※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2024年02月20日

「反抑圧アプローチの視点から迫る軽度知的障害女性の性産業従事」を読む



武子愛・児島亜紀子『女性学年報』44 巻 (2023)44 巻 p. 61-79

 まず、私は「反抑圧アプローチ」という言葉を知らないので、検索したみた。


にこう書いてあった。

Anti-oppressive(social work)practice. “Anti”は日本語にもなっている「アンチ=反対」の意味で、“oppressive”は抑圧と訳される“oppression”の形容詞だ。日本語で最適な訳語に抽出するのが難しい言葉だが、この著書では、既存の数少ない日本語文献(坂本 2010;二木 2017;児島 2018)に倣い、「反抑圧的ソーシャルワーク」として紹介し、文中での言及では、英語の略を使用して「AOP」とすることにする。


1.いろいろな抑圧の連鎖・交差性を見る
2.支援者が自分の属性から、抑圧の構造の中に関わっているかを見る
3.ソーシャルワーカーはアライ(ally)として当事者に伴走し、協働して解決策を見つけていく

ということになるのかな。

 なお、最近アライという言葉をよく聞くけど今ひとつわかっていなかったので検索すると

"Ally(アライ)には、次のような意味があります。 同盟国、味方、仲間 また、LGBTを理解・支援する人を指す言葉としても使われます。アライ本人は、性的マイノリティではありません。1988年に米国の高校でストレートの生徒によって作られた、「ゲイ・ストレート・アライアンス(GST)」という団体に由来していると言われています」

ということでした。

で、「抑圧的アプローチの視点から・・・」に戻って

アイリス・マリオン・ヤング(I.M.Young)の用いる概念によると

抑圧

1.搾取
「エネルギーや力が、通例男性の利益のために、またしばしば何の予告も自覚もないままに浪費させられる。」

(もともと提唱した Young がとりわけ重視したのがジェンダー搾取)

ここの男性をいろいろ入れ替えるといいわけだな。

2.周辺化
「労働システムが用いることができない、あるいは用いようとしない人々」
(後ろに出てくる例では、算数ができない→レジができない→(好きだった)」アパレルの仕事が続かなかった、というのが出てきた)

3.無力化
「他者から命令を受けなければならず、自ら命令を下す権利は稀にしかもてないように位置づけられ」
無力化された者とは、権威や権力を及ぼす場所がない人々

しかし、後で出てくる無力化の例としては、「叱られた(そして褒められない)」というのが出てくる。たぶんそういう形で無意識のうちに刷り込まれるということなんだろうな。

4.文化帝国主義
「自らの経験を人類そのものを代表する経験として取り扱う」

私は男性で、高齢者(戦後10年の生まれ)で、とそういう性別や歴史の中で育っているので、その経験を世の中の常識として、無意識に当たり前と思っている部分は無茶苦茶あるだろうな。

5.暴力
これは具体的に浴びた暴力だけでなく、女性はレイプを恐れ、アメリカの黒人は襲撃やハラスメントの標的になることを恐れるなどの
「抑圧された集団の構成員全員が、その集団的アイデンティティだけを理由に被害者になる傾向がある」
「集団に向けられる暴力は、制度化され、組織的である」

これらに対して、

抵抗

ドナ・ベインズ(D.Baines,2017)によれば

クライエントが経験する問題について
「個々の選択からだけでなく、社会的に条件づけられ制限された選択および相互作用または制御から生じる」

レナ・ドミネリ(L.Dominelli,2002)によれば

抑圧に対する行動には受け入れ、適応、拒否の3つの行動があるとし、一見反社会的な行為に見えても、それは抑圧に対する抵抗である

(しかし「受け入れ」と「適応」に違いはあるのだろうか?)

で、事例として2人の方にインタビューしている。

Aさん
児童養護施設で育ち、昼職についたが、算数がわからずレジができなかったので好きだったお店をやめ、性産業へ。一度怖い目にあい逃げた先でまた乱暴され、警察に行き、保護施設を紹介され入所。その後、出て再び性産業へ。
(でも、施設の責任者さんから紹介されてインタビューしているのだから、施設も関わりは持ち続けていると思われる)

表1に「抑圧およびそれに対応する抵抗の語りの例」が出てくる。

そこで「搾取」「周辺化」「無力化」「文化帝国主義」「暴力」と分類され、それにどう対応したかが書いてあるのだけど、私にはいまひとつ分類がすっとはわからない。しかし周辺化(労働システムからの排除)はすごくよくわかる。

 また無力化のところで、抵抗の行動(環境?)で、「(育ちの過程でも、成人してからも)よく怒られていた」が、性産業では「頑張ったね」と言ってもらえる、というのがあって、ああああ、となった。

 このあたり、それこそ学校や家庭で PBS のような考え方が広まってくれば、ずいぶん変わらないか?
 つまりダメなところを矯正しようという態度でなく、良いところを認めていこう、そし最終的には「躾の方法として褒める」のではなく、当たり前に褒めることがある環境みたいな。

 あと、たぶん昼職では「嫌なこと」から誰も守ってはくれなかったけれど、性産業では「規則ですからしません」と言え、それでもされそうになったら従業員さんが介入してくれるなどあるから「拒否」がきちんとできるってとこも、大事な点なんだろうな。
ここには守ってくれる人や仕組みがある。

 そして、現時点ではAさんは「周辺化(昼職の労働から排除)されている」という事情はありつつも、性産業を自己選択している。

Bさん

 言わば「ヒモ」から逃げて現在も保護施設におられる方。

 なお、AさんもBさんも昼職について

「数字やパソコンが使えなくても従事可能な肉体労働が知的障害男性にはあるものの、知的障害女性には難しい」(武子,2022)

ということなのだけど、A型就労支援事業所なんかだったら、何かありそうだけどなあ・・・


posted by kingstone at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック