この本は、多くの著者が短い文を書いている。その中の1つ。
"「差別」とは何か?アフリカ人と結婚した日本人の私がいま考えること"
著者の鈴木裕之氏はアフリカ音楽を研究する文化人類学者。パートナーはギニア人女性。
その結婚に至るあれこれは、この著作に書かれているとのこと。
なお、詳しい書評はこちらにある。
印象的なエピソードを2つ書かれている。
婚約時代、ジャマイカでレゲエについて調査しようとした時。老舗の音楽グループが著者を受け入れるかどうか相談するのだが、長老が強く反対していた。そこで親しくなっていたメンバーが「お前は、アフリカ人のフィアンセがいるんだよな」と言うので、フィアンセと2人で写った写真を見せると、長老が満面の笑みとなり「ノープロブレム」と言った。
夫婦でコートジボワールに里帰りした時、出入国審査のさい、テロ事件で神経質になっている係官が妻氏に厳しい顔で「ひとりなの?」と尋ねた。妻氏が「いいえ。夫と一緒です」と答えると怒ったような表情で「どこ?」と言った。
妻氏がすぐ後ろにいた著者を指差すと、まずびっくりし、すぐ恥ずかしげにはにかんだような表情を浮かべた。
また、黒人内でも民族により、あるいはアメリカ黒人とその他の黒人の間、というように多様な差別が存在するし、著者自身、アジア人として差別された体験も書かれている。
で著者は人間は分割し、群れて安心する。「われわれ/他者」と区別し、そこで「われわれ=優/他者=劣」という意味づけがなされる。この「分割=差異化=意味付与」がしばしば人を傷つける。
しかしそれらは人間がもともと持っている機能(?という言葉は使われておられないが)だから著者は、善意(理念?)による差別反対はあまりにも無力だ、と。
で、それを乗り越えるには、人と人とのコミュニケーションしかないであろう、と。
まあそうやろな。もちろん「差別はあかんよ」という教育も必要だろうけど、腹の底からわかるにはコミュニケーションしか無いやろな。
(そうか・・・Twitter(X) とかでは自分の言いたいことだけ主張して、相手の言いたいことを受け止める双方向になりにくいところがあるのかな)