先日、インテックス大阪で行われたバリアフリー展で、肢体不自由特別支援学校(当時は養護学校)に勤務していた頃の同僚に会いました。びっくりしたあああ、でした。
で、翌日、小さなホワイトボードを探す必要に迫られ、ひょっとして私がネタキリになった時、休職するさいに学校から段ボール箱に詰め込んで何の整理もせず(する元気は無かった)置いている中にあるかも、とほぼ10年ぶりくらいに開いた中から、肢体不自由養護時代の実践ビデオが出てきました。もともと8mmビデオで撮影したものをminiDVテープにダビングしたものです。
先日2代目の据え置き型miniDVデッキがついに壊れ、残るは15年前に購入したDVハンディカムだけになっていました。ある意味、私にとって動画として見ることのできる最後のチャンスでした。
ものすごく懐かしい動画でした。たくさんのお子さん・教師が映っていますが、A君(タイガー君として、私のホームページやこのブログで紹介しています)の部分は公開できたらな、と思いました。
私はA君の家への連絡先は全て失っています。また何度も家庭訪問し、家の環境設定もしましたが、もう家の場所もうろ覚えになっています。そこで前日会った元同僚にA君の連絡先を聞きました。すると彼は知らないのですが、別の同僚なら知っていると教えてくれました。同時に「もう何年か前にお亡くなりになってる」ということも。
その別の同僚に連絡を取ったところ私の記憶を補強して下さいましたが、しかし「A君のことには触れられたくないみたい」とも教えてくれました。
う〜〜ん、どうするか。しかしとりあえずiMacに取り込んで、A君の部分をざっと編集しました。
それをDVDに焼き、またMacBook Airに入れて持って行きました。
最初はお留守、結局4時間ほどの間に3回訪問し、3回目にお母様にお会いすることができました。
出てこられたお母様は、最初私のことがわからなかったようです。まずお悔やみを述べ、ご仏前をお渡ししてから、実はこんなものが見つかりまして、とMacBook Air で動画をお見せしました。
「こんなビデオが! あったんですね」(もちろん撮影時にお見せし、例えば研究会などで発表する許可は当時得ています)
で、涙ぐまれました。お気持ちは察するしかありませんが、喜ばれていたようです。少なくとも「話したくない」という感じでは無かったです。
でDVDを差し上げるとすごく喜んで下さいました。
そして公開の許可を頂くことができました。
何か、ここ数日の流れ、といったものを感じます。では動画。
肢体不自由養護学校での実践
追記。あれ?2回の実践だと思っていたけど、3回分入ってますね。少し書きなおさないと。
A君
1つ目 1993年度のいつかわからない
使用機材 Panasonic A1GT(最後のMSX?)
ディスプレイは普通のテレビではなくMSX用として販売
されていたものだと思う
スイッチインターフェイス(自作・中邑賢龍先生のたぶん
最初の著作(題名忘れた)を見て)
スイッチ(自作・このオムロンのスイッチは既に生産終了
品のようです)
ソフト 岡山県立早島養護学校(現・早島支援学校)障害児
用ソフト集から「◯◯はどっち」
2つ目 1994年2月(1993年度)
使用機材 Apple Machintosh ClaccicII
スイッチインターフェイス(これは笹野さんの作られた物
かな?)
スイッチ(自作。オムロンのスイッチを2つ使って)
ソフト 「りんごはいくつ?」(HyperCardで私が自作した。
もちろん「◯◯はどっち」の真似)
3つ目 1994年5月(1994年度)
使用機材 Apple Machintosh ClaccicII
スイッチインターフェイス(これは笹野さんの作られた物
かな?)
スイッチ(オムロンのスイッチを学校のマイクスタンドに
ガムテープで貼りつけた)
ソフト 「野球をしよう」(HyperCardで私が自作した。
もちろん「◯◯はどっち」の真似)
こういう実践に到る前の段階から。
A君はご覧のような動きです。表情が豊かなので、こちらから話しかけることはわかっているよう。特に阪神タイガースの話題は大喜びするようなお子さん。
ある時、1992年度末だったか、翌年度の学習グループを決める会議の直前でした。お子さんの障害程度に応じて、教科学習的(と言っても通常校の教科書などできるお子さんんはごく稀です)なことをするグループ、そういうのは無しで揺れの感覚遊びや、マッサージ、音楽を聞くなど、何というか受け身的な学習ばかりするグループとかに別れます。その時、彼は畳敷きの訓練室で何人かの児童と一緒に仰向けに寝ていました。その彼に、担任でも無かったけど若かった私はちょっかいをかけたのですね。歳をとった今だったらちょっかいをかけないかもしれない・・・すると彼は
「あーあああ(やめてえやあ、と聞こえる感じ)」
だったか
「あーあ〜あー(あほかあ、と聞こえる感じ)」
だったかとにかく大笑いしながら発声したのです。今までそんな報告を聞いたことの無かった私は、感覚運動とかばかりのグループに入る予定だったのを、いや彼は何らかの教科的学習をするグループに入れるべきだ、と主張してそちらのグループに入ってもらうことにしました。
で1993年度、動画に出てくる(と言ってもほぼ声だけですが)女性の先生が担当されました。この先生、さあA君を担当して何らかの教科的な学習をと言われてもとても困られました。そこで私が色々家庭訪問などして、操作可能なスイッチやソフトとハードの組み合わせとか考えて、彼に操作でき、わかる、教材を考えました。
この先生は、パソコンなどは使ったことも無く、基本的に機械類は苦手でした。そこで私が起動も含めて全部揃えてやってきたら即使えるようにして、使って頂きました。機械類は苦手でありながら、しかしA君が他の授業では見せない熱心さ、楽しそうな様子を見て、「私はこの授業をやりたいです。協力して下さい」と言われました。
私も他の授業を担当していましたが、あれこれやりくりし、休み時間に機器を先に教室に設定してあげ、自分の授業に入る、そして次の休み時間に撤収する、というような形を取っていました。
実際、この時の体験から、支援機器やパソコンなどの利用に関して、教師として知っておくべきとは言えない瑣末な機器・パソコンの知識、どんなソフトがあるのか、どんな入力装置があるのかなどの知識が無いと、教師から「こんな授業を実現したいのだけど」と相談されても「ほら、こんなふうにできるよ」と目の前で示すことはできないし、普及することはできないなあ、と思いました。で、たくさんの教師にそんな知識を求めることは無駄なことだと思います。
ですから、私は1993年ごろ教育委員会に「教師で無くなってもいいし、給料が下がってもいいから専任にしてくれないか」という提言をしたことがあります。「あほかいな」という返答でしたが。まあそれはそうです。ある職種を(その行政で独自に)入れようと思ったら、確か議会で条例か何かを通さないといけませんから。
なお、1992年頃からの実績を元に、1995年度の会議でみなさんにプレゼンし、情報処理担当者は他の先生に比べて2時間の空き時間を頂ける、ということにしました。まあ、1996年度は私は異動していなくなりましたが、後の人のためにも大切なことだと思ったので。その空き時間は他の先生の指導のサポート(別につきっきりでなくていいから、たくさんの部屋を回れますし)に入ることができます。
もちろん、本当は「まったく授業から浮いている機器利用サポート係」みたいなのが欲しいですけどね。(今はあるのかな?地域によっては「自立活動担当」という方がまったく授業から浮いて動ける、というような話も聞いたことがありますが)
なおA君については、最初、やはり自作のよくあるゲームセンターのゲーム機についている押しボタンスイッチを5個十字に並べた自作5点スイッチをまず試してみましたが、難しく、この1994年?月には2点スイッチでの左右の決定の操作になっています。そして5月には逆に1点スイッチにして、ソフト側で工夫して、意思がわかりやすいように工夫しています。
最初、多くのスイッチで、そしていろいろやってみてスイッチ数を減らした方が本人の操作しやすく、わかりやすいので減らしていったのですね。
で、たぶん1994年か、1993年のMSXの実践は、岡山県立早島養護学校の「MSX障害児教育用ソフト」の中のたくさんのソフト(1点スイッチで使うもの、2点スイッチで、矢印キーで、またキーボードで、とかたくさんの肢体不自由のお子さんが使えるソフトがありました)の中から「◯◯はどっち」というのを使っています。
そして1994年2月は MacClassicIIで「◯◯はいくつ?」と数を数えるソフトを使っています。これでもいつも正解できたかどうかはわかりませんが、かなりの正解率でした。これでA君は数えてはいるんだな、というのがわかりました。
しかし腕の動きの問題で、カーソルを右に動かしたいけれど、腕が棒スイッチより上の上がらなくて(?)左側のスイッチを動かしているような様子もあります。2分45秒あたり。でもそれを越えて右を動かしています。
なお、このソフトは1993年の特別支援教育総合研究所での短期研修のおりに自作したもので「ホームラン」という時の絵は私が描いたものです。このソフトを見たみなさんは「肢体不自由養護学校の児童が描いたものに違いない」と思っておられたようですが・・・
なお、「ホームラン」の絵以外は他の方の作った教材ソフトの絵や、ネットで絵を描くのが得意な人が私の要望に応じて描いて下さったものを利用しています。この手のソフトは、一番最初に作った時はわけがわからず、結構長い制作時間がかかりましたが、もう1994年頃ならだいたい思いついて15分で作れる程度のものしか作っていません。
ある時は、朝、教室を見まわった時にふと思いつき職員朝礼までの5分間で「グー」「チョキ」「パー」がトグルででるソフトを作ったところ、めちゃウケました。もし教員が作るなら、あんまり凝らずに短時間でできることが大切だと思います。
まあ、他所で作られた「すごいソフト」を知っていて、集めて利用できる、ってのも大切か。
1994年5月のMac ClassicIIの実践について。
まず最初、どうもA君は3分13秒あたりから「はじめます」と言っているようです。私にはわかってないですね。私が難聴であったこと、それとセンスが無かったのかも。
しかし、それはそれでいいかと思います。もちろん私がすごくセンスがあればそれはそれでいい。しかし世の中には無い人もいる。そういう人にでもわかる方法で伝えるようにならなければそれはコミュニケーション手段と言えませんから。また「A君がしゃべれる」「音声言語で会話できる」という報告は聞いたことがありませんでしたから、他の先生方にとっても彼の音声での会話はわからなかったのだと思います。
今回は、1点スイッチにして、ソフトが1入力するたびに順番に画面がかわりまた元に戻る、いわゆるトグル型ソフトにしています。
最初のほうは、いわゆる「お勉強」ではなく、本人の気持ちを表現してもらいたい、という思いでやっています。
もともと彼はタイガースファンなのですが「タイガース昨日勝ったか?」と尋ねても「アーーッ」と大笑い、
「タイガース昨日負けたか?」と尋ねても「アーーッ」と大笑い、ということで、わかっているのかわかっていないのか、よくわからなかったのです。
この授業の場合、前の授業の時に「にこにこマーク」「しかめっ面マーク」が交互に出てくるもので、「嬉しい、楽しい、好き」「嫌だ、嫌いだ、面白くない」などを伝えて欲しい、という授業をやっていて、彼自身の操作で、そこそこできました。
そこでこの時は初めてその横に「□が6個(多い)」「□が2個」少ないを同じ画面に出し、「すごく嬉しい」「ちょっと嬉しい」「ちょっと嫌」「すごく嫌」を表現してもらいました。彼は、前日タイガースは勝ったのですね。だから「すごく嬉しい」で止め、「これだよ」というふうに「アーーッ」と声を上げてくれています。
なお、これ以前から角材を並行に並べて固定し隙間を作り、そこに「にこにこマークカード」や「しかめっ面マークカード」を立てて(イメージがわくでしょうか?なんか写真でも示した方がいいかな。今iPhoneやAndroid携帯を手で持たずに机の上にたてて置ける台がありますが、ああいうふうに立てるイメージです。あんなふうに傾いてはおらず、もっと垂直に立ちますが)表現したいカードを選ぶ、という学習はやっていました。
で、そういうのがあって後のパソコン利用なわけです。(もちろんお子さんによってはいきなりパソコンっていう使い方がいい場合もありますが)
ところで、私はA君とこの場面以外にも、このシステムで彼といろんなやりとりをしました。であるタイガースが負けた翌日は、彼は大笑いしながら「すごく嫌(悔しい)」の絵を出してくれました。そらそうですね。私だって「昨日タイガース負けよった」と笑いながら話しますもんね。笑いながら「ちきしょう」みたいな。
なお、確か中日にタイガースがボロ負けした時、「今の気持ちは」と尋ねると「すごく嫌(悔しい)」だったのですが、「じゃあ中日についてどう思う?」と尋ねたら、何度尋ねても「少し嫌(嫌い)」で止めました。なんか「こいつええやっちゃなあ」と思いました。
後半は「フォアボールだから4を出してよ」というかなり強引な展開ですね。彼が「4」で止め「これだよ」というふうに「アーーッ」と言っているのがわかります。
A君は中学部に進んでから電動車イスの操作の授業も受けるようになりました。(なぜか小学部では電動車イスに乗る授業って彼に限らず当時は無かったですね。・・・そんなもん乗るより訓練して歩け、という世界でしたから)ただし、車イスからスイッチボックスのついた長い電線が出ていてそれを教師が持っており、いつでも緊急停止できるようにしてですが。実際、彼はよく壁に激突していましたし、その後、私はいなくなったので実用になったかどうかは知りません。
でもそんな授業をやってみようと思って下さったのは、彼がスイッチを操作し、いろんなことがわかっているんだ、というのを見ておられたからこそだと思います。
ジェリービーンスイッチ
スイッチアームST
今できること、今楽しいことで、暮らしていく、学んでいくことの大切さをあらためて強く思いました。
ところで、この記録は、学研のかつて出していた「NEW 教育とコンピュータ 1996年 8月号」に掲載して頂きました。現在は休刊(つまり廃刊)になっている雑誌です。
で、その記事の中に大嘘があります。61Pに書いてある「学習指導略案」
これです。
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そんなもん作ってませんから(笑)
あくまでも後になってみたらこういう意図で進んでいたんだ、と自分で気づけたというものにしか過ぎません。いろんなこと、これができるかな?あれができるかな?それをさぐりつつ、楽しいコミュニケーションを実現していこうとしていただけです。でも確か「指導案があるでしょうからそれ載せて下さい」と言われて、うんうんうなってでっちあげたんです。
まあ、通常校の通常学級の研究授業だと当然指導案は書きますが、普段だとそんなの書かなくても「指導書」とかに書いてるってこともあるし、指導案を頭に置きつつ授業する、ってことはあります。しかしそれ、特別支援教育でできるかなあ・・・
こういう指導計画については
にも書いてます。この時も「実践記録を本に載せたいから年間指導計画を載せて」と言われたんですね。そんなもん作ってないし・・・で、そんなもん作ることより、目の前のお子さんの「今」の様子を見ることが大事と違うかなあ・・・
なんかカッコばっかりつけて、肝心のことがおろそかになってないか。
(しかし・・・ものすごい金額使ってる・・・逆に言えばそれだけ収入があったということ)
学研NEW1996年8月号に掲載された、私の作ったHyperCardのスタック。「あかきみ」のスクリーンショット。学研さんがアップを許可して下さいました。
上の画面で、自動スキャンや2点スイッチのスキャンで、例えば「か」と「き」を選べば、下の画面の「柿」の絵が出てくる、みたいなスタックです。