私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2011年06月24日

自閉症のお子さんとの授業の失敗例1997年

 この動画をアップするのに本当に10年ぶりに親御さんに電話をしました。Bさんの親御さんは「いいですよ」と許可を下さいました。私は「直接ご本人に会って動画を見せた上で許可を頂きたい」とお願いしましたが、ご都合が悪かったです。ですから本当はBさん本人の許可は取れていません。

 A君の親御さんに電話すると「いいですよお」ともうめちゃめちゃ明るく許可を下さいました。でまた「直接ご本人に会って動画を見せた上で許可を頂きたい」とお願いすると「Aは興味ないと思うし、先生なら許可すると思うし、わかんないかもしれないし・・・」とのことでしたが「是非に」とお願いしました。

 しかし・・・最近A君は自分の小さい時の映像などが残っていたらそれを全部消していってる、とのことです。私は「過去の自分というか、今の自分でない映像を見るのがいやなのかなあ」と思いました。そして動画のアップについては「ダメ」と言われる可能性が高いな、と覚悟して行きました。そうなったら公開はしないつもりでした。

 A君の家に行くとA君がパソコンを触っていたのですが、私を見て挨拶に来てくれました。私も挨拶と握手をしました。(しかし、ちょっと挨拶が脅迫的なのは気になりました。私が担当していたころはいっさい挨拶を「させる」ことはしていません。こちらが朝会った時は、こちらから挨拶していましたが、ただそれだけ。A君は「どこ吹く風」という感じでしたが、我々チームは「それが味がある」とつきあっていました。またたまたま小4だったか小5だったか、地域の小学校に交流に行った時その学校の特別支援学級の先生がはりきってあいさつをさせたので激しいチックが出てしまい困ったことがありました。(これは小学校に申し入れてやめてもらったと思う)

 で、私はDVDをセットしました。その間A君は離れたところにいました。セットができてから私はA君に黙って「お話メモ」を見せました。

DVDmitekuremasuka.jpg

 この時「はい」と音声言語で答えてくれたかなあ?どうだったかよく覚えていません。でDVDをスタートさせました。その間にA君はむこうのほうに行ったので、私はそばに行って無言で肩とんとんしてテレビの方を指さして誘いました。するとA君はじっとDVDを見ていました。

 で、終わってから黙って「えらぶメモ」を見せました。メモを書いている最中にお母さんから「ダメ」という言葉ダメなんです、とお聞きしました。しかし・・・それ以外思いつかなくてそのまま見せました。A君から私へ、やしね。(しかし選ぶメモみたいなことは私と小学生の時からやってたけど、ずーーとそんなやりとりしてなかったみたいやし、自分へのダメ出しと勘違いされるかもしれんなあ、とは思いながら)

(ここのメモ。A君宅に忘れて来ました。今日、取りに行かせて頂き再アップします)
 頂に行って来ました。以下のものです。

youtubeok.jpg

 A君はYouTubeとかは読めます。そして自分でパソコンで見ています。だからこれでわかってくれるだろうと考えました。

 A君は私からの質問事項をゆっくりと音読していきました。そして音声言語で「いいよ」と言ってくれました。(「ダメ」という言葉は発声しなかった)

 A君にはエコラリアがありますから「かくかくしかじかしていいですか?わるいですか?」と音声で尋ねると最後の音が頭に残って「わるいですか?」とか「いいですか?わるいですか?」と発声することが多いです。しかし、そりゃよくはわからないですが、私にははっきり「いいよ」と言ってくれたように思えました。お母さんもそう感じられたと思います。

 次に尋ねたこと。

jiheisyoutukatteii.jpg

 「自閉症」という名前を入れていいかどうかについて許可を取っておきたい、と思ったのです。で文を書いているとお母さんが「あっ、この『失敗』という言葉ダメなんです」とおっしゃいます。そらそうやわなあ、失敗なんていやな言葉やなあ。でA君の失敗ではなくkingstoneの失敗であることをはっきりさせるために「kingstone先生のしっぱい」とつけ加えておきました。

 A君はまた質問分を音読したあと「いいよ」と言ってくれました。

 で、まだまだA君たちとやった動画はたくさんあります。あらかじめおたくに伺って、動画をお見せしそれから説明文をつけて再編集して、と毎回やっていたらたいへんなのでこれを尋ねてみました。えらぶメモが無くなってしまったのでお家にあったA4の紙に適当に書いて選んでもらいました。

dougadasiteiidesuka.jpg

「いいよ」でした。

 これ「いいよ」がいつも右側ですね。少しいじわるして「いいよ」が左側のも作って聞いてみたらお母さんにもより確実に「そうなのか」ということになったかもしれません。でもここまででもじゅうぶんA君がじっくり自分で考えて判断して私にコミュニケートしていることは感じて頂けたようです。

 では実践動画です。



 これは私の授業の失敗例です。
 1997年6月5日12時40分頃。

 当時この特別支援学校小学部では「机の前に座ってする学習」というものはありませんでした。そもそも「学習をするための机」というものが教室の中には存在しませんでした。(物を置くた めと給食のためには少しありました)中学部では作業の時間に一部大きな机の前に座ってすることがありましたが特に「学習」ということではありませんでした。

 私はそんなはずはないやろと思い、机の前に座ってする学習に取り組もうとしました。子どもたちが「好きなこと」「できること」を探してやったつもりはあります。
 しかし、この頃は自閉症について勉強しはじめたばかりで、自閉症のお子さんの特性も知らず、TEACCHも知らず、「コミュニケーション・やりとり」の授業なのか「ひとりでできる」をねらった授業なのかわけのわ からないものになっています。最後にはA君が歩き出して止められなくなっています。これは私の失敗なわけです。

 ツッコミを入れてみます。

 さかんに私は「高い大きな声」で「ちょっとできたら」ほめています。

 Bさんは私の方を見てニコっとしてくれています。しかし、これはたぶん私がそんな声をしょっちゅう出さなくても、モンテッソーリの柱そのものがピタっとはまれば「やったあ、できたあ」と思えて同じような顔をしてくれるんじゃないかなあ。まあ、そういう時に短いほめ言葉があったらそれが「ほめ言葉だ」と認識しやすくなるのは確かでしょうが。でもね、例えば誰かが仕事をやってる途中にいくら褒め言葉でもやいのやいの言われ続けたら五月蝿くない?私だったらええかげん黙っといて、と思うなあ。すべて完成した暁にはほめてもいいかもしれないけれど、もっと脱力した小さな声でいいと思うな。

 で、お互いのコミュニケーションやりとりをねらっているなら、「やりとり・コミュニケーションするのが当然である」ようなゲームとかの授業をやればいいような気がするし。ってか全てはコミュニケーションなんだけどね。

 A君は何かひとりで言っています。これは遅延性のエコラリア(どこかで覚えた音声言語が全然別の場・状況で出てくる)でもあるしジャーゴン(奇妙な言葉)とも言えます。専門家の中には遅延性のエコラリアは意味がわかって言ってるのではないから意味はない、とおっしゃる方もいますが、私はそんなことはないと思います。特にA君はどこかで聞いて覚えた言葉・絵本などで覚えた言葉などを遅延性のエコラリアで繰り返し言うのですが、それがだんだんとその場の状況にあったものになっていく、という音声言語の覚え方をしていきました。ただしなかなか機能的(実際にコミュニケーションの手段として役に立つ)な言葉とはなりにくかったです。私が直接の担任だった時1998年度は「ジュースください」と要求するとか「CD下さい」「プリントやりたい」とかを、VOCAや字カードを用意するとすぐに適切に(それを見ずに!つまりリマインダー、心覚えとして使ったわけです)どんどん機能的にしゃべるようになりました。しかし、私が担任を外れるとその機能的な音声言語は消えていきました。その後、私がいなくなってから不思議なことに再び機能的な音声言語を獲得してきたというふうに担任から聞いたのですが、昨日会った時、やっぱり「遅延性のエコラリア」(あまりうまく機能しない)の部分がほとんどでした。(私がメモで書いて尋ねた時以外)やっぱりA君はA君のままなんだ、(でそれが素晴らしいんだ、ってことですね)と確認できました。

   追記
      私はここに「私がいなくなってから不思議なことに
     再び機能的な音声言語を獲得してきたというふうに担任
     から聞いた」と書いています。私は本当に不思議なこと
     があるもんだ、と思っていました。そしてこのエントリ
     を書いた時点で、「A君はA君のままなんだ」と書いてい
     ます。でもこのエントリを書いた時点でまだ気づいて
     いませんでした。担任が私に「音声言語を獲得した」と
     報告してくれた例をよくよく思い出し、10年ぶりにあった
     A君の様子と重ね合わせると、その担任が言ったエピソード
     って、私がA君とまったく何の手立てもなくつきあっていた
     頃でもあったことだよなあ、と今気づきました。私は今まで
     この例を「不思議なこともあるもんだ」とずううっと人に
     紹介してきたのに・・・何かショックです。もちろん担任は
    「こんなことできるようになったんだよお」と紹介したかった
     のでしょうが。
      もちろんしゃかりきになって機能的な音声言語を獲得させ
     よう、となんてする必要は全然ありません。でもなあ・・・
     別に1998年の私たちチームだって、全然しゃかりきに
     なってたわけじゃないんだけど・・・楽しく、見てわかる
     ことをやってるだけで、獲得していってくれてたんだけど・・・


 そして、実はその遅延性エコラリアで、ものすごく大事なことを伝えてくれている、と私は感じました。それに周囲の人、気づいてくれないかなあ・・・

 まあ、それはさておき、このビデオではA君が何か言ったのに対し、私が「同じ発音」を返しているシーンがあります。オウム返しですね。何かコミュニケーションしたいと思ってたし、とりあえず「私にはわからないからオウム返しをしておこう」というやつです。でも完全に空振りしています。

 世の中にはこのオウム返しがいい場合もあるのです。相手の人が自閉症でなければ「あっ、この人私が言ったことをちゃんと聞いてくれているな」と感じたり、「あっ、この人は自分の考えを押し付けず、私のレベル(私の世界)に入ってきてくれてるな」とか感じて、よりいい関係ができたりね。

 でも自閉症の特性を知っていれば、それって意味な〜いじゃ〜ん、になると思います。
 今の私だったら、黙って「???」とその音声言語をただ聞いています。A君だったら、時によったら場に合ったことを言うから、その時はその時でまた何か反応しますが。

 で、やっぱりいらん声かけが多いなあ。

 またこの授業の時、子どもたちが好きな活動、できる活動は調べて用意していたのですが、画面左下のカゴに教材を用意しておき、本人の前に「私が」そのたびに出してきてさせています。次に何をするのか、どうしたら終わりになるのか、全然見通しのない状態です。またパズルなどは「カッチとはまる」から終わりがわかりやすいでしょうが、カードは何がどうなったら終わりなのかわかりにくかっただろうな、と思います。

 最後はA君は「もうこれは終わった。次はカゴの中にある興味ある教材をやろう」と立ち歩き初めています。そして私は「ちょっと、まてまて」と言いながら腕を引っ張るという手立てしかなく、しかもそれは失敗します。


 こんなことからの出発でした。

 ちなみに当時の私への同僚からの反論というか抗議は以下。()内は私の心のつぶやき。当時声に出して言うなんてとてもできませんでした。

「人間関係がまず大事でしょ!」(いや、別に人間関係は悪くなってるとは思わないけどお?もちろん人間関係は大事)
「情緒を育てるのが大事でしょ!」(いや、情緒は安定して、楽しそうにやってると思うけど?もちろ情緒は大事)
「感覚を育てるのが大事でしょ!」(モンテッソーリの感覚器具も使ってるし、別に感覚を育ててないわけじゃないと思うけど・・・感覚は大事)
「この子たちには健康を増進させる授業が必要でしょ!」(えっ、何か健康に悪いこと私やったっけ?・・・健康は大事)

 まあ、そういうことでした。私の用事は10〜15分で終わりました。

 で、そのあと、最近のA君の「問題行動」についてのお悩み相談になったのですが・・・お母さんには悪いけれど私笑い転げ、実際に床に倒れて突っ伏して呼吸困難になってしまいました。

 実は、その「問題行動」のほとんどは1998年〜2000年、私たちチームが解決したことでしたから。A君の問題行動については直接はほとんど関わらず、環境を整える、コミュニケーション手段を整える、で解決したことでたいていはこのブログにもう書いてあります。で、我々チームがどうやったかは連絡帳や、パソコン通信(このブログの過去の記事はほとんどがパソコン通信でリアルタイムにお母さんも読んでおられた)でお伝えしたつもりになっていたのですが、やはりちゃんとした報告書とか、手立てを実際にお母さんにやって頂き、定着させる必要があったなあ、と反省です。

 A君はちょっとイライラしていました。私は「普段いない私という人間がいるからかなあ。しかもお母さんとしゃべり続けているし・・・」とも考えて早く退散しないといけないかな、とも思いました。

 で、その日も「問題行動」があったために「夕方のお買い物はなし」になったので、イライラしているのじゃないか、とのお母さんのご意見でした。

 それを聞いた私は

「A君は確かに能力は高い。しかし、まず『◯◯をした』あるいは『◯◯をしなかった』ということがあって、その罰としてだいぶ後に「だからお買い物に行きません」は理由はすごくわかりにくいと思うよ。今は「とにかくわけがわからないけど買い物に出られない」ということで混乱してるんじゃないかな。でA君はいらいらし、お母さんは叱らなきゃいけないことは増え、それこそ人間関係悪くなるだけ。
 でね、何よりね二十歳を過ぎた青年に「◯◯だから罰で△△しません」ってめっちゃ失礼やと思わへん??
 そんなことすぐやめよ。
 でね。じゃあ買い物に行けばいい、というもんじゃない。ほんまにA君が行きたいのかA君本人に聞いてみよ。」

 で、本当に行こうと思えば行ける状態であることを確認して、このように書きました。このメモは無くしたので、今適当に思い出して書いたものです。この時点で今までのA君の回答は全部右側の選択肢だったので、今度は「行きたい」を左側に、「行きたくない」を右側に書いてみました。

kaimonoikitai.jpg

 またA君は質問文をゆっくり音読し、躊躇なく「行きたい」と言いました。

 私も用事があったので帰宅しました。

 後でうかがったところ、その後はいろんなことがばっちりだったそうです。


posted by kingstone at 08:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 実践動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実践動画というカテゴリを作りました「自閉症・・」という題名について

 実践動画というカテゴリを作りました。

 いくら文で伝えても、話して伝えても、わかりませんもんね。

 私が実際にやっていた実践の昔の映像を出すカテゴリです。
 その映像のどこがどうだかも説明を書きたいと思います。

 できる限り本人からの許可・親御さんからの許可を取っています。
 事情で本人から取れなかったものもありますが・・・

 大昔の、今となっては時代遅れの授業かもしれません。

 それから動画のタイトルには「自閉症のお子さんとの」とつけています。
 実際、1997年の4月頃から私は猛然と「自閉症」について勉強していきます。

 知的障害特別支援学校に異動してきた時、「自閉症」と診断されているお子さんはすごく少なかったのです。またされていても誰もそんもの知らないという状態であったかもしれません。ある特別支援教育で1年間内地留学に行って来られた先生に「◯◯君って自閉症やろか?」と尋ねたら「さあ〜〜」という答えが返ってきました。今ふりかえってみるとそのお子さんは典型的な自閉症でした。

 つまり、当時のその学校の教師にとって自閉症かどうかなんてどうでもいいことだったのですね。「障害なんかで人を見ないのだ!」ということでしょうか。で「みんな同じだからみんな同じ方法で教育しよう」ということでしょうか。

 しかし、その少数の自閉症と診断されているお子さんはかなりの「問題行動」を起こしていました。そしてそれを「押さえる」ためには威嚇と暴力しか無い、みたいな・・・

 でも知的障害特別支援学校に異動してきて1年目は、導入したばかりのパソコン利用の責任者にされ、そちらの実践、情報収集、子どもたちにパソコンを使ってもらう研修のリーダー、先生方への指導、報告のまとめなどに忙殺され、まともに自閉症のことを勉強する時間が無かったのです。(言い訳です)

 そして2年目。1997年4月から自閉症について猛然と勉強し始めます。大阪や京都で「自閉症・・・」と名のついた講演会に参加・とにかく「自閉症」と名のついた本をかたっぱしから読んでいく。授業でいろいろやってみる。そして9月の特殊教育学会・10月のTEACCHの2日間セミナーへと続いていきます。

 そしてそこまでして自閉症というもの、認知の障害を中心とした脳の障害ということがわかってくると、その特別支援学校の少なくとも半分は自閉症または類するコミュニケーション障害のお子さんだと言っていいんじゃないか、と思えだしました。そして自閉症の特性にあった関わりがされていないために校内に多くの「問題」が起こっている。それを抑えこむためには威嚇と暴力が必要、そういう流れになっているようでした。

 しかし、例えば私が「◯◯君は自閉症だね」と言うと優しくよく勉強された先生が「いや知的に重いと自閉症と同じような行動するし」とおっしゃいます(追記。「なんてこと言うの!」という思いを押し殺しつつ少し非難めいた口調で)。これね・・・自閉症っていうのは「あんな行動」「こんな行動」「そんな行動」とかがたくさんある。そういう人のことを「自閉症」というくくりで呼ぶだけの話だから「同じような行動」をしてる人は自閉症と言っていいし、また「自閉症の人とのやりとりのために」開発された方法がそうでない人にも役に立つのですが。またこの時代は「自閉症という言葉は使ってはいけない(相手に絶望のみ与えるから)」という時代であったことも大きいと思います。

 でもね、私はある程度徹底的に自閉症について勉強した。するとA君BさんC君は自閉症だとわかった。だから自閉症の人とのやりとりに有効と思われる「目でみてわかるもの」をいろいろ使って伝え、目で見てわかる表現手段や、それらの助けを借りた表現手段のの獲得を目指した。また課題学習などを取り入れて行った。

 で、どうなふうにA君BさんC君たちとつきあえるようになっていったか、と言うと本当にいろんなやりとりができ、こちらも相手に伝えることができ、彼らからもこちらに伝えることができ、平穏無事に落ち着いて暮らせるようになりました。すると別にA君はA君だし、BさんはBさんだし、C君はC君だし、こちらは、なあんも「自閉症のA君」なんて考えません。それこそそんな診断名なんて消えてしまうのです。

 しかし、それでも小トラブルは起こります。その時は「あA君は自閉症だった。自閉症の特性は◯◯で、A君個人の特性は△△で、だからこう対応してみようか」と考えてやってみます。で、トラブルが解消されればもとの平穏な生活に戻り、また自閉症なんて言葉忘れてるし、またトラブルが起こればまた自閉症ということを思い出すし、とそんな感じです。

 最終的には「自閉症」とつきあっているのではなく「A君」とつきあっている。当たり前のことですが。

 吉田友子Dr.の講演会での言葉。

「『この子を人間としてみて欲しい。障害なんかで見て欲しくない』それはよくわかり、美しい言葉です。しかし教師の不勉強の言い訳にはして欲しくありません」

 で、私は3年以上ネタキリ期間があって最近の動向にはうといのですが、やはり今も「自閉症」という診断名(あるいは広汎性発達障害・アスペルガー症候群・高機能自閉症・ADHD・注意欠陥多動性障害・発達障害)を受け、しかしどうしたらいいのか困っておられる方は多いようです。

 で、今、実践動画を公開するにあたって「自閉症」と名前をつけておくほうが検索で探している方に役に立つのではないか、と思いました。そして映っているご本人・親御さんにもこの題名をつけることに許可を取りました。(って全員に、判然と取れたわけではないのですが)

 そんな動画です。



 

 
posted by kingstone at 05:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月21日

自閉症のお子さんとの選択や注意喚起の授業1999

 この動画は決して「うまくいった例」として出しているわけではありません。しかし1999年3月の当時としては精一杯、「選択してもらう」「表現してもらう」「注意喚起してもらう」を試みた授業です。

 本人C君・親御さん、担当教師新人Aさんからは公開の承認を得ています。

 ただし、C君にパソコンでこの動画のDVDを再生しながら、次のように「選ぶメモ帳」で尋ねてみたのですが答えは判然とはしませんでした。そこんとこはよくわかんないんですけどね。

uproadkaitou.jpg

 なお、この動画はツッコミどころは満載です。
 で、もういつも大爆笑しながら見ています。
 で、私が自分でもツッコミを入れたいと思います。

 でも、今日はちょっと疲れているのでまた今度。

 動画だけ紹介。



 先に簡単な説明を書いておくと

絵カードで自分のしたいことを(少ない選択肢ながら)指さすことで表現できるようになった。
しかし、それを伝えたい相手に示すということはできなかった。
そこで「誰に伝えたいのか」をはっきりしてもらうように注意喚起のために肩とんとんをしてもらうことをいろいろな形で伝えた。
また授業ではプリントをやっているが、そのプリントを「やりたい」を示したあと、どのプリントをしてもらうか選択してもらうようにしている。

 簡単に言えばそういうことでしょうか。

 新人Aさんは「仕事をしているふり」をしながら「肩とんとん」をしてくれるのをじりじりしながら待っています。
 で、思わず万歳しちゃったのね(^O^)

過去の記事182(てつだってくださいカード)

 上記のエントリにはC君に肩トントンを教えている様子が出てきます。読んでて思わずずっこけそうになるところもありますが、でも楽しそうな雰囲気は伝わると思います。目を三角にしてはやっていません。


posted by kingstone at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする