読書メモ
2008年に出てます。
何か異世界ものの小説や漫画で、「ジャガイモ問題」というのがあるらしいですが・・・
ジャガイモのふるさとは南米アンデス山脈。南米の東海岸ぞいほぼ全部。
その北側1/3あたりにある クスコ。
15〜16世紀の始め(日本の戦国時代か・・・)インカ帝国の首都。そのインカ帝国を支えていたのがはトウモロコシ説が有力だったけど、ジャガイモ説も出てきている。
1533年に168人のスペイン軍部隊に滅ぼされた。なお、あまりに山奥にあって破壊されずにすんだのがマチュ・ピチュなんだって。
で、このピサロは新首都リマを建設し、しかし内戦で1541年に殺害された。その生前に、金・銀・そしてジャガイモを本国に送り、金銀はインフレを招いただけで、あっという間に無くなったけれど、ジャガイモはその後、多くの人を救ったと。
まあだから、1530年台よりも以前のヨーロッパの歴史を背景にしているような小説に、ジャガイモが出てきたらおかしいってことか。(でもファンタジーなんだし・・・)
なお日本には1600年頃、オランダ船によって入ってきたとのこと。
ジャワから来たジャガタライモという定説は、今、どうなってたかな?
長崎県の「爪哇芋(馬鈴薯)渡来三百五十年記念事業 趣意書」によると、1598年にオランダ船が長崎港に輸入され、長崎県で初めて栽培されたとのこと。
爪哇芋(ソウワイモ)
爪哇芋(ソウワイモ)
世界中に広まって、人口増におおいに貢献したのだけど、アイルランドの1845年のジャガイモ疫病による大飢饉なども起こる。100万人が移住し、150万人が亡くなったと言われている。
他の地域でも同じジャガイモ疫病が流行ったが、他の作物でしのいだ。しかしアイルランドの場合、イギリスに収奪されていたので、ジャガイモの単一栽培しか道がなく、大飢饉になったとか。
ジャガイモの普及では、ドイツのフリードリヒ二世(大王)、北海道では初代根室県令の湯地定基などのことが書かれているけれど、いずれも最初はうさんくさく思ったりしてあまり協力的でなかった農民を、トップダウンで強権的に「作らせた」みたい。
でも、それによって飢餓から免れ、現在では尊敬されているのだけど、やはりそういうことも必要なのかな。
誰かの思いつきの大躍進政策とは違って、湯地の場合はマサチューセッツ農科大学で農政学を学んでいるので確信はあったのだろうけど。
足尾鉱毒事件と北海道常呂郡佐呂間町字栃木
1890年(明治23年)渡良瀬川の大洪水により、鉱泥が流れ出て下流の群馬・栃木両県の田畑全滅。(下流全部ではないでしょうけど)
足尾鉱毒事件で田中正造翁が明治天皇に直訴未遂をしたのが、1901年(明治34年)。
直訴事件にあわてた政府は、発生源対策でなく谷中村に遊水地を作ることで世間の批判をかわそうとし、谷中村の人たちは移住を迫られる。
そして 1911年、北海道常呂郡佐呂間町字栃木に移住した人たちがいた。
で、作物の実らぬ中、命をつないだのはじゃがいもであったと。
なお、鉱毒事件を起こしたのは古河市兵衛の鉱山ですが、当時、それしか道がなかったのか、というと、日立鉱山も同様の鉱毒事件を起こしたが、久原房之助が発生源対策を行い、住民が集団移住せずにすんだとのこと。