟でおこなわれていましたし、ホテルの一室でおこなわれる場合もあります。


 これを読んだ時、「絶対日本じゃ無理じゃん。予定の調整、人件費、その他その他・・・」と思いました。しかし、斉藤さんが台湾でワークショップを受けた時、ミーティングに参加するスタッフの人数について質問したところ、あれ?該当箇所を発見できない・・・確か「一番いいのは3人」と回答があったと書いてあったと思うのだが。
 3人ならなんとかできるかも、と思った。
 例えば相談支援では「支援会議」だったらもっと集まるし、介護保険のケアマネさんの「担当者会議」でもそのくらいは集まることは普通だろうし。

 そして、初期の密度の高い対応によって、結局コスト(それはご本人のQOLもだし、専門家の人件費もだし)は安くつく、と。


 そして、何かが決定される場合は、必ず本人のいる場で、と。

 薬物治療や入院の是非を含む、治療に関するあらゆる決定は、本人を含む全員が出席したうえでなされます。スタッフ限定のミーティングなどはいっさいありません。本人と家族、関係者ら全員の意向が表明されたのちに、治療の問題が話し合われます。
 仮に患者が入院した場合でも、同じ治療チームがかかわりを持ち続けます。こうした心理的連綺陛は、患者や関係者の安心を支えるうえで、きわめて重要な要素です。緊急事態が去り症状が改善するまで、同チームのかかわりは、本人のみならず家族に対しても続けられます。発症直後のような緊急時に、密度の高い介入をおこなうという点で、オープンダイアローグは通常の家族療法とは大きく異なっています。

 そして

 クライアントやその関係者など、すべての参加者には、平等に発言の機会と権利が与えられます。ミーティングにはファシリテーターはいますが、対話を先導したり結論を導いたりするような「議長」や「司会者」はいません。ちなみにファシリテーターとは、中立な立場を保ちながら折に触れて話し合いに介入し、議論がスムーズに進行するよう調整しながら、相互理解に向けて、議論を広げたり深めたりするような役割を負った人のこと指します。
 また原則として、話し合いの最中には、スタッフとクライアントのあいだにもはっきりした区別はもうけません(後述する「リフレクティング」の場合などは別ですが)。ただしこれは、「専門家」や「患者」の立場を否認する、という意味ではありません。オープンダイアローグでも患者(patient)ないし専門家(professional)という言葉は普通に用いられます。
 重要なことは、オープンダイアローグにおいて「専門性]は必要ですが、「専門家が指示し、患者が従う」といった上下関係は存在しない、ということです。オープンダイアローグとは、専門家と患者が、完全に相互性を保った状態で対話をすることなのです。


 そして「反薬物治療」や「反精神医学」でないことを、斉藤さんは強調している。
 いや、ほんま、勘違いして「褒める」つもりでとんでもないことを言い出す人がいるだろうことは想像に難くないからなあ。

 で、毎回、最後にファシリテーターが結論をまとめるのだけど、「何も決まらなかった」ことを確認する場合もあり、また1回は1時間半程度で十分とのこと。

 なお、リフレクティングというのは、ご本人の前で専門家同士が話し合うこと。「自分の目の前で自分の噂話をされる」という状況に近いと斉藤さんは書いてる。

 後ろのセイラックさんの論文を訳した部分で例が出て来ます。
 この対話の中のTMとTFがやりとりしている部分がリフレクティングにあたるそう。

M(息子)レスリングをしてたんです。
TF(女性のセラピスト)本気のけんかだったんじやないの?
M  誰かを戦わせるみたいな……
TM(男性のセラピスト)どっちからつかみかかったの?
M  父がキレてきたんですよ。
TM どっちから始めたのかな。
TF  どっちが押さえ込んだの?
M  え?と、僕が父の首根っこを押さえました。
Mo(母親)そうでしょ、私が言ったでしょ……(笑)
M  体を鍛えたことはなかったけど、がっちりヘッドロックを
  決めてやりました。父は何年もボディビルをしてたし、
  僕はろくに運動したこともなかったんで、ちょっと怖かったけど。
TM(他のチームメイトに向かって)うん、これはあれだね、
  きみんとこの子が怒ったときの……
TF っていうかね、お父様も息子さんがこれだけ強くなったことを
  自慢に思ってもいいんじやないかしら……
TM うんそうだけど、でも自分かつかみかかられてごらんよ……
TF それでもね、お父様は、息子さんがレスリングで負けない
   くらい大人になったことを自慢していいわよ……
M 事実を話して構いませんか?
TF 息子さんの言ったことについて考えてたんだけど、
  あの夢がすべてかどうかについて……
  でも彼のご両親とは議論になっていた。
M けれど、あなたにも考えてほしい……
TF こんなことは思春期くらいじやよくあるわよね。
  何にでも反対してけんかしたりとか。
TM そう、こういうことはつまり……
TF  ……遅い思春期。
TM 急成長というか、別の形の?
TF 別の形ね。私が思うに、お父様が数学教師だったりすれば、
  発狂しそうなくらいの難しい状況になるわね、もちろん。
M そう、それは2=1にしようとした僕にとって
  最後の藁一本〔訳注jみたいなものだった。
TF そうね、最後の藁に違いない。
M 父さんは僕が殺意を持っていると誤解して……

訳注
「最後の藁一本が、らくだの背骨を折る]から。


この手法を支える理論

1.詩学(poetics)
  1)不確実性への耐性(あいまいさに耐える)
  2)対話主義
  3)社会ネットワークのポリフォニー
2.ミクロポリティクス(micropolitics)

   斉藤さんはミクロポリティクスについて制度的背景のこと、と書いてはる。
   このYahoo!知恵袋を読むと、曖昧模糊としたものに対処しているうちに
   明確な形をとってくるもの、とか書いてるので、あれこれやってみてる
   うちにやることが変化しはっきりしてくる、みたいなことかな。
   最初から明確なやり方なんか決まらないよ、という。




 なお、斉藤さんはACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)との親和性も書いてはる。

 そしてアメリカは保険会社が主導権を握っているマネージドケア・システムの弊害で著しく困難ではないかとのこと。



 しかしアメリカでもオープンダイアローグを研究している方はおられ、さすがマニュアルの国、マリー・オルソン教授は守られるべき基準として12項目を挙げて下さっている。

1.ミーティングには2人以上のセラピストが参加する
2.家族とネットワークメンバーが参加する
3.聞かれた質問をする
4.クライアントの発言に応える
5.今この瞬間を大切にする
6.複数の視点を引き出す
7.対話において関係性に注目する
8.問題発言や問題行動には淡々と対応しつつ、その意味には注意を払う
9.症状ではなく、クライアントの独自の言葉や物語を強調する
10.ミーティングにおいて専門家どうしの会話(リフレクティング)を用いる
11.透明性を保つ
12.不確実性への耐性



 また、「浦河べてるの家」と似ているところも指摘してはる。
 私も「三度の飯よりミーティング」とか「当事者研究」でご本人にいろいろ語ってもらうところとか似てるなあ、と思うもんな。
 また幻聴を「幻聴さん」と名付けるところとか、後で出てくる「外在化」して対処しやすくする、というのと同じなのかな。でもって、これは妖怪ウォッチでいろんな妖怪が出てくるのと同じなのかもしれない。


 あと、上記の対話例のようにトラブルの中にも「いい芽」を見つけたりはするのだけど、「困ったこと」をことさら「肯定的言い換え」をしたりはしない、というのが印象に残りました。確かに、それはご本人を「置いていく」ことになりかねないもんな。


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2017年03月18日

「経済学者 日本の再貧困地域に挑む」鈴木亘著



「経済学者 日本の再貧困地域に挑む」鈴木亘著


 鈴木さんは学習院大学経済学部教授
 社会福祉が専門の研究者であるけれど、文献だけでなく、フィールドにも出ていく方であるとのこと。


序文にある、鈴木さんがこの本で書きたかったこと。

1.「改革の中身よりも、どう実行するか」
2.「人口減少社会に合わせた社会の正しい縮み方はいかにあるべきか」



 大阪市西成区に「あいりん地区(釜ヶ崎とも呼ばれる)」がある。

「あいりん(愛隣)」という地名は地域のイメージアップのために行政が1966年につけた。しかし地元の人は「釜ヶ崎」という呼称を今でも使う。

 タテ・ヨコ1kmの三角形に近い台形のエリアで、面積約0.6km^2
 西成区全体の1割にも満たない

 ここに住民・日雇い労働者・ホームレス・生活保護受給者(住民とは少しスタンスが違うのか?)・バックパッカーがひしめいている。

交通の要衝

 「新今宮駅」は、JR大阪環状線、南海電車の乗降駅。
  すぐ東側に大阪市営地下鉄御堂筋線、堺筋線の「動物園前駅」もある。
  道路も国道43号線、国道26号線、堺筋、紀州街道、阪神高速14号線(松原線)がある。
  主要観光スポットに近い
    北側2kmにナンバ。
    手前は日本橋(にっぽんばし)
   「動物園駅」のすぐ北側が通天閣。
    あべのハルカスは1km東。

 私も、日本橋(よく行った)や通天閣、動物園、一心寺あたりは行ったことがあるのだけど、釜ヶ崎がこういう位置関係にあるのは知らなかった。

歴史
P36とP55の年表を元に

1961 第一次釜ヶ崎暴動
1962 (財)西成労働福祉センター設立
1963 大阪市立あいりん小・中学校設立(1984閉校)
    済生会今宮診療所第4代所長に本田良寛医師就任
1966 あいりん地区対策三者協議会(府・市・府警)設置
    あいりんの呼称が作られる
1969 全日本港湾労働組合建設支部西成分会発足
    (全港湾)
1970 大阪万博開催
    あいりん総合センター設立
    釜ヶ崎協友会発足
    (後の釜ヶ崎キリスト教協友会)
    第1回釜ヶ崎越冬闘争
    第1回釜ヶ崎メーデー
1971 福利厚生資金(モチ代・ソーメン代)の創設
    (2005年まで)
    大阪市立更生相談所開設
    (2014年西成区役所に統合)
1975 釜ヶ崎炊き出しの会発足
1976 釜ヶ崎日雇労働組合発足
    (釜日労)
    60年代、70年代を通じて現金求人数50万件前後
1980 釜日労による釜ヶ崎春闘の賃上げ闘争開始
    (1992年まで)
    子どもの里開設
1980年代 バブル経済の好況
1989 現金求人数 1874000件
    この頃、簡易宿泊所(ドヤ)200軒越え
1990 第22次釜ヶ崎暴動
    5日間投石・放火・略奪が続いた
1992 釜ヶ崎高齢日雇労働者の仕事と生活を勝ち取る会(勝ち取る会)発足
1993 現金求人数 889000件
    釜ヶ崎就労・生活保障制度実現をめざす連絡会(反失連)発足
    釜ヶ崎医療連絡会議(医療連)発足
1994 高齢者特別清掃事業(特掃)開始
    あいりん総合センターの夜間開放
1998 大テント設置
    今宮中学校南側のホームレステントに対する行政代執行
1999 特定非営利法人釜ケ崎支援機構発足
    釜ケ崎まちの再生フォーラム発足
2000 あいりん臨時夜間緊急避難所(南シェルター)設置
    簡易宿泊所からサポーティブハウスなどへの転業始まる
2002 【ホームレス自立支援法施行】反失連、野営闘争開始
    佐藤訴訟が大阪地裁において原告側勝訴判決
2003 【厚生労働省社会・援護局保護課長通知発出】
    (ホームレスに対する生活保護の適用について)
2004 あいりん臨時夜間緊急避難所(北シェルター)開設
    NPO法人サポーティブハウス連絡協議会(サポ協)発足
2005 大阪国際ゲストハウス地域創出委員会(OIG委員会)設立
2008 (仮称)萩之茶屋地域まちづくり拡大会議発足
2009 【厚生労働省社会・援護局保護課長通知発出】
    (職や住まいを失った方々への支援の徹底について)
    萩之茶屋小学校東側の路上屋台撤去
2011 仏現寺公園(萩之茶屋北公園)再開
2012 西成特区構想が実質スタート(正式には2013年度から)


 1960年代にあいりん地区対策が行われるまでは、家族持ちの労働者もたくさん住んでいた。
 「じゃりン子チエ」に出てくる風景。
   チエちゃんの通う「西荻小学校」のモデルは
  「荻之茶屋小学校」もしくは「弘治小学校」であると言われている。
   対策が進むと、家族は地域外に出て行った。
   これにより児童・生徒数は激減、
   それが橋本市政での3校統合への流れとなる。

1970 年に建てられた「あいりん総合センター」の内容
   1.日雇労働市場
   2.西成労働福祉センター
   3.あいりん労働公共職業安定所
    ・日雇い労働者の失業保険給付業務
    ・求人事業者(手配師やな)の管理業務
    ・職業紹介をしだしたのは2016.4から)
     登録者数、ピーク時24000人、現在1500人
     これは現在、2か月間に26日以上働くことが難しいことの現れ
   4.大阪社会医療センター付属病院
   5.荻之茶屋第1住宅(市営住宅)
    東隣には荻之茶屋第2住宅

 それぞれの管轄は大阪市・大阪府・国(厚生労働省・大阪労働局)にまたがっている。
 当時たいへんな調整努力があったものと考えられる。
 しかし老朽化・耐震化で、対策待った無しの状況だった。
 また当時、府・市・警察の三者協議会が協議し、周辺住民への説明や合意形成のないまま一気に建ててしまったため、その記憶は周辺住民に強く残っていた。

 1970年にできた「釜ヶ崎協友会」は釜ヶ崎で地道に活動を続けていたキリスト者たちが、プロテスタントもカトリックも協力して活動するようにしたもの。そして労働運動とも連携した。


 サポーティブハウスというのは単なるドヤではなく、共用のロビーのようなところがある、「居場所」としての機能をもった宿泊施設。様々なサポートが必要になったということ。

 佐藤訴訟というのは、ホームレス状態だった佐藤さんが生活保護を受けてアパート生活をしようとしたけれど、住所が無いので収容所に措置されたのに対して起こした訴訟。原告が勝訴した。

2012年1月 橋下徹氏(当時大阪市長)が「西成特区構想」をぶちあげる。

 もともと鈴木さんが当時よく出ていたテレビ番組のキャスターを通じ、2012年3月頃
大阪維新の会の浅田均参議院議員から「アドバイスを頂きたい」と言われ、鈴木さんは浅田さんに会いに大阪に行った。

 会った時「西成特区構想」の話が出たのだが、鈴木さんは大阪大学の学生時代から釜ヶ崎に通っており、助教時代にはホームレスや生活保護受給者のフィールド調査をやっており、今でも講演に呼ばれたり、ゼミ合宿を釜ヶ崎でしたり、地域のリーダーたちとも面識のある人が多い、ということが浅田さんにわかる。

 そして浅田さんたちの構想を聞き、それがうまくいかないだろう理由などを伝えると、いきなり「区長になって下さい」と言われるが、断ると「特別顧問を引き受けて欲しい」と提案される。

その時の鈴木さんの脳裏に浮かんだこと。

 そのとき、私の脳裏に走馬灯のように現れた映像は、ほぼ、その後に起きたできごとを的確に捉えたものだったように思う。
 労働組合や活動家たちに怒鳴られ、糾弾されているわが身。ヤクザに脅されているシーン。役人たちの抵抗にあって途方に暮れている姿。新幹線で足しげく東京から大阪に通い、疲労困信している様子。ずっと家を空けているので、家族関係に危機が生じている状況。最後は、町内会や商店街の人々に「全部お前のせいだ! さっさと東京に帰れ!」と石を投げつけられている場面まで浮かんだ(幸いなことに、それだけはまだ実現していない)。

 めっちゃわかる・・・

 しかし結局は「俺が引き受けなきゃ誰が引き受けるんだ」ということだろうな・・・引き受けられます。

 1999年から続いている「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」の月1回の「定例まちづくりひろば」という勉強会に、鈴木さんも出席されていた。この回の主だった有識者メンバーが集まって「西成特区構想に関する情報交換と対応策を練る緊急作戦会議」を開くことになり、鈴木さんも参加。

 みなさん、橋下さんによって、今までの支援が打ち切られるのではないか、と戦々恐々としていたのだが、最後に鈴木さんが特別顧問に就任するとわかってびっくり仰天されたとか。そらそうやな。

「釜ヶ崎のまち再生フォーラム」の「定例まちづくりひろば」は来る者は拒まず、去る者は追わず、でゆるいつながりをつくり、西成市民館か大阪市大の西成プラザで月1回開かれているとのこと。

 そしてここから出たアイデアで実現していったものがサポーティブハウスや、ドヤを外国人バックパッカー向けに転換する「大阪国際ゲストハウス」などが出てきているとのこと。

 つまり、そこではかなりのアイデアの蓄積があり、鈴木さんはたまたまその会の当事者だったんだよね。

 鈴木さんは2012年3月末に正式に大阪市特別顧問に就任。
 これに対する給与は0円!!!!
 何かについて実費は出るみたいだが。

 しかし2012年4月はじめに役人から説明を受けたら
「すでに、西成特区構想は実質的に始まっており、様々な計画が各局によって立案され、局ごとにもう実行されつつある」
ことがわかる。
 つまり「特別顧問などお呼びじゃない」状態。

 また「市政改革プラン」といういわゆる事業仕分けも進行しつつあった。こちらはまったく釜ヶ崎の実情にうとい人たちがプランをたてていた。

鈴木さんのとった手立て。

「西成特区構想審議会」を設置しその「事務局機能」を役人に渡さない。

渡すと
・自分たちにとって「困った委員」には事前に資料を渡さない
 (意見が会の場で言えなくなる)
・スケジュールを「困った委員」の来れない日に設定する
・各委員を仲違いさせる情報を流し自分たちの都合のいい方向に誘導する

しかし同時に・・・

現場の役人たちをなるべく多く味方につけることである。一部の「はみ出し者」でもよい。表立って協力できない「隠れファン」でも良い

 う〜む、シン・ゴジラの「巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)」を思い出すな。この本のほうがシン・ゴジラ公開より後だけど。

 また西成区役所と大阪市役所との関係は、所轄と本庁のような関係があるって。「踊る大捜査線」だな。

 ところが、役人が「審議会設置はできない」と言ってきて(これはまず一発目の抵抗)「有識者座談会ならできる」と言ってきたので、それで了解した、と。とにかく、作って走り出す、ことを優先されたわけ。
 理由は時間が惜しかったから。
 2013年度に事業が始まるとしたら、「概算要求」を9月中旬くらいまでにはしないといけない。そこで形にしておかないと、5か年でも挽回不可能と考えられたから。

 なるほど。
 行政での事業を実現しようとしたら、そういうふうにスケジュールを考えないといけないのか・・・

 そして鈴木さんは「徹底的な情報公開こそ生命線」と考え、


の協力で会議のはじめから終わりまでを配信、かつYouTubeで見ることができるようにされます。

 そして次にされたのが各団体回り。
 ってね・・・一人で行き、いわゆる「吊し上げ」状態の中でも正直に話すことを続けられます。

 2012年8月。10回の座談会が終わった後、「西成特区構想を考えるシンポジウム」を開く。ここで鈴木さんも有識者も「逃げない」態度を見せたことで、区役所職員の鈴木さんへの態度が目に見えて変わったそう。




 市政改革プランでは、橋下市長の指示で「すべては競争入札」というプランが立てられていた。そして「高齢者特別清掃事業(特掃)」は、もともと日雇い仕事のできなくなった高齢労働者を雇用して地域の清掃事業にあたってもらおう、という主旨のものだったのに、「これも業者への一般競争入札で」という方針になっていた。そのほうが「安くて」「質のいい」清掃ができる、という理由で。
 それを避けるために考え出したのが「プロポーザル型公募入札」。
 橋下市長の説得には鈴木さんが当たった。
 橋下さんは合理主義者だから
「特掃はあいりん地域の反失業運動の歴史的成果であり、われわれが闘争して勝ち取ったシンボルである。そのシンボル事業を廃止・削減するとはケシカラン」などと迫っても無駄である。また不合理な既得権に対して断固と闘う市長の性格から考えて「暴動が怖いから」などという説明では、火に油を注ぐ可能性が高い。

 そこで鈴木さんは

「特掃は非常に安上がりで、お得な事業です」
「特掃を廃止・削減した場合のほうが、はるかに高い費用負担(生活保護など)が大阪市に発生しますから、廃止・削減は結局、損です」

と説明され、納得を得られたとのこと。

 ちなみに「生活保護」は「働くと損」な体系になっているため、「特掃」で働いていてもらったほうが、お金の面だけでなく、いろいろな面で良いことは容易に想像がつく。


 特掃もだし、「子どもの家事業」の「廃止」も西成特区構想へのネガティブキャンペーンの元になったけれど、下記のような形で存続している。



 そしてこの事業は、子ども達から家庭の情報が入り、家庭への支援につなげられる重要な場になっているとのこと。

 まあ、そんなこんなで8分野56事業の報告書をまとめあげたら、西成区役所の人からこう言われたそう。

「特別顧問、報告書の作成を本当にご苦労さまでした。8分野56事業という大計画ですが、実際にこれを全部やるということは不可能だと思います。西成区役所としては、特別顧問の花道として1つか2つ、目玉の事業を実現したいと思います。それが私たちにできる精一杯のところです。どうか1つか2つ、このなかから、実際にやるべき事業を選んでいただけないでしょうか」

 もちろん、鈴木さんに好意をもってる方が善意で言ったんだろうな・・・

 鈴木さんは「全ての実現」を宣言されたとのこと。

 そしてあの手この手で、2013年度の予算としてに27事業を事業化されます。
 1つか2つからは大きく前進ですね。(全部とはいかなかったわけですが)

 2013年度から「エリアマネジメント協議会」を起ち上げ、官民が情報交換する場とした。

 しかしそうしているうちに建設局がホームレス対策として強制代執行を計画していることがわかる。もちろん、実行すれば、地域の労働団体をはじめ、ホームレスの人のために活動している人達からの信頼を一気に失います。

 鈴木さんは副市長に直談判して半年の猶予をもらい、「まちづくり合同会社」を設立し、強制代執行が必要の無い状態にします。(どれだけたいへんなことか・・・)

 またそれまで全然協力関係の作れなかった西成署については、あるベテラン記者さんから、「そりゃ西成署に協力を頼んでも動いてくれません。大阪府警ですから府知事から言ってもらわないと」と教えてもらい、府知事と府警本部長と会談してもらうと一発で動きだしたと。

そして、いよいよ地域のあらゆる人たちを巻き込んでの

「あいりん地域まちづくり検討会議」を始められます。

やったこと考えたこと
  1.町内会長全員への参加要請
     (町内会長さんたちは地域のリーダーではあるけれど、
      一部を除いて、発言とかにも慣れておられないし、
      またどちらかというと今まで「迷惑をかけられてきた」
      という思いもあるし、それを正直に言えば怒鳴って
      くる人もいそうだし、みたいなことで消極的になる方
      もおられるけれど、この方たちの力も是非必要だよな)
  2.全ての労働団体への参加要請
     (「俺たちゃ聞いてない」とかいう話にならないように)
  3.反対の立場の人とも折り合う着地点を探す
     (しかし声かけをしても参加されなかった団体もあった
      そうだけど、傍聴席からやじったり、反対意見を
      述べたりされても、その意見をできるだけ取り入れて
      いこう、とも考えられてます。
  4.萩ノ茶屋小学校体育館開催にこだわる
     (なんせ地元だから。
      地域の人が来やすいから。)
  5.そしてYouTubeで全て公開する。
     (情報公開が命綱)


2014.9.10 準備会
 この会の冒頭、鈴木さんが長年の無為無策を謝罪するところから始めてはります。
 もちろん、本当は鈴木さんが謝る必要は無いのだけど、それでわだかまりなく会議に参加できるようになった人も多いとか。

 また、この時はよくある会議のようにロの字型に長机を並べて話し合ったが、みんなの距離が遠すぎて、発言も少なくなってしまったそう。わかります。ほんと建前の意見だけになって、親密な話し合いはできないですね。

 そこで、第1回はワークショップ型にしたと。
 また、ワークショップ型にし、グループ内の発言をまとめて、代表が発言することで、「こんなこと言ったら目をつけられるのじゃないか」という恐怖を持っていた方も発言しやすくなったと。

 しかし、妨害というか、やじはすごいものがあります。全て公開されていますから聞くことができます。


 臣永(とみなが)区長の挨拶が始まった、1分30秒過ぎから
 やじが始まっています。
 まあ、たいていの公務員さんだったら、これでびびりあがるよなあ・・・

 しかし、鈴木さんの想定内であり、まず鈴木さんが合いの手を入れ、続いて鈴木さんが傍聴席に行き(つまり怒号の中に入って行き)、ミニレクチャーをするという段取りをしてはりました。

 2014年12月1日までの6回の会をもってはりますが、すべてにわたって、あの手この手で形式も変えつつ、妨害に対応してはります。それも、ケンカするのじゃなく対話する形で。

 まだまだどこでも自治体(行政)が案をいきなり出して来て、「とにかくこれでやります」みたいな形が多いとは思うのですが、それに裏切られてきた、という思いのある人たちに、「みんなの意見が反映される」「みんなで作る」という形を信じてもらえるように、鈴木さんがどれだけ努力をしておられるかよくわかります。

 私が最近読んだ


でも


でも、うまくいってるところは、地域の人ととことん対話をしているもんな。

ひょっとしたら、最近よく聞く、「オープンダイアローグ」ってのにもつながるのかもしれない。


まとめでの鈴木さんの言葉

「スーパーマンのようなリーダーは現れない」
「等身大のリーダー、量産型リーダーをみんなで担いでうまくはたらかせる」
    (量産型ってのはガンダムの影響?)

鈴木さんが自分のやったこととして上げている項目

@ウソをつかない、ごまかさない
   (都合が悪いことも、すべてオープンに正直に話す)
A約束を破らない
   (一度やると約束したことは「評判」を保つために死守する)
B頼まれごとは極力断らない
   (人々に対する「貸し」を貯め、それを元手に
    裁定取引(arbitrage)するためには、
    はじめはどうしても無理をして貯蓄をしなければならない)
C異なる利害関係にある人々や行政の間に立つ場合には、完全中立を保ち、そのバランスに細心の注意を払う
Dなるべく多くの人々に直接会って、face to face でコミュニケーションする機会を増やす
   (落選した市会議員のごとく、厚かましくどこにでも顔を出す)
Eコアとなる人々(プレーンとなってくれた有識者たち、西成区役所の事務局、人々のハブとなっている地域のリーダーたち)とは、とにかく情報交換を密にして、おたがいに考えがツーカーになるようにする
F人々への説明や演説は極力わかりやすく、子どもでもわかる表現で話す
G極力長く、同じポジションに居続ける
   (すぐに交代する腰掛けリーダーを信用する人はいない)
H改革にコミットする
   (退路を断つ。改革を止めると自分自身が大損をする
    という状況証拠をつくる)
Iまちの歴史、人々のバックグラウンドを前もってよく調べて勉強しておく
   (人々や地域へのリスペクトを忘れない)
I改革から自己利益を得ようとしない
   (要するに、タダ働きをする。研究にも利用もしない。
    自分の利益のためにやっているとみなされると、
    途端に人心が離れるからである)
I人をよく褒め、功績や栄誉を他人に譲る


 なんかほんまやなあ、と思います。

 で、こういうことがあって

 新今宮駅前に星野リゾートがホテルを作る、とかいうことが出てきたんだろうな。


(日本経済新聞 2017/3/8)
 子会社を通じて大阪市からJR環状線・新今宮駅前(大阪市浪速区)にある約1万4000平方メートルの土地を約18億円で取得する。運営は星野リゾート本体が担う。新ホテルのブランドは未定。




コラム1・2  ホームレス対策と外部性

経済学のもっとも基本

「効率的に社会を運営するには、個人の自由な選択や取引に任せておくのがいちばんで、行政はその邪魔をするべきではない」

しかし、今は「市場原理主義」「新自由主義」ではなく「市場の失敗」が起こればなんらかの行政的介入が必要と、多くの経済学者は考えている。

「市場の失敗」の一例。ホームレスが好きで野宿をしている場合でも、第三者に迷惑がかかる、などの場合「外部不経済」という失敗になる。第三者によい影響を与える場合は「外部経済」と呼ぶ。ふたつを合わせて「外部性」という。

ホームレスによる外部不経済の具体例
1.公園や道路などの公共空間を占拠することにより、第三者が使用できなくなる
2.結核などの感染症が蔓延し第三者に広がる
3.周辺環境が悪化し、地価や賃貸料が下がる
4.路上生活の長期化によって健康悪化が進むと、最終的に重篤疾患となり生活保護から高額の医療費が支払われる
5.通行人などが気の毒に思って不幸になる
これらにより行政の介入が正当化されうる

対策として考えられるのは
1.自立支援センターなどを設置して公費でホームレスの人々を支援する
2.公共空間を占拠することに対して罰金や刑罰を科す
一般的には公費を投じるよりも、ペナルティーを科すほうが、安上がりなのだが、ホームレスの人々は「支払い能力が無い」「刑罰を科すと刑務所などの施設費・人件費がたくさんかかる(自立支援センターよりも高くつく)」

ここまできて、公費で支援することが正当化される。



思い出話

 私自身は、大学4回生の時、鳶の親方の記事にひかれ、東京の親方のところに、働かせて、と言いに会いに行ったら
「泊まるところあるのか?」
「いえ」
「じゃあついて来い」
と言われて着いたのが、山谷の山谷自立合同労働組合(山自労。検索をかけるといくつか記事がヒットしますね)の事務所件住宅で、山自労の人から
「なんで釜ヶ崎や寿町(横浜)とばしてここに来たの?」
って質問された。
 いや、別に労働運動をしたくて行ったわけじゃないのだけど・・・
 2週間ほど泊まり日雇い仕事をしたり、役所との交渉について行ったりしたな。
 そこには年齢が高くなってホームレスやってたけど、公園の水道を止められて仕方なく事務所で寝泊まりしてた人が何人か住んでた。一緒に日雇い仕事にも行ったけど、私より仕事できてたな。
 いろんな話をしたけど、私がそこで本名を名乗ってるってことにみんながびっくりしてたのが印象的だった。(つまり他のみんなは偽名を名乗っていた)

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2017年03月11日

改善するための意思疎通



 Togetterで


をまとめました。



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映画「月光」(虐待・性的虐待)




 きつかったです・・・

 こわごわ見に行ったけど、やっぱりきつかった・・・

 なお、元町映画館にかかる初日(今日)行ったのですが、明日なら小澤雅人監督のトークショーもあったんだ。

 途中の電話にもインタホンにも出られない状況ってのは、私自身、ウツでネタキリの時はそうだったな・・・

 なお、感想としては、下記まとめに言い尽くされてるかもしれない。




posted by kingstone at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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