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 あくまでも、私個人の意見です。

2026年02月07日

『ドキュメント恐慌』内橋克人著




 もともとの出版は1983年。
 前半はいわゆる昭和恐慌。
 後半は商社の安宅産業崩壊(1977年)とその周辺の話。
 いろいろな統計資料も載ってるが、昭和恐慌については聞き書きなので、たくさんの方の話している内容の年次はよくわからない場合が多いです。

 でも歴史の教科書でふ〜〜んと思っていたことが、立体的に立ち上がってきます。

 他の資料も調べながら書くと。

1918(大正7)年 第一次世界大戦集結
         その後、日本はバブル崩壊。
1927(昭和2)年 片岡直温蔵相(第1次若槻内閣)の失言
  「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました(この時点ではまだ破綻していない)」
   合計32行がつぶれた。
   台湾銀行からの融資打ち切りにより鈴木商店操業停止
1929(昭和4)年 ウォール街の株大暴落(世界恐慌)
1930(昭和5)年 1.11 金輸出解禁(金本位制に復帰)井上準之助蔵相(濱口内閣)
          1.21 ロンドン軍縮会議
          4月 統帥権干犯問題
         11.14 濱口雄幸東京駅で襲われる(翌年6月死去)
1931年(昭和6年)高橋是清が蔵相に就任(犬養内閣)金の輸出再禁止、財政出動で恐慌を抜ける

 ただし、その後、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と進んでいくわけですが。

デフレの状況

 本書 P79 の物価指数の表が出てますが、しかしこの表よりもっとひどい値下がり状況が語られています。
(図はクリックすると大きくなります)
恐慌期の物価指数.jpg

 なお、この本を読んでいて、ものすごくざっとですが、

1円  → 10000円
10銭  → 1000円
1銭   → 100円

と換算するとだいたい合ってる感じです。

・散髪 50 銭 → 30銭
・うな丼(重かも) 50銭 → 25銭
・銘仙 10円 → 5円

 これは、現在のインフレ率が統計では 3%とかみたいですが、毎日スーパーで買い物をしている人にはもっともっと大きく感じられる(実際に、出ていく額が大きい)のと同じようなことかな。

 で、昭和恐慌のさいは、デフレ → 不況 → 失業の増加となっていくわけですが、給料半減や、公務員の賃金カット、また教師の賃金不払いとかもあったとのこと。

 教師への給与未払いの表も載っていました。

1931月給をもらえない先生が増えた.jpg


当時の東北地方の様子

1927(昭和2)年 冷害
1930(昭和5)年 米大豊作(価格暴落)農村恐慌
1931(昭和6)年 冷害凶作
1932(昭和7)年 脳漁村の欠食児童 20万人(これは東北だけじゃないかな)
1933(昭和8)年 児童虐待防止法(旧法:子どもの事態が悪くなったので)
         (9月21日)宮沢賢治死去)
1934(昭和9)年 凶作


当時の娼妓について

・日本堤警察署には「営業係」という部署があった。(吉原で営業する娼婦に「鑑札」を出す。行政の管理化にある公娼制度であったから(もちろん私娼窟もあった)
・(給与の未払いとかもあり)先生女郎と呼ばれる元教師の娼婦もいた
・私娼窟が東北の山村から小学校出るか出ないかの娘 1人17円ほどで買う
・1930(昭和5)年 東京市が「身売り相談所」を設置(もちろん救済のため)


なお、娼婦数については

「統計にみる明治・大正・昭和初期における全国の娼妓数」
今村洋一『文化情報学紀要』2022, Vol.22. 35-47
(椙山女学園大学 学術機関リポジトリ)


から、北海道、岩手県、宮城県、福島県、東京都の娼婦数のグラフを引用すると

北海道
北海道娼妓数の変遷.png

岩手県
岩手県娼妓数の変遷.png

宮城県
宮城県娼妓数変遷.png

福島県
福島県娼妓数変遷.png

東京都
東京娼妓数の変遷.png

 地方の産業が衰退していき娼妓数が減り、東京に1極集中していく様子がよくわかります。

 なお、大正10年から増えていきかけたのに、大正12年に大きく落ち込んだのは、関東大震災のため。


奴隷的労働
 の中で著者は、国家が衰退に抗い、発展(特に経済的に)していくためには何が必要かを考察した中で、国家を発展させない要因として
「収奪的制度」があり、その大きな要因が

◯奴隷制
◯農奴

などに頼る経済制度と言ってはる。当時のそのあたりについては、口減らしのためもあり、子どもが売られたり、年季奉公に出されたり、ということが起こる。(なんせ恐慌当時、炭焼き仕事を1日して 9銭しか儲けられませんから)

・新潟の男性 1927(昭和2)年、15歳で親に300円で食肉店での年季奉公。手当3円/月。お盆 5円、正月10円(年 51円)
・幼年工 月 60円の前借り、徴兵年齢まで 200円内外(年にすると 20円)
・その幼年工も含め、学校に満足に通えなかった人のために夜間小学校ができた。「読み・書き」「そろばん」「修身」を教える。脱落者多し
・作男 前借り金 100円、10年間とすると 1年10円。休みは年に1度鎮守の祭りの日だけ。徴兵が間に入ると、除隊後残りの勤めをする
・資料が残っていないが秋田市横手町に人肉の市がたった(作男、蟹工船乗組員、外地向け娼婦などを売る)

 こう見てくると、今の日本って、もちろんまだまだのところもあったり、失われた 30年があったりしても、まだ土俵際で頑張ってる感がしてくる。なんとか右往左往しながらでも、踏ん張っていかないといけないんだろうな。

 なお、帝大を出ても失業(というか就職できない)率が 30% あったとのことですが、高等文官試験を通り、かつ高級官僚に採用された(採用されない場合もあった)場合は、月給が若い時に 200円を超え、「権妻」の口が降るように来たとのこと。

 権妻(ごんさい)というのは、正妻ではないが、一応正式な妻ということになるらしい。つまり二号や妾ではない、という意味?しかし当時の日本、一夫多妻を認めてたわけ??


posted by kingstone at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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