先日、大久保賢一先生( @kenichi_ohkubo )が Twitter (X)に連投してはりました。
自分が大学院生だったとき、集中講義の講師としてこられていた望月昭先生が「対人援助においては、相手を×から〇にするのではなく、〇から×にするんだよ」と仰っていた話を最近よく思い出す。初めて聞いた時は「このおっさん何言うてるんやろう」と思ったけどw、今の自分には金言である。 「×から〇」というのは、相手のダメなところをあげつらって、そのダメなところを良くしたり、少しでもマシにしようという目標を設定するスタイル。言い方がちょっときついですけど、学校教育においては、ほとんどがこのスタイルで目標設定していると思います。 望月先生が仰っていた「〇から」というのは、今そこにいる目の前の人を肯定するところから始める、その人の良いところに着目する、その人の少しでもマシなところに着目するという意味。行動分析学でいうところのシェイピングですね。 そして肯定的な眼差しを受けたその人が良いところを伸ばしたり、良いところが増えたりしたその後で過去を振り返り「今振り返ると、あの時が×に見えてくるね」というのが「〇から×」。 これなんですよ、皆さん!この視点がないと、目の前の人を永遠に否定し続けることになってしまうんです。 「褒め上手な人」とは、今目の前にいる人の「〇」を見つけることができる人やと思います。褒める行動は行動レパートリーに注目されがちですが(どんな技やフレーズがあるかなど)、褒める行動の刺激性制御がとても重要。 |
で、その後、望月昭先生の
『行動分析学研究』22 巻 (2008)2 号 p. 114-115
を紹介されてました。
これを読むと、愛知コロニー時代(1983)に冨安先生から望月昭先生に伝えられたことがわかります。
「お前さんは、障害のある人の今を✕(ばつ) と考えて、それを◯にしようとしているだろう。それではだめだ。今を◯と考えてスタートして、後になって、『ああ、あの頃は、✕だったな』と思い返すようにしなければダメだ」 この「✕から〇ではなく、◯から✕」という表現は、当時は、障害者に対する受容的態度といった程度の理解しかできなかったのですが、最近は、これこそが応用行動分析の基本的態度だと理解できるようになりました。行動修正の手段として「ほめる」ではなく、今も将来も環境設定によって「認める」状況を創造していくことこそが応用行動分析の基本であり、そしてまたノーマリゼーション/インクルージョンの、単に理念だけにとどまらない具体的方法論につながる基本的姿勢であることを。 |
この望月先生の考察の後半が Hit TKYM #3 K in J さん ( @hit1678 )の
「○から✕」は「正の強化を手段から目的へ」とセット |
っていうことなんだろうな。
これって私は TEACCH が「今何ができているか」を観察して、組み合わせて「□□ができる」を実現していくことと同じ意味があるのかな、と思います。
なお、冨安先生が慶應に移られてからのお仕事もたくさん紹介しておられますが、その中に『川を渡る』の翻訳も入っていてびっくりしました。冨安先生のお名前は頭になかったのですが、私がすごく影響を受けた本です。1996年に日本で出版され(原著は1992年)私は1999年か2000年に読んでます。
知らないうちに、めちゃくちゃ影響を受けてたんや・・・
(一時はマーケットプレイスで2桁円で出てましたが、今日は1598円ですね)
私の書いた『川を渡る』に関する記事。
お願いすること(上の記事とはまた別のことを書いています)