【個人への介入事例】一見の「成果」の裏側
事例3:完食できるようになったCさん(小2・特支)
◯身体的プロンプト、強化子(動画)
(苦痛の無視?人権は?)
(苦痛の無視?人権は?)
何が問題で、どうやって完食できるようになったか、いや「できる」というのが価値観こみの言葉かな?
どうして完食するようになったか、そのあたりが問題かな。
私が小学校の通常学級の教師だとしたら、年度始めに、
1. 給食が配られた段階で、自分が「食べられない量だな。減らしたいな」と思ったら、元の食缶に戻して自分の食べられる量に調整して良い(全部戻しもあり)
2. 自分の分を完食しておかわりしたいと思うなら、おかわりして良い
3. 決して食べる速さや量で競争しないこと。よく噛んでゆっくり楽しんで食べること
4. 自分の決めた量でも、やっぱり食べられなくて残す場合は残飯入れに入れる
これらを簡単な絵とか写真入りで伝えたいと思います。
支援級なら「見てわかる」ものが増えての説明になるかな。
特別支援学校なら、言わずに「体験」とコミュニケーショングッズの利用でわかってもらうことがより増えると思います。
少なくとも「他人から配られた量を完食する」は目標に成り得ないし、「自分が決めた量」でもやはり食べられないなと思えば適切な方法で残すことが、成人していく子どもたちとして大事でしょう。
それは私が、子どもの口に教師や介助員がスプーンを突っ込んでも手早く完食できるのが指導力のある教師であり介助員である、という価値観の養護学校に勤務したことがあったこと。
完全に苦痛を与えても良い、人権など無い、という考え方ですね。
そこから「自分で選択して残す。意思表出する」ということを指導しようとしたけれど、本当に難しく、遅々として進まなかったということもあります。
また、「恐怖」で食べていた時期は、「これ、おいしいかな?一度食べてみよう」という「探索活動」がまったく無くなっていた子が、別に残していいよ、という指導に変わってだいぶたってから「探索活動」で口に入れてみる(でもやっぱりおいしくないな、と出す)ということが始まり、だんだんと自ら食べる物の種類が増えていった、という体験をしたこともあります。
なお、強化子にしたって、給食なら「おいしかったね。楽しかったね」という体験で十分ではないでしょうか。
私の体験は
なお、通常学級(音声言語がほとんどの子に通じる)であれば特に
「今日のおかずは(パンは、ごはんは、牛乳は)体にこんなふうに役に立つんだよ」
と説明してあげる機会は設けたいな、と思います。これは「完食をめざす」こととは全然違います。
私の知人が、このような私の考え方を知って
「保護者が『この子は唐揚げしか食べません。だから給食は食べさず、私が毎日持たせている唐揚げだけ食べさせてください』という場合はどうするのか」
とよく問いかけてきました。
これはなぜ保護者がそういう考えに至られたのか、本当はどうあるのが良いのか、などをよく考えて話し合うことが大切なんだろうな、と思います。
(画像はクリックすると大きくなります)

