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 あくまでも、私個人の意見です。

2024年01月23日

「「ギフテッド」の教育支援のあり方についての提案」山田倖大他を読む



「ギフテッド」の教育支援のあり方についての提案
 ーある一名の学校歴の分析を元にしてー
山田倖大・岡耕平『信学技報』 IEICE Technical Report, HIP2021-28(2021-09), 37-40


米国等においては「ギフテッド教育」として,古典的には知能指数(IQ)の高さなどを基準に領域非依存的な才能を伸長する教育が考えられてきたが、近年ではこれに加え、領域依存的な才能を伸長する教育や,特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒(※)に対する教育も含めて考える方向に変化している。また,才能教育というと個人が過度に強調される場合があるが、例えば国際水準の研究成果も現在は共同研究により生み出されることが多く、学際的な多様な才能が組み合わさることがブレイクスルーにつながることが注目されている。
※ 特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒は"2E (Twice-Exceptional)”の児童生徒と言われる。

と書かれているので、米国等の「ギフテッド」教育の後追いをして、ブレイクスルー(たぶん産業界の)をねらっている、と考えられます。

 なお、この論文は本文は全て英語という、私にとってとてもじゃないけど直接は読めないもので、原文を DeepL に翻訳してもらったものを読んで書いてます。(で、また DeepL が変な訳をするところも見つけましたが・・・)

「資料4 岩永座長提出資料」のスライド2によると

多様な才能(gifted & talented)教育(米)
才能教育の最先進国アメリカにおける才能児・者への教育の三類型
早修(acceleration)教育
拡充(enrichment)教育
2E(twice-exceptional)教育

と3つの類型があると。

 「早修」というのは飛び級などでしょう。
 「拡充」というのは、本来のカリキュラム以上の専門的な内容を学ぶ機会を設ける、ということかな。
 「2E」というのは、文部科学省は「特異な才能と学習困難とを併せ持つ児童生徒は"2E (Twice-Exceptional)”の児童生徒と言われる」と書かれているので、周囲の子どもと話が合わなくてとか授業内容が簡単すぎてとかで不登校になっているようなお子さんに対するものかな?と想像します。

 Google Chrome で検索するとAIが以下のようにまとめてくれました。

Twice-Exceptional(2E)とは、「二重に特別」という意味で、ギフテッドと発達障害を併せ持つ人を指します。
2Eの人は、特定の分野では非常に高い能力を持ちますが、他の分野は著しく苦手な傾向があります。2E型の大きな特徴は、ギフテッドの能力の高さよりも、発達障害の側面が目立ちやすい点です。
2Eの人は、才能を伸ばす面と障碍による困難を補う面の両方に、二重に特別な支援を要します。特に発達障害のあるお子さんへの支援の中で、2E教育が注目され始めています。

 この論文はこれらの潮流に対する危機感、そして提案として書かれたように思えます。

 そのために A氏の14歳までの学校歴を見ていき、そこから提案されてます。

 論文から引用しますが、上が原文、下が DeepL の訳です。

Counting from kindergarten at the age of 3, Mr. A was officially enrolled in 11 educational institutions by the age of 14, excluding trial enrollment and homeschooling. He enrolled in an online high school at the age of 12 and graduated at 14.

3歳の幼稚園から数えて、A君は14歳までに、体験入学とホームスクーリングを除いて、11の教育機関に正式に入学した。12歳で通信制高校に入学し、14歳で卒業した。

で、途中、メキシコの学校にも通っておられる。最少なら3つ(幼稚園・小学校・中学校)ですむところが11も通われたのは、なかなかぴったりの教育機関が見つからなかったからですね。

もう、親御さんのご努力に頭が下がります。

 しかし、これらの中で「不登校」になったのは、公立小学校(在籍1年6か月)の時のみとのこと。ぴったりこないから不登校になる、というものでもなく、しかし公立小学校は行けなくなったわけです。これは公立小学校のシステムに問題があると考えたほうがいいのではないかな。他は大丈夫だったのだから。

 これだけ多くのところへ行く必要があったのは(これ、DeepL の訳は変だったので、私が訳の部分は少し変えています。またわかりやすいように改行を入れ箇条書き風にしたのは私です。なんか論文ってページ数の節約のためか、箇条書きさせてくれないのは、私にはすごくわかりにくいので・・・)

The main reasons for this were,
(1) the performance level required by the institution differed significantly from his own performance, and
(2) the institution's policy strongly required Mr. A to conform his behavior (the institution required parents), and that policy did not match his intentions.

主な理由は、
(1)教育機関が要求する成續水準が本人の成績と大きく異なっていたこと、
(2)教育機関の方針に合った行動を、A君に強く要求し(教育機関は親に対して要求し)、その方針が本人の意思と合致しなかったこと

とのこと。しかし、基本的に親御さんはこうされます。

His parents said he found what he was good at by giving them many opportunities to discover talent.

彼の両親は、彼に才能を発見する機会を多く与えることで、彼の得意なことを見つけたという。

 そして、A氏の主な学習方法はインターネット上の多くの学習教材から学ぶ、興味ある大会に参加しそこで高い評価を受ける、などによりモチベーションを高め、高い成績を維持されている。

 それらに基づいて筆者はこう提案されています。

Regarding the system for developing talent, Mr. A used free material accessible on the Internet for learning. He also used the opportunity of public competitions to gain learning opportunities and motivation for learning. In other words, it can be suggested that teaching materials that develop talent already exist in the current situation.

才能を開花させる仕組みについて、A氏はインターネット上の無料教材を使って学んだ。また、公募のコンペティションという機会を利用して、学習機会や学習意欲を獲得していた。つまり、才能を伸ばす教材は、現状でもすでに存在していることが示唆される。

 だから、特異な才能を持った子どもを集めた特別なギフテッド教育といったものは必要無いのでは、という提案だと思います。もちろんこのA氏の場合は「あくまでも一例」であると、筆者も限定はしておられますが。

 なお、私が非常に重要だと思うのは、いろいろな習い事や教育機関に行った時に

At many of the lessons and educational institutions, the instructors suggested that it would be better for Mr. A to go to other institutions, claiming that they could not teach him.

多くの習い事や教育機関では、指導者がA氏には教えられないとして、他の教育機関に行くことを勧めた。

 という部分だと思います。「さあ、ギフテッド教育をするぞ」ってったって、集めて一斉授業をしようとしても、それぞれの子どもがいろんな部分で突出してたら一斉授業で教えようたって教えきれるものではありません。

 A氏の場合は、コンクールやイベントで知り合った研究者と連絡を取り、相談したりアドバイスをもらったりしています。

 つまり、集めてどうこうではなく、ひとりひとりが自分の興味関心に従って、その分野を深く研究している人を探して学ぶ、そういうことを保障する体制が大事で、それしか無いような気がします。公立の小・中学校ではそういうことを許さない体質は広くありそうです。高校は少し違ってきたかな?

 これらについてつい最近話題になったのは、下のニュースのせいでした。


 やっぱり「集めてどうこうしよう」として失敗されたわけですね。

 しかし、この記事で

「当時、様々な専門家の方に来てもらった。『このレベルではなかなか天才とは言えないよ』とか。学術的な基礎知識や理論体系をきちっと踏まえて積み上げていかないと『なかなか研究レベルでは通用しないんだよな』と(指摘もあった)」

とかいう評価・指摘・・・ほっとけよ、と思います。

 何というか、A氏の場合でも、親御さんは「今、ここ」が「(本人にとって)充実して楽しい」環境が作れるように一緒に進んで来られただけでしょう。別に研究者になることだけが良いことでもないし。

 しかし、記事中、実践してこられて「失敗だった」と止められた中村さんも、慶応義塾大学の特任准教授でプロデューサーの若新雄純氏のコメントも大事なことはおっしゃっていると思います。

 なお、この記事についての感想が Twitter(X)でいっぱい出てきた時に、

「そんなやつ、高専にはいっぱいいる」

というツイートが流れてきて、「このレベルではなかなか天才とは言えないよ」みたいな文脈でネガティブな発言ととらえてムカッときたのですが、声も表情も、はたまたどの発言を受けてのツイートかわからないので、

ポジティブ(普通高校のカリキュラムに乗りにくい子の居場所になっている)
ニュートラル(単なる事実?)

みたいな可能性もあり、何とも言えないか、と思い直しました。

 しかし、A氏の場合でも、親御さんに心の余裕と、経済的な余裕が無ければできないことなわけで・・・

 やはり、公立の学校で、「現行の授業が合わない」「現行の行事が合わない」子どもたちに、いろいろな機会をさぐる自由を与えてくれるシステムが必要なのだろうな、と思いました。

posted by kingstone at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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