AERA 2011.9.12号
ナインティナイン 21年目の挫折と復活
「長期休養」で変わったことは
昨年7月15日から5か月間、一切の仕事を休んだナイナイ岡村とコンビの矢部へのインタビュー。その時の事情は
矢部は岡村に言った「岡村さん、休みましょう」 AERA 2010.12.27号 で、今回は2011年8月のインタビュー。
27時間テレビがフィナーレを迎える直前の24日午後8時半ごろ、事前に収録してい矢部のインタビューか番組中に流された。その中で矢部は岡村の長期休養についてたずねられ、静かにこう語った。
「そもそも僕がこの世界に誘ったので。責任は背負ってしまいましたよね」
そのシーンを見て、岡村は思わず泣いた。照れ隠しに後ろを向き、
「テレビで泣いたら(明石家)さんまさんに怒られるんです」
と声を絞り出した。お笑いにストイックなかつての岡村なら、考えられなかった場面だろう。
ーー長期休養でどんな変化がありましたか?
岡村「休養までは、まわりの人が笑い取ったら、それ以上の笑いを取らなと思って必死で空回りすることか多かったんです。今は肩の力か抜けて、自然体になりました」
ーー27時間テレビでも自然体で臨めたと。
岡村「自分の出所がわかるようになりましたね。全体を引いて見られるようになりましたし、若手芸人らのがんばりを一歩引いて眺められるようになったと思います」
ーー矢部さんはどう見てます?
矢部「サッカーではうと、力が抜けていいシユートか打てるようになったというか。復帰後は仕事を楽しんでやってはるなあと思います」
(岡村は)昨年は映画「てぃだかんかん」でサンゴ養殖を目指す男性役を演じ、さらに初の一人芝居公演もやる予定で、多忙な日々が続いていた。そんな時、体調を崩した。
ーーどうなったんですか。
岡村「頭パッカーとなってしまったんです。寝られなかったんですよね。寝ていたらダメだと思ってしまうから」
矢部「仕事中の会話も、少しおかしくなってきていましたね」
で
「矢部は岡村に言った『岡村さん、休みましょう』」になるわけですね。
岡村のほうも、休養中にどん底まで追い込まれた。入院し、日中やることといえば散歩のみ。医師の指導で見てもいいテレビ番組も決められ、大好きだったサッカーのワールドカップも結果すら知らなかった。
ーー休養中は何を考えていたんですか?
岡村「芸人を辞め、沖縄に住んでサンゴの養殖をしようと考えてました。相方のがんばりとか、何にも考えてなかったですね」
5ヵ月間の休養期間中に周りの人間が少しずつ見えてきた。マネージャーは身の回りの世話までつきっきりでしてくれ、洗濯すらままならない岡村の下着まで洗ってくれた。相方はナイナイの冠番組を守ってくれた。少しずつ体調が戻り、気づくと
「自分はこうあらねばならない」
という呪縛がふっと消えていたという。何を、自分はこわばって生きてきたのか、と思えるようになったのだろうか。
ーー休養してよかったと?
岡村「休養しなかったら、人と競い合って誰も尊敬できない、そんな人間になるところでした。今回は、神様が休ませてくれたんですよ」
まあ、良かったな。
posted by kingstone at 23:27|
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