※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2024年02月21日

自分で選んだ行動に自分で責任を持つ & 肯定され感謝される



 ネットにこんな事件のニュースがありました。(被告名はXで統一します)



 まず、お父様のご冥福をお祈りいたします。

 X氏の暴言・暴力により母と妹は家を出ており、父親と2人暮らし。

 何らかの行き違いから父親を18か所も刺し、失血死させた。

事件後のX被告は、鑑定で「軽度知的障害」「広汎性発達障害」と診断されています。こうした障害が犯行に影響を与えたかどうかが争われました。
弁護側は障害が犯行に関与したとして情状酌量を求めた
 X被告に、こうした障害があることがわかったのは、この事件後の診断が初めてです。
 鑑定した医師は、被告について、障害の影響で、他者の言動を曲解する傾向にあり、コミュニケーションがうまく取れず、仕事も長続きしないなどストレスの原因になったものの「犯行は障害の影響ではなく、本人の性格によるもの」と証言しました。

 最近よく言われる言い方で言えば「大人(になるまで発見されなかった)の発達障害」というわけです。

 私自身はどちらかというと「応報刑論」に組みしたいので、情状酌量はしなくても良いのでは、と思うほうです。

 ただ、時間は巻き戻せないものの、例えば仕事では

 X被告は、地元の中学校と高校、短大を卒業後、自衛官候補生や農協、レンタルスキー店などの仕事に就きましたが、仕事はどれも長続きしませんでした。
 2年前に、父親の紹介で働き始めたガソリンスタンドでも、危険物の取り扱いに必要な資格を持っていなかったことから、同僚に見下されていると思い込み、わずか2か月で辞めています。

 というあたり、学校時代でもいろいろなことがあったのじゃないかな、と思われます。

 例えば今回の事件は「たばこを買いに行こうとした」→「父親からとがめられた」ということがの直接のきっかけになっています。

 またガソリンスタンド勤務時代「「乙種第4類」の取得を希望していた」が父親から(きっと良かれと思ってでしょう)難易度の低い「丙種」から順に取得した方がいいと助言され、「乙種第4類」の試験が受けられなかったことを恨みに思っているとか。

 お父さん、きっといいお父さんだったろうと思うのですが、「本人のしたい行動(自己選択した行動)」を止めておられる。

 これが小さな頃から、本人のやりたい行動(ただし犯罪になったり、自分や他人を大きな危険に巻き込まない、という条件は必要ですが)をやらせてあげ、その失敗も成功も本人に責任をとらしてあげていたら、どうなっていただろう、とは思います。

 実際、「やってみなければわからない」し、やってみて、合格だったり不合格だったりすることで、自分の力を知っていき、だんだん周囲からみても適切な判断に落ち着いていくと思うのですね。

 で、そういう体験を小さな頃から積み重ねてきておられたのかな?

 私の周囲でも、不登校で何の試験とかも受けていないけれど、「ハーバード大へ行く」と豪語しているお子さんとかおられました。それを馬鹿にするのではなく、いろんな模試とか英語のテストとか受ける手続きをどうしたらいいか、一緒に考えてあげたらいいのにな、と思ってました。

 少年野球でも少年サッカーでも、「プロになる!」と言ってる小学生を馬鹿にする人はいないでしょう。で、いろんなのに参加しているうちに自分の力を知っていく・・・

 また大人だったら、「たばこを買いに行く」ことを止められることは無いはず。「無職で、たばこを買うお金はどないしてん」という方向でとがめられた?ってことは子どもの頃はおこづかいがあったとしても、青年期から大人になるあたりで「稼ぐ→使う」が、うまくわかってなかった?

 これも、小さい頃からのあれこれで何とかできそう。

 あと「人の言葉を曲解する」とされているけれど、

・字義通り受け取り裏の意味を理解することができなかった(つまり曲解でなく、直解(なんて言葉はありませんが)していた)

・小さい頃から周囲に合わせづらく(上記も影響)、笑われたり馬鹿にされたりすることが多く、他人の言葉や動作を被害的に受け取りやすくなっていた(これは、「曲解」という言い方をされても仕方ないかな)

なんてことがあったのじゃないかな。

 これは妄想ですが、学校時代から、本人の間違った行動を矯正しようとされるのでなく、できてる部分を肯定され、褒められ、感謝されるみたいなことがほとんどだったら、どうなっていただろう、と思ってしまいます。

 以前起きた元農水省事務次官の方の方の事件も、後年は息子さんが絵の世界で何かできないかと、コミケについて行かれたりしていた、ある意味「良いお父さん」なのだけど、小さい頃からの「否定」の影響が大きすぎたのかな。


 しかし「できてる部分を肯定され、褒められ、感謝されるみたいなことがほとんどだったら」って、別に障害関係無いよなあ・・・

 「自分で選んだ行動をし、その責任をとる」というのにしても。

 あと、やっぱり学校時代に、診断はなくても「何か支援が必要」と感じてくださる方がおられたら・・・それは難しいことなのか。(まあ、私の周囲でもそこが難しくて、周囲がにっちもさっちも行かなくなってから私に話がやってくる、ということがあるわけだけど)

 でもって「犯行は障害の影響ではなく、本人の性格によるもの」・・・性格?性格!






posted by kingstone at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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