私、最初に文庫じゃないサイズで出てた時に、買おうと思って買ったのが、『傘のさし方がわからない』だったんですよね。なんせ表紙の「感じ」だけで覚えてたもんで、どっちがどっちかわからなかったんです。
で、『家族だから・・・』を書いそびれてたんですが、先日『国道沿いでだいじょうぶ100回』を買おうとしたら、横に新たに文庫版で出た『家族だから・・・』があったので、やっと買えました。
で、ほんと、岸田さんのご本には学ばせて頂くところだらけなんですが、人の紹介する時に、私ならこう説明する、というのを記録しておこうと思います。そしたら、いろんな場合に、岸田さんもこんなこと書いてはったよ、と紹介するのに便利だから。
(まあ、ご自分の note に「100文字で済むことを、2000文字で書く。作家の岸田奈美です。」と書いてはる通り、面白すぎて「それ、盛りすぎちゃう?」という部分もあるのですが、それでもめっちゃ学ばせてもらえます)
だからネタバレになるところがあるので、そういうのがお嫌な方は以下は読まないで下さい。
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「弟が万引きを疑われ、そして母は赤ベコになった」
障害のある方は冤罪を着せられがちです。疑いをかけられた時にうまく説明できなかったり、自閉症の方だったら、「◯◯したのか」と言われて「◯◯したのか」と発声してしまい、「そらやっぱりやってた」とかなったり、意味もわからず「はい」と言ったりしてしまいがちですし。
こちらのエピソードの場合は、弟さんが中学生の時に、無一文だったけど、喉が乾いて飲み物が欲しくてコンビニに入ったら、とても親切なコンビニの方がレシードを出してくださり、その裏に「お代は今度来られるときで大丈夫です」と書いてくださっていたので、まだ未払いだとわかり、お母様が支払いに行き、赤ベコのようにコンビニで謝られた、という話なのですが。
しかし「うちの店に頼ってきてくださったのが嬉しくて・・・」とコンビニの方がおっしゃったというところで私はいつも泣いてしまし
ます。
で、その後の余談というところで、弟さんはちゃんとお金を持ってコンビニに行くようになり、おつかいまでできるようになった、と・・・
これね。放課後等デイサービス時代、来所するお子さんが「自分で買い物をしたことが無い」と言う子が多くてびっくりしたことがあります。まあご家庭の場合、一緒にいろいろ買い物をしている時に買わせてあげよう、とかいうのが何度かトラブルがあってあきらめた、とかいろいろあるのだと思います。で、放デイの活動として、「買い物活動」を企画、実現させました。
で、やはり基本は「おつかい」でなく「自分が買いたい物を買う」というのが一番に来なきゃなんないし、そこから始めるといろんなことがわかって、できるようになっていくことが多いです。
ほんと、どんどんさせてあげたいです。
ご家族で難しければ、移動支援や行動援護を使って。
あと、日本の現在の状態だと、コンビニの店員さんにしろ、他のお店にしろ、たいていは、辛抱強くコミュニケーションしようとしてくださったり、買う物が多かったら減らすことを提案してくれたりするし・・・このエピソードの中でもそんな描写もあります。
算数の計算ができるよになってから買い物に行く、とかじゃなく、先に買い物に行くことが大事ですね。場合によったら、それでお金の数量感覚が身につく方もおられるし。決して逆じゃないです。
「奈美にできることはまだあるかい」
「弟が万引きを疑われ、そして母は赤ベコになった」が note で投げ銭をたくさん獲得したので、これは弟さんの獲得したもんだ、と弟さんの好きな温泉旅行に行ったエピソード。
めっちゃええお姉さんや・・・
なお、家を出発して7分後にお母さんから「無事か?」と連絡が来たということなのですが、本当に心配ですよね。
私、ハルヤンネさんちのダダ君のヘルパーとして、高崎まで新幹線に乗り、撮り鉄につきあったことがあるのですが、夜のプラットホームで撮り鉄やってる最中、1分ごとという感じでハルヤンネさんから「無事か?」というコールが来て、あっという間にバッテリーが無くなり困ったことがありました(当時の携帯電話ですから話すとあっという間にバッテリーが無くなる)。
で、弟さんが、おばあちゃんに頼まれてペットボトルの蓋を開けてあげたり、岸田さんの忘れ物をちゃんと取りに行ってくれたり、といっぱい人のために活動する様子も書かれています。これ、もちろんそれに気づいて文にできる岸田さんがおられてこそですが。
「どん底まで落ちたら、世界規模で輝いた」
岸田さんの気分が落ち込んだ時に、障害ゆえに「できない」と思っていた弟さんがいろんな場面で「できる」ことに気づかれ、すごいなあと思われ、よし自分も、と恢復されていったエピソード。
「母に「死んでもいいよ」といった日
お母様が倒れられ一命をとりとめたものの、下半身不随になり「死にたい」と言われた時に言った言葉。
ただ、その後に・・・というのがある。
ただ、その後に・・・というのがある。
本当に「死にたい」だとか「仕事をやめたい」とか言われた時に、どういう言葉をかけたらいいか、わからなくなる時があります。
いつも使える「正解」の言葉なんてなく、その時の自分をかけて応答(あるいは沈黙)するしかないです。
「ミャンマーで、オカンがぬすまれた」
ミャンマーのインフラの状況は、50年前の日本くらいかな、と本文にあります。そこへお仕事で車イス利用者のお母様と行かれた。道はひび割れだらけ、またスロープなんてものはなく階段だらけ。でこれではお母様が動けない、と思っているとどこからか手伝ってくれる人がわくように現れて、そのバリヤを超えさせてくれる。
これに岸田さんは感動するわけですが、通訳さんは苦笑いして、みんな徳を積むチャンスだから手伝ってくれるけれど、ミャンマー人で車イスに乗っている人は見かけないでしょう、と。
これ、外国の「ここがいい」と言うところを否定する必要は無いし、いいところは見習えばいいのだけど、その反対側に困ったところがないか、常にアンテナを張っていないといけないところだと思います。
教育や福祉の世界は特にそういうのが多いかな。
で、逆に「日本の素晴らしいところ」もいっぱいあるので、両方見ていく視点が必要ですね。
なお、アメリカに行った時は、困った様子をすると、気軽に手伝ってくれ、困ってなさそうだったらほっといてくれたとか。
それがお母様にとって居心地よかったと。
(この感覚。自閉症のあるお子さんを持つ保護者の方もよく言ってはりますね)
「Google 検索では見つからなかった旅」
お母様と沖縄観光旅行をするにあたって、検索しても(この文を執筆当時は)車イスを使って行けるのかどうか、わからなかった。
でも旅行代理店(特に障害者旅行に特化した店というわけではない)に行って相談すると、ばっちりプランを組み立てて下さった、という話。餅は餅屋、ということになるかな。
今だったら、自力でもプランを組み立てられるようになっているだろうか?
「先見の明をもちすぎる父がくれたもの」
幼稚園児だった岸田さんに、お父様が初代 iMac を買って下さった話。最初は??だったが、学校が居心地良くなかった岸田さんにとって、チャットをするための、そしてそこで居心地よくさせてもらえる物として、大事なものになります。
お父様が亡くなられた時にチャットに入って「お父さん、最高だな」という感想をもらえ、涙が止まらなくなったそう(私ももらい泣きしてしまう)。
「6月9日 18時42分」
お父様の死を受け入れ、悲しみを吐き出し、出発するのに13年間かかった、という話。
「忘れるという才能」
お父様が早くに亡くなられ、弟さんに障害があり、また母様も中途障害者となった。それが岸田さんに重くのしかかってくる(でも日常は明るく楽しくすごされてはいたのじゃないかな。またそういうことが起こっても重くのしかかって来ない社会を作りたいと思いますが)。それをやりすごすために「忘れる才能」が必要だったという話。
その後、「笑い」が必要という話になっていく。
「黄泉の国から戦士たちが帰って来た」
ここから岸田奈美さんの書いたものがバズり出したんじゃないのかな。少なくとも、私はリアルタイムで読んで、「なんちゅう面白い文を書く人や!」と思い、その後の「弟が万引きを疑われ、そして母は赤ベコになった」を書いたのと同じ人ということになかなか気づかなかった。
「アサヒスーパードルゥゥァイいかがですか」
岸田さんがいかに逆境でも工夫して打ち勝って行く人か、というのがよくわかります。(でも、周囲から期待されてより困難なミッションを与えられて行く、というのはきつい・・・)
『ズンドコベロンチョの話をしなくてすんだ』
早稲田で講演をした話。
後半アンケートに書かれた質問に答えてはる。
「解決策のある苦しみ、解決策の無い苦しみ」
身内を亡くした友人に対してはどんな応援の言葉も届かないだろう。ただ話を聞き、「いつでも話を聞くよ」、「ひとりじゃないよ」というのが言葉や態度で伝わるようにすることができるくらいか。
『バリヤバリュー』
たぶん、お母様や弟さんのことがあり、大学は福祉と起業を結びつけられる学部を選ばれる。そういう目的をもって大学を選びはるってえらいよなあ。
しかし、何をどうしていいかわからず、落ち込んでいる時に、当事者で起業されている垣内俊哉さんの講演が大学であり、「これだ!」と話しかけ、「何ができる?」と問われ「デザインができます!」と答え首尾よく仲間に加えてもらえます。しかし本当はデザインなんてできなかった・・・(ドラマでは「ホームページ作れます!」になってました)
だいたい運を掴む人って、「今は本当はできないんだけど、ハッタリで「できます」と言ってから勉強する」という人、多いんじゃないかな・・・
で、ミライロの創業メンバーとなった岸田さんはガムシャラに働き、そこでお母様も車イスユーザー当事者として「こうしてもらえたら嬉しい」を企業に伝える講師として働き始められます。
また『ガイアの夜明け』に取り上げてもらえるように努力したところなど、参考になる人もおられるかも。
『櫻井翔さんで足がつった』
櫻井さん、最近もドラマで高評価を得られているようですが、まじすごい人みたいですね。
『よい大人ではなかった、よい先生』
関西学院を受けようと思ったけど、模試はE判定で、塾に行くお金も無く・・・という時にお母さんが見つけてきた整骨院の先生が英語を教えてくれるようになった。おかげで大学に合格できた。
例文まる暗記かつ、わからないところは文法の参考書を読んで、文法を先生に説明する、という方式。また他教科については『ドラゴン桜』を読めと・・・
「選び続ける勇気」
ガンになっておられる幡野広志さんとの「死」についてのやりとりから。
そして「自分で選ぶ」「選び取る」ことが大事という話に。でこの本の題に。
「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」
幡野広志さんに家族の写真を撮ってもらった話。そして家族の思い出に。
ボルボでディズニーランドに行ったのは公共交通機関で行くと弟さんがパニックになるかもしれないから、だったとか。
あと、昔から兄弟仲良かったと思っていたが、お母様から「なんでもかんでも良太のことばっかり。わたしよりも良太の方が大切なんやろ」と泣いたことがあり、お母様がすごく衝撃を受けられた話をされたとか。で、それからお母様はオーバーリアクションで、岸田さんを褒めまくるようになったと(それまでは、しっかりしてほしいとダメだしが多かった)。
「かきたし」
ここを読んで表紙イラストが岸田さんご自身が描かれたことを知りました。
「文庫あとがき(おかわり)」
テレビドラマについても書かれてます。
ちょうど、7月9日(火)から、NHK総合の10時ドラマの枠で新編集版が放送されますね。
ちょうど、7月9日(火)から、NHK総合の10時ドラマの枠で新編集版が放送されますね。