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2025年07月07日

『鼠』城山三郎著に見る鈴木商店焼き打ちと現在の相似




『鼠』は副題にもある通り、神戸に本店のあった鈴木商店の焼き打ち事件の真相を、著者城山三郎が足を使って丹念に当時の事件周囲の生存者に聞き取りをし、最初の方は完全にドキュメンタリー、途中から小説(それもやはり丁寧な聞き取りのうえ)部分が出てくる、といったていのものです。

 1964年から1966年にかけて『文學界』に連載。書籍として出版されたのは1966年。

 1918年の米騒動で焼き打ちされていますから、その46年後から執筆を始め、かろうじて直接体験した人が残っている時代。

 調べるまでは、城山さんの鈴木商店に関する知識は

 主人は鈴木ヨネなる女。金子直吉というやりての番頭が実際の大将株で、対戦景気でまたたく間に財産を作り上げたが、買い占めをしていると噂されて米騒動で焼き打ちされ、ついで昭和2年(1927年)の金融恐慌であえなく潰れたーー」
という程度だった

 私の知識だと、「なんか大きな商社であちこち手をだして潰れた。ただし、そのあちこちの会社は現在も頑張ってるところが多いらしい」くらいか。

 焼き打ちされたことも、はっきりとは意識していませんでした。

 焼き打ちについては世評としては悪どいことをやっていたから、みたいな説が庶民の間に定着していたそう。

 しかし、城山さんは既に経済小説で有名になっていたので、企業家などと会うこともよくあり、鈴木商店を直接知る人からは「悪い噂」は聞いたことが無い。それで疑問に思い、調べはります。

 1964年8月に、神戸三ノ宮 KCC ホールで開かれた米騒動 46周年記念講演会に参加。

 米騒動に続く川崎三菱大争議の記録映画の上映。当時の世相を振り返るためでしょう。終映後拍手で終わったそう。

 最初の講師。統計数字をあげて、米騒動前夜の生活の窮迫ぶりを丹念に説明。

 地主を基盤にした内閣、三井・鈴木などの独占資本の商業部門に踊らされた中小米屋、こういったものが全勤労人民を決起させたのです

 また当時としてはしかたなかったのでしょうが、毛沢東をあがめている言説も。

 聴衆には受けなかった様子。

 そして次の講師が「鈴木は鈴木だが社会党の輝ける元委員長」(輝ける、というのにはちょっと皮肉が入っていると思う)というふうに紹介されているのですが、私には誰だかわからない。

 検索してみて鈴木茂三郎とわかりました。1964年頃の方だったらぱっとわかったのでしょうね。


 で、やはり演説はお上手なようで、めちゃめちゃ受けていたようです。そして

「鈴木の建物の中へ火持って入って行くから、よくわかる。石油缶持って来て、まく。パァーッと燃え上がる。ワ、ワァーッと群衆が声を上げる。いやぁ新聞記者として見とるだけでも仲々痛快」
 どっとホールいっぱいに爆笑。

 うーー、なんか嫌だな。

 この放火では幸いなことに死者は出なかったようですが、私の世代で言えば、三菱重工爆破事件を見て「痛快」と言っているようなもんじゃないか・・・

 しかしまあ時代ということもあるでしょう。

 この本の中にも、仕込み杖を持っているだろう会社ゴロが訪問してきたり、新卒大学生がピストルを持たされたり、闇夜にまぎれて日本刀が使われているようだった様子とかが出てきますし。

 まんま『リボルバー・リリー』の世界かよ、と思えてしまう。


 米騒動研究の決定版とされているのが『米騒動の研究』井上清・渡部徹編全4巻(今、アマゾンで見ると全5巻)

そこで指摘されているのが鈴木が

@71満俵の国外輸出
A買い占めを続行して値段を釣り上げているのではないかと疑われた
B憲政会の横山勝太郎に製粉類と小麦の買い占めをやっている
C外米・朝鮮米を取り扱って莫大な利益を上げていた

というもの。しかし城山さんが調べてみると

@大正元年に28円までいった米価が、一時は12円まで落ち、農村が疲弊しているので、農民救済として鈴木直吉が政府に進言し、国外輸出した。16円から17円までに回復した。 
 そしてこの措置は米騒動の1年余り前で終わっている。

A米価が上がってくると、鈴木商店は朝鮮米の移入に廻った。これは政府の米価抑制政策への協力。しかし公共事業のため手数料は安かった。(前年までの輸出と同じようにある意味義侠心でやっていた)

B米では無い。また憲政会は政府打倒のためなら何でもやる、というふうだった。
 米騒動の被検挙者の中で唯一「アジ演説」をして群衆を煽ったのも憲政会の弁士だった。

Aの「疑われた」という部分は法政大学社会学部歴史学研究会の「神戸に於ける米騒動」 (1954年) (『新史流』〈創刊号〉)からの引用

その中で「鈴木が買い占めていた」と断定している証人が3人。城山さんは全員を探し出し、会って証言を聞きます。

1人目。

「新聞にそう書いていたから」「鈴木が儲けてたから」「鈴木の悪い噂は聞いたことが無い。米の時だけ」

2人目。

米屋さん。「メリケン粉は買い占めとった。米は買い占めてなかった」(しかし、メリケン粉については「いつも買いに来る人とは違う人が来た」というのが根拠)。また米については(鈴木ではなく)顧客やヤクザが買い占め(強買い)ているのを見ている。しかし「噂では米の買い占めに鈴木が金を出していた」とも。そして米の先物相場が上がったことも言うが、鈴木は米相場には手を出していない。
 自分も会社を大きくしたかったのに、そうできず、鈴木は大きくできた無念の気持ちもあるのでは、と城山さんは思う。

3人目。

『新史流』には「鈴木商店の買い占めは事実であり、一貫して買いに廻っていた」神戸証券取引所理事長の肩書(信用として大きい)とともに載っている。しかしそのことを聞くとびっくりされ「そんなになってますか」「まあ学生さんのことですからね」とのこと。よくわからないから、と学生に断っていたのだと。
 なお、この方の場合、証券取引所のせいもある、と少人数が押し寄せたこともあり、夜は宿直職員を増やした。するとある種の人が抜刀してやってきた。
 建物の前を、男が1人走って行ったら、白刃がひらめいて、男の下駄が転がっていたそう。


 つまり『新史流』の記述は根拠が無い、というか、「こんな本にしたいから、証言者の言うことを都合よく解釈、あるいはねじまげた」と考えられます。

 そして、主として「根拠なく」「噂」で「鈴木が悪い」と激しく煽ったのが、大阪朝日新聞。その例が次々と出てきます。

 つまり、状況証拠も、実際の動きも、鈴木商店は噂とは逆に、1918年段階では米価を下げるほうに努力していたわけです。

 ただし、他で大きく儲けていて、大きなやっかみをかっていた。

 そして憲政会推しで時の政府を倒したかった大阪朝日新聞は、鈴木商店と政権内の後藤新平とのつながりを攻撃したかった、というのもあると。

 もちろん、新聞というものは力ある者にも媚びることなく、事実を報道して欲しいけど、噂で罪も無い者に罪をなすりつけてはいかんやろう、とは強く思いますね。

 そして、この人々を煽る役割を、今は様々な SNS がやっているようです。

 米価高騰の原因は別としても(いや、別なのか?)、何か今の世相に似たものを感じます。

 なお、当時の三井に入ったばかりの大卒生が沖に止めた、米を買い占め満載した貨物船の護衛にあたっていた、という、これも伝聞にはなりますが「鈴木が買い占めていた」という噂より確度は高い話も出てきます。

 三井などの財閥系は「うまかった」?

 また売りと買いの交錯する相場の世界の匂いも時代ですね。(って、大商社は今も同じかな?)

 なお、私は裏を取りたいと思って、いろいろ論文を読んでみようと思いましたが、当時の政府の経済政策など、あまり資料を探し出せなかったです。軍事支出などについてはあるのですが。

 また城山三郎さんの小説をいくつか読んでみたいと思いました。

posted by kingstone at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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