文 もりもと/奥平綾子
イラスト もりもと
価格:1100円
この本は一般書店には置いていません。
リンクを貼った、おめめどうの EC サイトか、研修の時などのおめめどうグッズの販売時に購入する必要があります。
もりもとさんは、奥付の紹介欄によると
口頭での表現に限界を感じ、様々な表現を学ぼうと芸術系大学へ進学。その後、養護学校(現支援校)で勤務をするが、精神疾患により退職。20代後半で自閉症スペクトラム・ADHDと診断される。現在はSNSでの情報発信、執筆、イラスト、染色、陶芸など多岐に渡る表現方法で活動中。 |
という方です。
私はこの本は以前から購入し、しかし読んでいませんでした。とにかく、発達障害関連の本を読むのには、私の場合、ものすごく気力を要するので。
しかし、たまたまお会いした人たちが、『自閉症のもりもとさん』を読んですごく理解が進んだ、という話をされ、私もあまり視覚的支援をご存知無い方に、自閉症の説明から始める必要を感じ、読んでみました。
めちゃわかりやすかったです。
経歴を見られるとわかりますが、子ども時代、学生時代などは診断されることはなく、また本文にありますが、働きだしてから幾多の困難があり、二次障害として爆発された、と考えていいと思います。
そしてその後、当時のことですから「アスペルガー症候群(現在の自閉スペクトラム症)」と診断され、また当時アスペルガー症候群の書籍がたくさん出てきたけれど、実際の現実の場で自分にとってどうしたら生きやすくなるのかを追求し、視覚的支援を独自に試してこられ、おめめどうともその過程で出会われた、ということのようです。
なお、二次障害への対応としてカウンセリングも受けておらたのですが、会話が難しかったので、パソコンを使ってチャットのような形でカウンセリングをして頂き、そうすると今まで言語化できなかった自分の思いが自然と出てくることに気づかれたとか。
こんな方法を試みて下さるカウンセラーさんってすごい!と思います。またそのカウンセラーさんからおめめどうを紹介されたとか。
パソコンで自分が自分になるというような体験は、綾屋紗月さんも『つながりの作法』の中で書いておられます。
音声言語だと、自分で発声していても意味が取りにくく、すぐ消えてしまっていたのが、ワープロ、パソコンを使うようになって
このようなツールを用いて、文章を読み返しては組立て直すことを繰り返し、自分で読んでも意味が通る文章ができた時に、初めて『私ができた!』という快感と解放感と満足感が得られた。視覚的かつ限定的なフィードバックを返してくれるキーボード操作の運動調整は、私にとって無理がなかったため、動きはすぐに自動化された。ほどなくブラインド・タッチもできるようになり、私は頭のなかで話す言葉のテンポと同じ速さでキーボードを打つようになった。『わたし』を立ち上げるためには、キーボードとディスプレイが不可欠となり、『私の思考はキーボード操作をする指先とのみ直結している』と感じるまでになった。 |
もりもとさんの書かれているなかで、音声言語に関するところ
学校の授業で先生が「鉛筆と消しゴムと定規を用意して・・・」と言うと、まず頭の中で「鉛筆」「消しゴム」「定規」を映像化しする必要がある。しかしそれをやっているうちに、先生は「・・・」の「次に何をするか」を話しているが、それがわからない。
話を聞いてないわけじゃないんです(←ここ重要!) 正直に「わからない」と答えると怒られる。(経験則) しょうがないので、周りの様子を真似してなんとかしようとするしかないのです。 |
なお、このあたり、親御さんがお子さんに対する懸念を表現すると、一定数の先生方が「大丈夫ですよ。ちゃんと周囲のお子さんを見て動けてますから」と言われるわけですが、それが全然大丈夫でないことがよくわかります。
あと、もりもとさんご自身「しゃべれるのになんで?(わからなくなるの?)」と聞かれるが、自分でもわからないとのこと。これは自分でしゃべることは自分で組み立てて発声するのに、聞くほうはどうしてもいつも「予測通り」の音声が来るわけではない、というのも大きいかな。
って、これは私のことですけど。こちらが予測した通りに話してくださるとすっと理解できますが、予測したのと違う音が混じるととたんに相手が何を伝えようとしているのか、わからなくなってしまいます。そして聞き直し、理解をしようとすると、非常に疲れます。
またもりもとさんの場合、相手の方が手続きのためのなじみのない専門用語を並べた時、例えば
「住民票」「住基ネット」etc. を使われた時、ひとつひとつの単語にとらわれて考えているうちに、話のわけがわからなくなる。
あと聞き取るさいに「助詞」「助動詞」が抜けがちということも書かれています。そうなると、誰から誰へ、どういう方向で話されているのか、当然わからなくなりますね。
あと、身体感覚の問題は、エヴァやガンダムみたいに、頭部のコックピットに入って操縦している(つまり敏感な感覚を感じ取れない)ということを書かれています。
で、おそろしいな、と思ったのは、もりもとさんが危険なほどの低血圧状態になった時、もりもとさんご自身は「なにかふわふわした感覚で体調が良い」と感じられていた、というところ。
また足に傷ができて、膿んだ時、病院で処置をして頂いた時の医師との会話
「痛かったら、明日も診せにおいで」 と言われたのですが 「それは判断が難しい」 と言うと 「(患部が)赤くなって、膿が出ていたらおいで」 と言い直してくれました。 |
「赤くなる」「膿が出る」は見えるもんなあ。
やはり、理解あるかかりつけ医がいることは大事ですね。しかももりもとさんが、「それは判断がむつかしい」とちゃんと言える関係である。
それ以外にも、たくさん学ぶところがありました。
で、本の中にもりもとさんが挿絵も描かれているのですが、そのひとつに
「診断おりてもいつもの私」
という言葉がそえてありました。
なんか、自由律俳句・・・