昨日行ってきました。
イオン・シネマ明石では30人くらいだったかな。
たくさんの懐かしい曲が聞けました。
私とかそれ以上の年齢の方が多かった印象。
ーーーーー めちゃネタバレあり ーーーーーー
1961年だっけか、ボブ・ディランが入院中の憧れのウディ・ガスリーに会いに行くと、そこにピート・シガーが見舞いに来て居た。
それぞれ知ってファンだったけど、そんな関係から始まった、ってまったく知らなかった。
で、どっちが先か忘れたけど、ピート・シガーが赤狩りの時代に裁判所に被告として立っている場面が出てきました。で、全然反米的な歌じゃないよ、と法廷でバンジョーを構えるけど、歌うのを禁じられる。裁判所を出てから報道陣の前で歌い出したのがガスリーの「This Land Your Land」。今では第二の国家って言われてるあの歌・・・(まあそう思ってる人は一部かもしれない。またいろんな詩があって、私有財産を否定するような歌詞も一時は歌われていたみたい)
This Land Your Land(英語版 Wikipedia)
ピート・シーガー(こっちは日本語版)
これを読むと下院非米活動委員会にピート・シガーが召喚されてた場面みたい。
なお、上の Wikipedia で、ピート・シガーが1936年にアメリカ共産党(共産主義者青年同盟)に参加し、政治活動もしていたけれど、1950年台にスターリンの圧政が明らかになり、ハンガリー動乱を経て、離党したとのこと。またピート・シガーの父親は1936年の段階で「モスクワ裁判」の証言資料から、強要された偽りの告白であることを見抜き、離党していたそう。
しかし・・・最近のアメリカもロシアも無茶苦茶な国だな、と思ってたけど、昔からそういう要素はいっぱいある国だったんだな。
また一時はその共産党の経歴を非難されることがあったが、途中はなくて、最近また非難している輩が出てきたと。そんなこと言ったら、日本で言えば渡邉恒雄や西部邁も同じように非難しなきゃなんなくなると思うが・・・
で、ボブ・ディランと会った頃のピート・シガーは既にプロデューサー的な活動もしていて、仲間の頑固な人たちに「音楽を聞きもしないで」といろんな音楽を認めようという立場だったのが、映画の中ではあのボブ・ディランがニューポート・フォーク・フェスティバルにエレキギターで登場した時に、音声さんに止めさせようとしたり、アンプを叩き壊そうとした、「老害」化した姿が描かれていました。ほんと年を重ねると知らずしらずに「老害」になってしまう・・・
と思ったら、上の Wikipedia では本人へのインタビューが出ていて、「いや、アンプは声が聞こえるように調整しろ、と言いに行っただけだよ」みたいな回答してました。
また、私は大ブーイングが巻き起こった、というのは知っていたけれど、それと同じくらい大歓迎の聴衆もいたことは、この映画で初めて知りました。
あと、ジョーン・バエズとボブ・ディランの関係は知らなかったな。
懐かしくなってウディ・ガスリーの自伝「ギターをとって弦をはれ」を持ってたはず、と思って探したのだけど、数年前に断捨離した時に手放してしまったみたい。残念。