第1章 普遍主義と差異主義
う〜〜む。「普遍」と「差異」という言葉を使うと何か「普遍」のほうが良いというような価値観を感じてしまう。まあ、訳語だから、元の単語にそんな価値観があるかどうかわからないけれど。
普遍主義(世界中のどの人間も根本的には同じ)
例:ローマ、スペイン、ポルトガル、フランス、ロシア、中国、アラビア等
(ただし、男女間で強烈な差異主義のところもあるよな)
(ただし、男女間で強烈な差異主義のところもあるよな)
差異主義(人間はお互いに本質的に異なる)
例:ギリシア、イスラエル、ドイツ、日本、バスク地方、シーク教徒のパンジャブ、イングランド、ドラヴィダ・インド等
で、それがどのような現れ方をするかというと、Wikipedia に
「エマニュエル・トッド (Emmanuel Todd, 1951年5月16日 - ) は、フランスの人口統計学者、歴史学者、人類学者」
と紹介されているような人だから「宗教システム」「婚姻システム」「相続システム」に注目する。
相続では
対称(平等)
・全員が対称
・男性だけが対称
・男性だけが対称
無対称(不平等)
・長子相続
・末子相続
・末子相続
例えば日本も過去は、男性長子相続。で次男以下は部屋住みか出ていくか、女性はどこかに嫁ぐか、しかなかった。で、各国とも次男以下は僧侶になるか戦士になるか両方になるしかなかった、と書いてあって「両方?」と思ったら続けて「日本の僧兵」とか出て、なるほど、となった。
『鬼滅の刃』の中で、炭治郎の「長男だから〜〜できた」という言葉にたぶん多くの日本人は「大正時代ならさもありなん」と納得しつつ現代読むことの「おかしみ」を感じてネットミーム化したのだと思う。
でもって、こういう考え方、無意識のうちに集団の中に埋め込まれている。
例えば、父母の長男である私の家には仏壇があり、炊いたご飯を供えるのだけど、これはなぜか私の役割で妻は私が不在の時にしかしない。それを私も妻も当たり前と思っている(?)
これが、他の集団と出会った時にどうなるかだよな。
もちろん、これらは農業の時代、工業の時代、脱工業化の時代と変化していく。
しかし、最後の仮説のところ、「家族システムから人類学的システムへ」と見出しがついているのだけど、さっぱりわからない。
ほんと、頭から湯気が出そう。