※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2012年04月24日

1994年の肢体不自由特別支援学校での取り組み

 先日、インテックス大阪で行われたバリアフリー展で、肢体不自由特別支援学校(当時は養護学校)に勤務していた頃の同僚に会いました。びっくりしたあああ、でした。


 で、翌日、小さなホワイトボードを探す必要に迫られ、ひょっとして私がネタキリになった時、休職するさいに学校から段ボール箱に詰め込んで何の整理もせず(する元気は無かった)置いている中にあるかも、とほぼ10年ぶりくらいに開いた中から、肢体不自由養護時代の実践ビデオが出てきました。もともと8mmビデオで撮影したものをminiDVテープにダビングしたものです。


 先日2代目の据え置き型miniDVデッキがついに壊れ、残るは15年前に購入したDVハンディカムだけになっていました。ある意味、私にとって動画として見ることのできる最後のチャンスでした。


 ものすごく懐かしい動画でした。たくさんのお子さん・教師が映っていますが、A君(タイガー君として、私のホームページやこのブログで紹介しています)の部分は公開できたらな、と思いました。


 私はA君の家への連絡先は全て失っています。また何度も家庭訪問し、家の環境設定もしましたが、もう家の場所もうろ覚えになっています。そこで前日会った元同僚にA君の連絡先を聞きました。すると彼は知らないのですが、別の同僚なら知っていると教えてくれました。同時に「もう何年か前にお亡くなりになってる」ということも。


 その別の同僚に連絡を取ったところ私の記憶を補強して下さいましたが、しかし「A君のことには触れられたくないみたい」とも教えてくれました。


 う〜〜ん、どうするか。しかしとりあえずiMacに取り込んで、A君の部分をざっと編集しました。


 それをDVDに焼き、またMacBook Airに入れて持って行きました。


 最初はお留守、結局4時間ほどの間に3回訪問し、3回目にお母様にお会いすることができました。


 出てこられたお母様は、最初私のことがわからなかったようです。まずお悔やみを述べ、ご仏前をお渡ししてから、実はこんなものが見つかりまして、とMacBook Air で動画をお見せしました。


「こんなビデオが! あったんですね」(もちろん撮影時にお見せし、例えば研究会などで発表する許可は当時得ています)


 で、涙ぐまれました。お気持ちは察するしかありませんが、喜ばれていたようです。少なくとも「話したくない」という感じでは無かったです。


 でDVDを差し上げるとすごく喜んで下さいました。


 そして公開の許可を頂くことができました。


 何か、ここ数日の流れ、といったものを感じます。では動画。




肢体不自由養護学校での実践

  追記。あれ?2回の実践だと思っていたけど、3回分入ってますね。少し書きなおさないと。


A君


1つ目 1993年度のいつかわからない 

  使用機材 Panasonic A1GT(最後のMSX?)

       ディスプレイは普通のテレビではなくMSX用として販売

       されていたものだと思う

       スイッチインターフェイス(自作・中邑賢龍先生のたぶん

       最初の著作(題名忘れた)を見て)

       スイッチ(自作・このオムロンのスイッチは既に生産終了

       品のようです)

       ソフト 岡山県立早島養護学校(現・早島支援学校)障害児

           用ソフト集から「◯◯はどっち」


2つ目 1994年2月(1993年度)

  使用機材 Apple Machintosh ClaccicII

       スイッチインターフェイス(これは笹野さんの作られた物

       かな?)

       スイッチ(自作。オムロンのスイッチを2つ使って)

       ソフト 「りんごはいくつ?」(HyperCardで私が自作した。

           もちろん「◯◯はどっち」の真似)


3つ目 1994年5月(1994年度)

  使用機材 Apple Machintosh ClaccicII

       スイッチインターフェイス(これは笹野さんの作られた物

       かな?)

       スイッチ(オムロンのスイッチを学校のマイクスタンドに

       ガムテープで貼りつけた)

       ソフト 「野球をしよう」(HyperCardで私が自作した。

           もちろん「◯◯はどっち」の真似)


 こういう実践に到る前の段階から。


 A君はご覧のような動きです。表情が豊かなので、こちらから話しかけることはわかっているよう。特に阪神タイガースの話題は大喜びするようなお子さん。


 ある時、1992年度末だったか、翌年度の学習グループを決める会議の直前でした。お子さんの障害程度に応じて、教科学習的(と言っても通常校の教科書などできるお子さんんはごく稀です)なことをするグループ、そういうのは無しで揺れの感覚遊びや、マッサージ、音楽を聞くなど、何というか受け身的な学習ばかりするグループとかに別れます。その時、彼は畳敷きの訓練室で何人かの児童と一緒に仰向けに寝ていました。その彼に、担任でも無かったけど若かった私はちょっかいをかけたのですね。歳をとった今だったらちょっかいをかけないかもしれない・・・すると彼は


「あーあああ(やめてえやあ、と聞こえる感じ)」


だったか


「あーあ〜あー(あほかあ、と聞こえる感じ)」


だったかとにかく大笑いしながら発声したのです。今までそんな報告を聞いたことの無かった私は、感覚運動とかばかりのグループに入る予定だったのを、いや彼は何らかの教科的学習をするグループに入れるべきだ、と主張してそちらのグループに入ってもらうことにしました。


 で1993年度、動画に出てくる(と言ってもほぼ声だけですが)女性の先生が担当されました。この先生、さあA君を担当して何らかの教科的な学習をと言われてもとても困られました。そこで私が色々家庭訪問などして、操作可能なスイッチやソフトとハードの組み合わせとか考えて、彼に操作でき、わかる、教材を考えました。


 この先生は、パソコンなどは使ったことも無く、基本的に機械類は苦手でした。そこで私が起動も含めて全部揃えてやってきたら即使えるようにして、使って頂きました。機械類は苦手でありながら、しかしA君が他の授業では見せない熱心さ、楽しそうな様子を見て、「私はこの授業をやりたいです。協力して下さい」と言われました。


 私も他の授業を担当していましたが、あれこれやりくりし、休み時間に機器を先に教室に設定してあげ、自分の授業に入る、そして次の休み時間に撤収する、というような形を取っていました。


 実際、この時の体験から、支援機器やパソコンなどの利用に関して、教師として知っておくべきとは言えない瑣末な機器・パソコンの知識、どんなソフトがあるのか、どんな入力装置があるのかなどの知識が無いと、教師から「こんな授業を実現したいのだけど」と相談されても「ほら、こんなふうにできるよ」と目の前で示すことはできないし、普及することはできないなあ、と思いました。で、たくさんの教師にそんな知識を求めることは無駄なことだと思います。


 ですから、私は1993年ごろ教育委員会に「教師で無くなってもいいし、給料が下がってもいいから専任にしてくれないか」という提言をしたことがあります。「あほかいな」という返答でしたが。まあそれはそうです。ある職種を(その行政で独自に)入れようと思ったら、確か議会で条例か何かを通さないといけませんから。


 なお、1992年頃からの実績を元に、1995年度の会議でみなさんにプレゼンし、情報処理担当者は他の先生に比べて2時間の空き時間を頂ける、ということにしました。まあ、1996年度は私は異動していなくなりましたが、後の人のためにも大切なことだと思ったので。その空き時間は他の先生の指導のサポート(別につきっきりでなくていいから、たくさんの部屋を回れますし)に入ることができます。


 もちろん、本当は「まったく授業から浮いている機器利用サポート係」みたいなのが欲しいですけどね。(今はあるのかな?地域によっては「自立活動担当」という方がまったく授業から浮いて動ける、というような話も聞いたことがありますが)


 なおA君については、最初、やはり自作のよくあるゲームセンターのゲーム機についている押しボタンスイッチを5個十字に並べた自作5点スイッチをまず試してみましたが、難しく、この1994年?月には2点スイッチでの左右の決定の操作になっています。そして5月には逆に1点スイッチにして、ソフト側で工夫して、意思がわかりやすいように工夫しています。


 最初、多くのスイッチで、そしていろいろやってみてスイッチ数を減らした方が本人の操作しやすく、わかりやすいので減らしていったのですね。


 で、たぶん1994年か、1993年のMSXの実践は、岡山県立早島養護学校の「MSX障害児教育用ソフト」の中のたくさんのソフト(1点スイッチで使うもの、2点スイッチで、矢印キーで、またキーボードで、とかたくさんの肢体不自由のお子さんが使えるソフトがありました)の中から「◯◯はどっち」というのを使っています。


 そして1994年2月は MacClassicIIで「◯◯はいくつ?」と数を数えるソフトを使っています。これでもいつも正解できたかどうかはわかりませんが、かなりの正解率でした。これでA君は数えてはいるんだな、というのがわかりました。


 しかし腕の動きの問題で、カーソルを右に動かしたいけれど、腕が棒スイッチより上の上がらなくて(?)左側のスイッチを動かしているような様子もあります。2分45秒あたり。でもそれを越えて右を動かしています。


 なお、このソフトは1993年の特別支援教育総合研究所での短期研修のおりに自作したもので「ホームラン」という時の絵は私が描いたものです。このソフトを見たみなさんは「肢体不自由養護学校の児童が描いたものに違いない」と思っておられたようですが・・・


 なお、「ホームラン」の絵以外は他の方の作った教材ソフトの絵や、ネットで絵を描くのが得意な人が私の要望に応じて描いて下さったものを利用しています。この手のソフトは、一番最初に作った時はわけがわからず、結構長い制作時間がかかりましたが、もう1994年頃ならだいたい思いついて15分で作れる程度のものしか作っていません。


 ある時は、朝、教室を見まわった時にふと思いつき職員朝礼までの5分間で「グー」「チョキ」「パー」がトグルででるソフトを作ったところ、めちゃウケました。もし教員が作るなら、あんまり凝らずに短時間でできることが大切だと思います。


 まあ、他所で作られた「すごいソフト」を知っていて、集めて利用できる、ってのも大切か。


 1994年5月のMac ClassicIIの実践について。


 まず最初、どうもA君は3分13秒あたりから「はじめます」と言っているようです。私にはわかってないですね。私が難聴であったこと、それとセンスが無かったのかも。


 しかし、それはそれでいいかと思います。もちろん私がすごくセンスがあればそれはそれでいい。しかし世の中には無い人もいる。そういう人にでもわかる方法で伝えるようにならなければそれはコミュニケーション手段と言えませんから。また「A君がしゃべれる」「音声言語で会話できる」という報告は聞いたことがありませんでしたから、他の先生方にとっても彼の音声での会話はわからなかったのだと思います。


 今回は、1点スイッチにして、ソフトが1入力するたびに順番に画面がかわりまた元に戻る、いわゆるトグル型ソフトにしています。


 最初のほうは、いわゆる「お勉強」ではなく、本人の気持ちを表現してもらいたい、という思いでやっています。


 もともと彼はタイガースファンなのですが「タイガース昨日勝ったか?」と尋ねても「アーーッ」と大笑い、

「タイガース昨日負けたか?」と尋ねても「アーーッ」と大笑い、ということで、わかっているのかわかっていないのか、よくわからなかったのです。


 この授業の場合、前の授業の時に「にこにこマーク」「しかめっ面マーク」が交互に出てくるもので、「嬉しい、楽しい、好き」「嫌だ、嫌いだ、面白くない」などを伝えて欲しい、という授業をやっていて、彼自身の操作で、そこそこできました。


 そこでこの時は初めてその横に「□が6個(多い)」「□が2個」少ないを同じ画面に出し、「すごく嬉しい」「ちょっと嬉しい」「ちょっと嫌」「すごく嫌」を表現してもらいました。彼は、前日タイガースは勝ったのですね。だから「すごく嬉しい」で止め、「これだよ」というふうに「アーーッ」と声を上げてくれています。


 なお、これ以前から角材を並行に並べて固定し隙間を作り、そこに「にこにこマークカード」や「しかめっ面マークカード」を立てて(イメージがわくでしょうか?なんか写真でも示した方がいいかな。今iPhoneやAndroid携帯を手で持たずに机の上にたてて置ける台がありますが、ああいうふうに立てるイメージです。あんなふうに傾いてはおらず、もっと垂直に立ちますが)表現したいカードを選ぶ、という学習はやっていました。



 で、そういうのがあって後のパソコン利用なわけです。(もちろんお子さんによってはいきなりパソコンっていう使い方がいい場合もありますが)


 ところで、私はA君とこの場面以外にも、このシステムで彼といろんなやりとりをしました。であるタイガースが負けた翌日は、彼は大笑いしながら「すごく嫌(悔しい)」の絵を出してくれました。そらそうですね。私だって「昨日タイガース負けよった」と笑いながら話しますもんね。笑いながら「ちきしょう」みたいな。


 なお、確か中日にタイガースがボロ負けした時、「今の気持ちは」と尋ねると「すごく嫌(悔しい)」だったのですが、「じゃあ中日についてどう思う?」と尋ねたら、何度尋ねても「少し嫌(嫌い)」で止めました。なんか「こいつええやっちゃなあ」と思いました。


 後半は「フォアボールだから4を出してよ」というかなり強引な展開ですね。彼が「4」で止め「これだよ」というふうに「アーーッ」と言っているのがわかります。


 A君は中学部に進んでから電動車イスの操作の授業も受けるようになりました。(なぜか小学部では電動車イスに乗る授業って彼に限らず当時は無かったですね。・・・そんなもん乗るより訓練して歩け、という世界でしたから)ただし、車イスからスイッチボックスのついた長い電線が出ていてそれを教師が持っており、いつでも緊急停止できるようにしてですが。実際、彼はよく壁に激突していましたし、その後、私はいなくなったので実用になったかどうかは知りません。


 でもそんな授業をやってみようと思って下さったのは、彼がスイッチを操作し、いろんなことがわかっているんだ、というのを見ておられたからこそだと思います。


 なお、同じようなことを今実現するなら、スイッチ部はジェリービーンスイッチを使い、スイッチを支える部分はスイッチアームなどを使うかな。写真とリンクはAT2EDから。


jyerry.jpg


ジェリービーンスイッチ


arm.jpg


スイッチアームST


 今できること、今楽しいことで、暮らしていく、学んでいくことの大切さをあらためて強く思いました。


 ところで、この記録は、学研のかつて出していた「NEW 教育とコンピュータ 1996年 8月号」に掲載して頂きました。現在は休刊(つまり廃刊)になっている雑誌です。


 で、その記事の中に大嘘があります。61Pに書いてある「学習指導略案」
 これです。
 ※クリックすると大きくなります。
でっちあげ指導案.jpg

 そんなもん作ってませんから(笑)

 あくまでも後になってみたらこういう意図で進んでいたんだ、と自分で気づけたというものにしか過ぎません。いろんなこと、これができるかな?あれができるかな?それをさぐりつつ、楽しいコミュニケーションを実現していこうとしていただけです。でも確か「指導案があるでしょうからそれ載せて下さい」と言われて、うんうんうなってでっちあげたんです。


 まあ、通常校の通常学級の研究授業だと当然指導案は書きますが、普段だとそんなの書かなくても「指導書」とかに書いてるってこともあるし、指導案を頭に置きつつ授業する、ってことはあります。しかしそれ、特別支援教育でできるかなあ・・・


 こういう指導計画については




にも書いてます。この時も「実践記録を本に載せたいから年間指導計画を載せて」と言われたんですね。そんなもん作ってないし・・・で、そんなもん作ることより、目の前のお子さんの「今」の様子を見ることが大事と違うかなあ・・・


 なんかカッコばっかりつけて、肝心のことがおろそかになってないか。



(しかし・・・ものすごい金額使ってる・・・逆に言えばそれだけ収入があったということ) 


 学研NEW1996年8月号に掲載された、私の作ったHyperCardのスタック。「あかきみ」のスクリーンショット。学研さんがアップを許可して下さいました。


akakimi.jpg


 上の画面で、自動スキャンや2点スイッチのスキャンで、例えば「か」と「き」を選べば、下の画面の「柿」の絵が出てくる、みたいなスタックです。


posted by kingstone at 13:52| Comment(7) | TrackBack(0) | 実践動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月05日

自閉症のお子さんの表現コミュニケーションの獲得





 この動画は1998年〜1999年頃のkingstoneの実践ビデオです。決して「良い例」ではなく、いろいろと試行錯誤をしています。

 C君は表現の少ない(というか表現手段がわからない)、いつも眉間にしわをよせて不安そうな顔をしている自閉症のお子さんでした。口の中に唾をため出すこともできず飲むこともできず苦しそうにしていることもありました。

 この動画は主としてC君の表現コミュニケーションの獲得の過程に関するものを集めています。

 私は1996年4月に知的障害特別支援学校に異動したものの1997年末頃までの私はまだ自閉症の人にどう関われば良いのかわかっていませんでした。当時の学校の様子は

知的障害養護学校に異動した時
知的障害養護学校での違和感
給食の思い出1
特殊教育学会へ

 C君とは1997年4月から同じクラス(学年)になりました。

給食の思い出3

 これは1997年の秋頃ですね。この時食べさされようとしていたのはA君です。

撃沈

 これはC君が相当に嫌がって食べている感じがする、しかし教師は「食べ!」と言ったり、スプーンを押し付けたり突っ込んだりして食べさせている。だから「残してもいい」という対応をクラス打ち合わせ(学年打ち合わせ)で提案した時のエピソードです。私は名目は「学年主担」(クラス主担)でしたが全然発言に重きは置かれていませんでした。

 1997年10月25日・26日にあったTEACCHの2日間セミナーに行って、初めてTEACCHというものが少しわかりました。そしてその時私が強く感じたのは、「自閉症の人にも伝わる」「自閉症の人が自分で考え判断して行動する。それを信じていいんだ」ということです。それまではTEACCHのことが書かれた本を読んでも何もわかっていませんでした。

 そして1997年の11月頃からC君と自立課題学習に取り組み始めます。本来その時間は「威嚇の上手な超ベテランさん」がC君の担当でしたが、頭を下げて担当させて頂きたい、とお願いしました。

2日間セミナーから帰って来て2

 スケジュールや移動をひとりでできること、についてはまだ全然取り組めませんでした。C君は指差しや他人の動きを見て動いている状態でした。

TEACCHセミナー3回目

 上のエントリには記憶違いがあって、2回目だったですね。こんな経緯(学校から追い出されてもいいから私の思う通りやらせてくれ)1998年9月からクラス(学年)全体を巻き込んで「自立課題学習」「スケジュール」「場所をわかるようにすること(構造化)」(これらは受容的コミュニケーションの力をつける、とも言える)「表現コミュニケーションの獲得」などに取り組んでいきます。

 上の動画の最初は表現ではありませんが、「ひとりで掃除を開始する場所に移動する」映像です。もうだいぶいろいろわかるようになっている頃のものです。1999年2月23日のもの。

 画面に出てくる上下白の服を着た先生から場所を示すカードをもらうと後は引っ張られもせず、他の指示を出されることもなくわかって進んでいきます。(逆に1998年9月以前は例えば「朝の会終了後体育館に行く」というのがわかってできていると思っていたのが、実は周囲の人を見てついて行ったり、教師の指差しや軽く押すなどで行けていたのだ、というのがわかってきます。それまでは「わかってできている」もんだとばかり思っていました。またたまに行き先のカードを渡すのを忘れた時に、すごく不安そうな表情でうろうろしだすのを見て、「わからなくて不安だったのだ」というのがわかりました。視覚支援をするまで私は気づくことができませんでした)

 ここにある掃除の手順を見ることによって指示なしでひとりで掃除ができるうようになりました。ちなみにC君はこういう手順を使う以前は「さぼり」「なまけ」と思われ、「怖い顔」で「やれ!」と指示されていました。ただ単に「やることがわからない」だけだったのです。

 このような「見てわかる」もので伝えてもらうことがあってこそ「見てわかる」もので伝えようとしてくれます。

 次の映像は「自立課題学習」の手順を示すもの(ワークシステムの一部とも言えるし、子スケという言い方もできる)と、「掃除」の手順を示すものです。この「掃除」のところに先ほどのC君は行ったわけです。

 次はC君に「自立課題学習が終わった時に教室に帰るかプリントをするか選んでもらおう」とした手順。「プリント」の写真とこの時「教室へ戻ってね」の意味で使っていたゴールドカード。1999年3月末に撮影。

 これを始めた頃はC君には「選ぶ」ということはわかっていませんでした。ゴールドカードを持ってきて「じゃあC君、教室に行ってね」と押されて行き、プリントのほうをうらめしそうに見ている、なんてこともありました。

 この取り組みでも本当にわかったかどうかはわかりませんが・・・しかし私たちは「選択活動」を取り入れていこうとはしていました。後ろに出てくる「注意喚起の授業」(肩とんとんの授業)でもプリントを2枚出してどちらをするか選んでもらっています。

 1998年の9月から表現コミュニケーションの手段として名刺サイズのカードを使ってみました。しかし、全然使えるような気配もありませんでした。それまでC君には「指差し」という行動もほとんど見られませんでした。

 1998年の11月。新人AさんがC君と「こそばしっこ(くすぐりっこ)」を楽しそうにしているのを見て「こそばして」「ギュッして」「やめて」のカードを作ってみました。これで初めて「カードを使うと自分にとっていいことが起こる」がわかったようです。その時のエピソード。

過去の記事116(こそばしっこにカードを使うのは? C君の意思表出)

 なお、この議論をした時の新人Aさんの1月も経たないうちの心境の変化。通知票(あゆみ)を書いた時のエピソード。(通知票は12月初旬には文を書きますから)

過去の記事146(通知票の表現  うれしいことがありました)

そして1998年のクリスマスに初めて他の先生に向かって「トイレに行く」を使えたようです。

過去の記事170(クリスマスプレゼント C君の意思表出 A君のそうじ)

1999年の1月8日から「てつだってください」をつけてみました。1月14日に初めて自分から使えました。

過去の記事205(てつだってください C君の意思表出)

 そして次の動画は、自立課題学習の時間にC君が寄ってきて、私の肩をとんとん(しようとしたけど、ほとんど私には触れてなかったみたいです)し、「てつだってください」のカードを見せる映像です。1999年1月28日。最初、私は気づいていません。


 次は実際に使っていた名刺サイズのカードです。カードリングにとめています。最初は名刺サイズのカード1枚に1つだけ書いていたのが、いろいろできるようになったので2段に分けて書いたりしています。

 そして「伝えられること」「伝えて欲しいこと」が増えてきたのでA6サイズのシステム手帳のコミュニケーションブックにしました。しかし今の私の目からすると「教師が言わせたいこと」がまだまだ多すぎ、「C君本人が言いたいこと」が少ないです。

 次は1999年3月の注意喚起の授業です。コミュニケーションブックの伝えたい部分をつまみながら肩トントンをしてくれています。私以外の人にもできるようになりました。

 プリントを2枚の中から選んでもらっているシーンもあります。このような取り組みの中でアイコンタクトや指指し(C君の場合は腕さし)が増えていきました。

 次は1999年6月の給食風景です。コミュニケーションブックを使って「食べるよ」とか「おかわり」とか伝えていることがわかります。

 しかしこの動画はたぶんC君が「これ食べてもいい?」みたいに尋ねてくるのを何とかしたいなあ、何かヒントはないかなあ、と思って撮影したのだと思います。

 1998年3月まではここに映っているC君もBさんもスプーンを口に突っ込まれて食べていました。1998年9月からクラス(学年)の取り組みとして「スプーンを無理に突っ込まない」「食べたくないものは残すことができる」という取り組みを始めて10か月後です。C君に関しては「残します」の表現もしてもらえたらなあ、と取り組んでいます。給食関係はこちらにまとめています。

食器 給食指導・偏食指導のことを並べてみた

 このように「表現する手段」「見てわかるもので伝えてもらう」をやっていたC君ですが、2001年度の担任(前年から担任。前年は私がいたので言えなかったのだと思う。通常中学から特別支援学校に異動して来て6年目。十分にベテランと周囲から見られる。校内でもリーダー的存在)が懇談会で「お母さん。社会に出たら視覚支援なんて無いの。やめましょう」と言ってすべての視覚支援を取り上げます。

 なお2002年度から学校そのものが「写真などのスケジュール」を使い始めます。しかし、それは「好きでもないこと」を「やらせる」ものになっていたのではないかと私は勝手に推測しています。

こんな視覚支援では困る

 そしてC君は「動けない人」になりました。

 実は「見てわかる様々な支援をなくされたこと」と「動けない人」になったことの間に「科学的な因果関係」を証明しろ、と言われてもできません。

 しかし本人が「やりたいこと(選択したこと)を表現できる」「それが実現できる」など、キモのところがわかっていなければどんなに「視覚支援」しているように見えてもそれは支援にはなっていません。

 なお、ありがたいことに学校卒業後C君は日々良くなっているそうです。

 私が特別支援教育担当教師や支援者に「もっと勉強してね」と言うのは「まちがい」なのでしょうか。「上から目線」なのでしょうか。

 ご判断は動画を見られた方にお任せします。


 昔、ATACで発表した時の資料が出てきました。PDFにしてA4で1枚にまとめています。

tesasi.pdf
posted by kingstone at 23:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 実践動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月09日

私は「わがまましほうだい」「やりたいほうだい」にさせているのか?

 私はよく自閉症の人や発達障害の人への対応で

・その人の好きなことを見つける
・その人のできることを見つける
・その人の選択を大事にする
・できるだけ選んだことが実現できる環境を整える

 みたいなことを言います。書きます。そしてそのためにも「見てわかる」ことで伝えたり、「見てわかるもの」の助けを借りて表現してもらったり、それが実現できたりすることが大切なんですよ、と。

 するとよくある反論?というか質問?にこんなふうに言われることが多いです。

・あなたはわがまま放題にしていいと思っているのか?
・あなたはほったらかしでいいと思っているのか?

 まあ私としては脱力してしまうわけで・・・そこんとこ話そうと思えば、相手の方がちゃんと聞くつもりで1コマ1時間、9コマくらい実践動画をお見せしつつ、また実践の話も加えつつ、語らないとわからない話なわけで・・・

 で、たいていは相手の方は「ちゃんと聞く」気なんかなくて「ほんま理想論ばっかり言いやがって。人手も無ければ、施設もお金も無い中で、しかもこの自閉症の人の能力は低いのに」みたいに思いつつ腹立ててたりするわけで・・・

 だから私はたいていにこにこしながら、ちゃんとメモし、そのメモを見せつつ「ええっと、これ、私、言いました?他の方が言ったことですよね?」とか言うと、「ええ、確かに。そんなことを言われる方も多いので」みたいなことになることも多いかな。で、それ以上は「議論」せず、必要であれば「具体的な支援方法」のみ話し合います。ここで「音声言語のみの言い合い」になったら多分それは不毛です。

「kingstoneがこんなこと言ってた」って全然違う話をされたら困るから、一応の確認のみはしますけど。

 まあ、言ってもいないこと、を他人が「頭の中で作り上げる」のはごく普通のことです。だからそれを「悪い」と言ってもしかたないんですけどね。

 で、私の実践動画を見ていただければ、私が「わがまま放題」「ほったらかし」にしていたかどうかは一発でわかるでしょう。

 でもね、例えばメールであるとかTwitterであるとかで「(自分のやりたいことがあるのだけど)こんなわがままなことやってええんやろか」「他人に迷惑をかけるのとちがうやろか」と躊躇しているような人を見かければ「わがままでいいんだよ」「迷惑をかけてない人なんかいないんだよ」とレスをすることはよくあります。たぶん、その人は今まで「がまん」し過ぎてきているんじゃないかなあ、と思うし。

 また自閉症や発達障害の人はちゃんとわかるように伝えてもらっていないのに「わがまま」「さぼり」「なまけ」と言われることが多く、(いや多いなんてもんじゃなくてほとんどがそうじゃないだろうか)、その時に「わがままだっていいんだよ」と言ってあげることが大事なことはよくあると思います。

 でも、これも、人により、場合により、変わってくることではある。

 例えば「わがまま」「やりたい放題」とか言う時、自閉症の人が好きな活動があった時、別の人がやっちゃうと殴りかかる、とか泣いてる子どもがいる時殴りかかる、とかいった「問題行動」がよく取り上げられることがありますが、私もこのブログの中で咄嗟に止めたことがあることも書いていますが、結局のところ「その人がわかってできる行動を増やす」「スケジュールで見通しを伝える」「殴らなくてもいいような環境を整える」「きちんとしたコミュニケーションを取れるようにする」で改善あるいは無くなったことがほとんどですけど。

 これも「今ある問題行動」だけに着目しているとわからないことだと思います。

 で、そういう事例の時、「この子(人)のわがままを聞いていてはいけない。ちゃんとしつけなければ」という人に対しては「わがままでええんちゃう」というところから本当は話をしたいけどね。

 例えば昔、超有名大学の超有名教授が

超有名大学の超有名教授がやって来た

の時、語られた

 ある施設の施設長さんの部屋を訪問した。二人にお茶が出された。自閉症の人が入って来てお茶を取り、口に含み施設長さんと超有名教授にプーッとお茶を吹きかけた。施設長と超有名教授はにこにこしていた。

を「ええ話」として語るのは、あほかいな、と当時でも思えました。

 まあ、それより昔、文書や記録には残されていなくても、たぶん成人施設でも養護学校でも、当たり前に「威嚇と暴力」がふるわれていて、それが当たり前だった時代に少しは意味を持つエピソードであったのでしょうが。で、この当時、少なくとも私の勤務していた知的障害養護学校で威嚇と暴力が普通にあったことも事実だから、その人たちに意味があった??

 まあ、無かったような気はする。

 実践動画公開をして、いろいろ思い出してしまったので、書きました。


posted by kingstone at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自閉症のお子さんとのVOCAを使ったコミュニケーション授業1997

 これは1997年12月8日午後1時頃のkingstoneの実践動画です。

 遅延性のエコラリアはたくさんあるけれど機能的な音声言語(場に合い、要求など具体的に役に立つ表現)の少ないA君に機能的な表現コミュニケーションを身につけてもらおうと、「大好きなプリント」学習の場面でVOCA(音声表出意思伝達補助装置)を使って「もっとやりたい」を表現してもらったもの



 なお、A君が耳を押さえているのは、校内放送で彼にとって不快な音楽が流れているからです。まあ「年齢相応」でもない曲やなあ、と思いますね。この曲で苦しんでいるのは彼だけでは無かったと思います。当時、私はそこまで気づいていませんでしたが。

 この時の授業は少なくとも1対3でやっていますね。そして手持ちカメラで撮影しています。

 これ以前、機能的な音声言語(?)としては「トイレ」と言ったことがある、程度。それもいつも言ってたわけではありません。

 しかし、A君は五味太郎さんの本などを読んで、何かその場に合った絶妙の遅延性エコラリアを言ったりもしていましたし、こんなこともありました。(どこかで書いたと思っていたのだけど、検索で探し出せないので改めて書きます)

 たぶん1997年。みんな体育館にいました。A君は体育館の壁にもたれ「学校なんていらなあい。◯◯養護なんていらなあい」と少し苦しめの顔で言い続けていました。私はそれを聞いてショックを受け、この先生はわかってくれるだろうとある先生(威嚇と暴力は大嫌いで、特別支援教育にも造詣の深い先生)に告げたところ、もちろん私を励まそうとしてのことだとは思いますが「自閉症の子はわけのわからないことを言うことがあるからね」とおっしゃいました。

 ああ、そういうふうに考えはるのだなあ、と思いました。まあ、その学校で最高に素晴らしい先生でもそうなのですから、ほんと周囲の先生にはまともには「相談」できないなあ、と思いました。

 その頃はA君は教師からイジメと言っても良い「指導」を多々受けていたと思います。

 このビデオの頃の記録があるので、こちらに転載します。
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97年7月

 今日、A君とVOCA(Voice Output Comunication Aid)を使ってみました。

 今回はメッセージメイト40/20を使いました。これはスイッチを1,2,5,20個のいずれかに設定できるのがいいですね。スピークイージーだと12個固定ですから。

 スイッチを5個に設定し、左から「かんたん」「もっとやりたい」「もうやめたいよ」「わかりません」「むつかしい」と言葉と絵を入れておきました。

 A君はトイレに行きたい時は「トイレ」と言ってくれますが、他の時は自らの要求や、感想なんかは言葉を発声してはほとんど答えてくれません。

 さて、教室に持って入るとA君はいきなりメッセージメイトに興味を持ちました。そこで机の上に置いてあげると、ニコニコしながらスイッチを押しまくります。ひとつひとつの言葉の説明というか条件づけというか、そーゆーことは今まで一切していないわけですから「こりゃあかんのじゃないか」と不安がよぎりました。

 いつものように、パズルをします。できたあとメッセージメイトを出すとやはり全部スイッチを押して行きます・・・・むむむむ

 トランプ並べ。その後メッセージメイト・・・やっぱり全部押します。

 さてプリント。これは彼が簡単にできてるやつです。でこちらが大きな○を書いて「よくできました」などと言ってると次のプリントの方を見て「やりたそう」に見てるんですね。1枚目ができて○をつけた後、メッセージメイトを出すとA君は迷わず「もっとやりたい」を押しました!他のスイッチを押そうともしません。

 で、プリントを5枚ほどやったんですが、ずっと同じやりとりが続きました。

 私もすごく嬉しかったし彼もニコニコしていました。 もっといろんなこと

に利用できるかもしれません。いろいろそ考えないと・・・

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98年3月

 いろいろ考えないと、と言いながら、なかなか新しいアイデアが出ませんでした。彼がプリントをやっているのを見ていて「いつもはできたらこっちが「できたね」とか言いながら丸をつけているけれど、彼に「できたよ」と言ってもらえたらどうだろうか」と思いつきました。

 そこで急遽一番左はしに「できたよ」という声を入れて字も書きました。で一度だけ彼に「ここに「できたよ」というのを入れたよ」と言いながらメッセージメイトを見せておきました。(できたらここを押すんだよ、と言ったかなあ・・・忘れた)

 彼がプリントができた時に私は横で知らん顔をして別の作業をしていました。そしたら「できたよ」を押します。で私の丸つけが終わるのを見て「もっとやりたい」を押します。

 嬉しいな。もっといろいろ形や場面を変えて使えたらって思います。

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98年5月

 メッセージメイトのバッテリーが上がっていました。そこでメッセージメイトが無いままにプリントの場面に来てしまいました。で、彼がやりたそうに見ているのに、ちょっと知らん顔をしていると「もっとやりたい」と声に出していいました。で、プリントができても知らん顔をしていると「できたよ」と言いました。

 でも、こうなってくると「もっとやりたい」という言葉は不適切やなあ。
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 ちなみに、VOCAを使ってみたのはまったくの思いつきです。先の見通しなど全然ないままに使ってみただけです。

 もちろん、その背後にはオタク的な知識の集積と、オタク的なグッズ収集癖があったわけですが。しかし、例えば特別支援学校の教師全員がそんな知識やコレクションを持つ必要は全然ありません。ただ一人くらいは欲しいところです。で、他の先生は「こんな授業をしたい」「こんな表現ができるようになったらいいな」と問題を出してくれれば「じゃあ、これとこれを使ってこんな授業をしたらいいんだよ」と答えてあげられればいい。それだけのことです。

 ここで使っているメッセージメイトも、肢体不自由特別支援学校時代、肢体不自由児の表現コミュニケーションを1スイッチでできるようにするために、11〜12万円の物を自腹で購入して持っていたものです。

 自閉症の人へのVOCAの利用については1995年に香川県高松市で行われたAACセミナーにて坂井聡先生が自閉症の生徒に使わせてみたところ、それで表現できるようになっただけでなく音声言語でも言えるようになった、という事例発表を聞いたのが最初です。(この時、私は「肢体不自由養護学校でのVOCAの利用」で発表した)

 この時は会場から「音声言語が使えるようになったのはたまたまであり、VOCAを使えば音声言語が出るようになる、と主張しているように取られては危険である」というご意見が出ました。当然ですね。また坂井先生もそう主張しはったわけではありません。

 しかし、A君も結局は同じ道を通って機能的な音声言語の獲得(?)に至りました。私は別にそれは全然ねらってないことでしたが。そしてまた、もう今2011年ではそんな例は山ほどあると思います。「自閉症児と絵カードでコミュニケーション PECSとAAC アンディ・ボンディ他著」の中でも

「これらをまとめると、AACの適用によって話す能力の発達に悪影響があったり抑制されるといった証拠はなく、よい影響を示す研究結果が増えていると言えます。」

 例に出ているのは Layton & Watson,1995。


と書かれています。

 それからA君の音声言語獲得もVOCA以外にも「書いて伝えること」「カードやコミュニケーションブックをこころ覚え(リマインダー)として使い、音声言語で表現する」など、いろいろなことをやりました。だからこそ、飛躍的に伸びたのです。

 ただし、ここで確認しておきたいのは、あくまでも音声言語はおまけであるということ。人によっては音声言語は出ないことはあるし、それで全然構わないわけです。音声言語以外の代替のコミュニケーション手段で周囲とコミュニケーションできればいいだけですから。

 まあ、いずれの方法を取るにせよ、「(自発的表現を)待つ」というのはいずれにしても必要です。私はこの「待つ」というのは、まずカウンセリングから学びました。相手が自発表現をするまで結構、待ちます。積極的傾聴・共感的理解なのですから。もちろん、様々な形でつっつくことはしますが。

 で、その後学んだインリアルだって同じだと思います。基本的態度であるSOUL
   Silence(静かに見守ること)
   Observation(よく観察すること)
   Understanding(深く理解すること)
   Listening(耳を傾けること)
カウンセリングと同じじゃん。

 AACはそもそも「本人からの自発的なコミュニケーションをできる方法でやろう」だから待つもクソもなく、もうそのもの。

 応用行動分析だって「ディレイをかける」て言うし、TEACCHでも同じ。

 そして、そもそも「本人の選択」を大事にしようとするはず。私にとっては全然別のものに思えないし、互いへの批判的な議論って、そこがわからずに非常にレベルの低いところで行われていることが多いような気がします。だからあほらしいのでそういう議論には参加しません。(めっちゃ上から目線やなあ・・・)

 まあ、「カウンセリングで何でも治る(自閉症も!!)」とか「応用行動分析でどんな行動も身につけさせることができる」とか「TEACCHは無敵」とかあほなことを言う馬鹿がいたのは事実だから、そこらへんはちゃんと見ておかないといけませんが。

 まあ話があっちゃこっちゃしましたが、A君の機能的な音声言語は飛躍的に伸びたわけです。

 しかし、1999年4月に異動してきたベテランさんが担任になりました。この先生は決して威嚇や暴力は使わない先生でした。優しく声かけし、スキンシップが大好きで、子どもたちを振り回して遊ぶのが大好きな先生。もちろん子どもたちも大好きです。(「子どもを一本背負いできなくなったら教師を辞める」とおっしゃっていました。)

 「見てわかるもの」で伝えたり、音声言語以外の代替手段で表現させようとは一切してはりませんでした。そういうあれこれを使う私にひどく反発を感じておられたそうです。

最初は反発していたけど・・・

 だから、私が引き継いだあれこれはまったくやって下さらなくなって、機能的な音声言語はどんどん無くなり、またそれ以前におさまっていた(おさめていた)「問題行動」が頻発します。それに対して、私は丁寧ににいろいろな文書を出して何とかしていこうとしていたのですが。例えばこういうふうに。

何かがおかしい?(A君の音声言語表現について)

 大昔の話です。

 知的障害養護学校4年目の5月下旬のニュースレターまで見て頂きましたが、この頃、私は前年と比べて何かがおかしいと感じ始めてい
ます。

 まあ実のところ、私のうつ傾向ゆえか例年5月病になっていたので、それかな、とも思いました。しかし、やはりおかしい。

 周囲はみなさんベテランで、子どもたちにも優しく声かけをし、うまくいっているはずなのに・・・何か子どもたちも落ち着かないし・
・・

 そうこうしているうちにある日お会いしたA君のお母さんが私に、「最近、言葉の増えていたAがしゃべらなくなってきて・・・」と
何気なくおっしゃいました。A君は3年目2学期からの取り組みで、ずいぶん自発的な音声の表現コミュニケーションが増えて来たお子
さんでした。得心できるものがありました。

 全体に、優しい声かけで指示はするけれど、本人が自立的にわかってできる支援ができていなかったのだなと。その時、作って配布した
のが以下のものです。
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A君の音声言語表現について
                          kingstone

 A君は、特に受容的コミュニケーション(指示を受け取る)の場合、音声言語をかなり道具として使うことができます。太田のステージで言うとLDTの結果は3−2です。

 さてしかし、表現性コミュニケーション(自ら進んで表現し相手に伝えようとする)は弱い部分があります。

 まず人に対して表現の開始がしにくい、というところがあります。その結果、人に言うよりは自分でやっちゃえ、という直接行動になり
がちです。

 次に、表現しても、指さしか「ツツ」という言葉が多く適切な言葉になりにくいということがあります。

 昨年度は、表現性のコミュニケーションを増やすためにこんな取り組みをしました。

1.【状況】Hand Writing の時にペンの必要な状況で、ペンを直接取ろうとする。
   【対応】取ろうとしても取らせて上げない。取れない状況を作る。
      カードに「ペン下さい」と書いておいて、あらかじめ見せておいた。
  【結果】(カードを見ないで)「ペン下さい」と言うようになった。

2.【状況】お菓子でコミュニケーションの時間。
      最初は欲しいおやつや飲み物を指さし、時により「ツツ」と言っていた。
      かなり常同行動的なものがでる時間が多かった。
   【対応】机の上に「ポテトチップス」「コアラのマーチ」「おちゃ」「ジュース」と書いた紙を貼った。
   【結果】「ポテトチップス下さい」「コアラのマーチ下さい」とすぐに言えるようになった。
      「お菓子でコミニュケーション」の時には常同的な動きがほとんど無くなった。
 
3.【状況】給食後、中島みゆきのCDを聞きたい時、
     「なかじまみゆきください」とB先生に要求する場合。
   【対応】先生の顔写真に名前を書いたものをカードにして持たせる。
      B先生は「誰に言うとん?」と言って自分の鼻を指す。
  【結果】するとA君は「し・・・(たぶん、Aせんせ、と言おうとした)」
     と言いかけてカードの写真を確認し
     「Bせんせ、なかじまみゆきください」と言う。
     これは2回目からカードを見なくていいようになった。

4.【状況】欠席した友達の名前を言う(これはつい先日です)
      出席調べの時先生が「おやすみは誰ですか?」と尋ねる。
      音声言語では答えられない。
  【対応】手帳の中の友達みんなの写真を示す。
     写真の横には「○○君」と名字だけ書いてある。
【結果】「○○△△君」とフルネームで答える。
     次の時は写真なしで言えた。

 それぞれ視覚的な支援を使っています。まあいろんな状況で適切な視覚支援を考えるのはなかなかたいへんかもしれませんが、一度作ればずっと使えるものも多いです。

 また1番目と3番目の心覚えとしてのカードの使い方のように、一度わかってしまうともう使わなくていい、ということもあります。(でも持っていた方が心強かったりすると思う)

 こちらも、いろんな場面を考えて日常的に取り組んでいると他の場面でも音声言語を使うことが増えるようです。逆についそういう状況を作らないでおくと、他の場面での音声言語の使用も減るようです。
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 この資料は残念ながら意味は理解して頂けなかったようです。


 というふうにして、A君の機能的な音声言語は無くなっていきました。

 なお、異動してきたベテランの先生が「見てわかるものの大切さ」を本当にお腹の底から理解されたのは

卒業式の練習5

卒業式練習でのA君への対応への質問と回答


 そして私が異動した後、担当していた先生(「自閉症の子はわけのわからないことを言うことがあるからね」とおっしゃった先生)から「最近A君は(私たちの作った教育環境によって)ことば(機能的な音声言語)が増えたよ」と教えてもらったので、私は「へえ、そんなこともあるもんなんだ」と思って、他の方にもそう紹介してきました。しかし、先日10年ぶりにA君に会ってみてよくわかりました。

 基本的に遅延性のエコラリアであって、それがたまたま場に合っていただけ(と言っても、それもすごく大切なことだし、たくさんのことを教えてくれるのですが)で、少しも機能的な音声言語が増えたわけじゃないんだ、というのがよくわかりました。それは遅くとも小学部の4年生ではできていたこと。別にその先生がおっしゃった当時に「獲得できた」ことじゃないこと。

 まあ・・・機能的な音声言語が獲得できることがいいことか悪いことかもよくわかりません。機能的な音声言語を獲得することによって「この人は音声言語がわかるんだ」と誤解され、「見てわかるもの」を外され、「わかっているのにやらない」と叱責され・・・ということを助長するだけなら、そんなものできなくてもいい。しかし・・・できなくったって同じような誤解や叱責を受けるなら、どっちにしても一緒か・・・

 なお、私はA君が「音声言語が理解できない」と考えていたわけではありません。例えば

自閉症のお子さんとの自立課題学習と1対1の学習1999年1月長編

の1対1の学習の中では「アンパンマンカルタ」を一緒にやっています。その時、私は、字を一切見せず、音声言語のみで「たびをつづけるおふたりさん」と読み上げ、A君は絵札を見、そこに書かれた一字を最初に出てきた音声から判断して取っています。この程度のことはA君は楽しんでできるし、カルタを楽しめたら(これは「普通」のカルタのやり方です)と思って、こんなことをやっていたわけです。

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2011年07月07日

自閉症のお子さんに掃除の手順を伝える1997〜1999

 これはA君C君へ掃除のしかたを伝えようとした(指導)記録動画です。

 この動画以前のことを書いておきます。A君を指導していた超ベテランさんはこのようにしていました。

「怖い(と超ベテランさんが思っている)顔」
「威嚇(と超ベテランさんが思ってる)声」
指差しをつけて「モップ!」と言う。

 そしてA君の前に立ち「怖い顔」「怖い声」「指差し」で「ここ!」とモップをかける場所を指示し続ける。

 そして終わると我々に向かって「ほんまこいつはさぼりでなまけや。監視し続けとかな、やりよらん」と言う。

 これはたぶんこういうことだと思います。

「怖い(と超ベテランさんが思っている)顔」は笑顔よりも情報量が少なく、A君にわかりやすかった。で、別に「怖い」顔でなくても「普通の顔」で十分だったろう。

「威嚇(と超ベテランさんが思ってる)声」で「モップ!」と言う。
 これは声量の大きさは別として「短く」「具体的」な音声だったからA君にはわかりやすかっただろう。別に「大きさ」「鋭さ」は必要なかったんじゃないかな、と思いますが。

「指差しをつけて」指さされているところが見えるからわかりやすい。

 私は超ベテランさんの解釈は「ちゃうやろなあ」と思いながらも、どうしたらいいかはわからず。そしてこの動画のように取り組み始めました。



 動画前半は1997年6月5日9時頃。いろいろな視覚的な手がかりを使っています。左側のめくり式はC君にわかりやすかな、と思って作ってみました。また右側の1枚の画用紙に上から下に掃除の手順を書いたものはA君にわかりやすいかな、と思って作ってみました。しかしA君はめくり式のほうに関心を向けることもしばしばです。

 またA君C君とも、たくさんの声かけ、指差しが必要です。

 まだTEACCHの本を1冊読んだくらいの頃です。まともなスケジュールにも自立課題学習にも取り組んでいない頃です。

 結局、この1997年6月5日の方法では「うまくいっていない」と言ってもいいと思います。

 次は1999年の1月28日に、モップかけや台ふきなどにどんな視覚支援を使っていたかがわかる動画です。残念ながら実際に掃除をしている場面はありません。私の記憶では「ほとんど声かけや指差しは必要なくなった」はずです。

 先に映るのはC君用に写真を使って手順を示したもの。次に映るのはA君用に名刺サイズのカードに文字ですることを書き、順番に並べて手順を示したもの。どちらも最後にゴールドカード(この時は「教室に帰ってね」の意味を伝えるために使っていた)が用意されています。

 また台ふきを絞るところ、モップをかける時に「ここだよ」とわかる絵や写真があるのもわかります。

 と言ってもくまなく完璧に掃除ができるようになったわけではありません。そのあたりは私もたいへんええかげんなので。でもA君C君が決して「さぼり」でもなく「なまけ」でもなく「やることが伝わっていなかったのだ」は本当に実感できました。

 その後、ある自閉症児に関する授業の全国的な実践研究会で、ある地域の特別支援学級の先生が発表するのを見たことがあります。生活全般が他の児童(健常?定型発達?)のお子さんの音声や指差しの指示で動いていました。トイレ掃除も、友達の指示に従って掃除をしていました。つまりその先生を指導する教育委員会の人も周囲の同僚たちもそれが「いい実践」だと思っているからこそ発表したものと思います。

 指導助言の先生は、まず「たいへんいい実践だったと思います」とかいろいろ褒めてから、最後に少しだけ「視覚的な手がかりでひとりでできることもやってみられたらどうかと思います」と言っておられました。私は「苦労してはるなあ」と思って聞いていました。すぐ側にいたその地域の特別支援教育でリーダー的な立場にある先生が指導助言の講師の話を聞いて、声を荒らげて「地域には地域の事情がある!」と怒っていたのが印象的でした。どんな事情があるんだろう・・・??

 でも講師の先生、本当に遠慮深く言いはったのだけどね。

posted by kingstone at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 実践動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする