現在(2024年10月5日・6日)発達障害学会第59回大会が開かれていますが、『発達障害研究』Vol.46, 1 は第58回大会のまとめ。
巻頭は村木厚子さんの「障害のある人とともに創る共生社会」。
やっぱり大阪地検に半年近く勾留されながら、無罪を勝ち取って出獄(獄ではないのかな?)されてきただけあって、なんか迫力ある。
もちろん現場から見れば、「いや、そこは、理想的にはいってないよ」と言いたくなるところはあるけれど、ある意味公務員(官僚)の鏡みたいなところがあるかな。
読書メモ
いろいろな職場を見に行って印象に残っているのが Nikon。
性能の良い顕微鏡は障害者が作り、普通性能のは一般社員(いわゆる定型発達ってことだろうね)が作っていた。障害者はこだわりが強く、最高レベルまで持っていけるから。
(これは ASD の方だろうな)
海外から車イスを輸入する会社の社長さんの話。
「僕はアメリカで障害者(頚椎を痛め半身不随)になって良かった。大手術を受け目覚めた時、担当医から『あなたはあなたの夢を変えなくてもいい。しかし夢を実現するプロセスは変わりますよ』と言われた。日本に戻ってきたら『早くあなたの障害を受け入れましょう。障害があってもできる仕事を考えましょう』と医師に言われた」
厚生労働省から内閣府に異動になり、「障害者権利条約」を日本が批准する前に国内法を見直すことになった。
権利条約の「私たちのことを私達抜きで決めるな」に基づき、当事者にも委員会に参加してもらった。そこでそれまでの「障害者基本法」にあった「・・を以って障害者の福祉の増進を図る」と書かれている件に関して、当事者からこの言葉を全部無くしてほしいという希望が述べられた。
「障害者は福祉の世話になって生きていくという印象を人に植え付けるのではないか。障害者が、この社会をともに支える仲間であることを忘れられてしまう。だから思い切ってこの言葉を全部無くしたい」
なるほど。で村木さんは、このことを全省庁に伝えます。最初は皆が驚いたものの、現在の
「障害の有無によって別け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現する」
という文言に変わったんだって。
あと、グループホームの外部評価にも当事者の意見を入れたとのこと。その中には
・GHを選べるようにしてほしい
(あんまり選べないよな)
(あんまり選べないよな)
・支援者ときちんと会話したい
(そもそも、知的重度で ASD の方とのコミュニケーション手段を確立できてるだろうか?)
(そもそも、知的重度で ASD の方とのコミュニケーション手段を確立できてるだろうか?)
・何を必要としているかを本人によく聞いてほしい
(同上)
(同上)
・誰でも気軽に集える食堂や居酒屋を作り障害のある人もない人も楽しみながら交流をしたい
(コーヒーや軽食なら、マクドナルドやサイゼリヤが頭に浮かぶけれど、居酒屋だとどこがあるんだろう・・・また実はそういうのがあるのはかなり都市化されたところだろうし、人口の少ない地方だったらどう実現できるのかな。古い情報だけど、秋田県藤里町ではひきこもり対策としてだけど、本格的就労前の中間の場として、社会福祉協議会が「こみっと」というお食事処をやってはる。今検索したら今もやってはる)
(コーヒーや軽食なら、マクドナルドやサイゼリヤが頭に浮かぶけれど、居酒屋だとどこがあるんだろう・・・また実はそういうのがあるのはかなり都市化されたところだろうし、人口の少ない地方だったらどう実現できるのかな。古い情報だけど、秋田県藤里町ではひきこもり対策としてだけど、本格的就労前の中間の場として、社会福祉協議会が「こみっと」というお食事処をやってはる。今検索したら今もやってはる)
なお、すごいことに、たぶん勾留中に検事さんからこんなことを逆に聞いてはる。普通は検事さんが質問して、被勾留者が答えさせられると思うのだが。
「僕たちは、正月前は忙しい。刑務所・拘置所で過ごしたい人は逆算して秋に万引きや無銭飲食をするのだ」
最後に反省(?)として
「私は37年間役所にいて、公務員として何ができるのか、◯◯省として何を指摘すべきかとよく考えてきたつもりであった。しかし、皆で何を実現するかを最初に考えて、そのなかでどこを役所が担えるのか、役所が担えないところを誰に担ってもらうのかと考えればよかったと反省している」
そやなあ・・・
しかし、例えば相談支援事業所時代に特に感じたけれど、役場の下請け業者みたいにかんがえている公務員さんもいはったなあ・・・