※この記事は福祉事業所での取り組みではあるのですが「特別支援教育や関わり方など」のカテゴリに入れます。
対象者は知的障害者更生施設に入所していた34歳男性 A氏。
行動問題として他害・自傷・妨害行動があった。
散歩に出かけようとする時など、床に座り込み大声を出すなどの拒否行動も見られた。
B園では外からは鍵がかけられるが、中からは開けられない部屋に居た(これは「拘束」として今は原則禁止されているのではなかったかな?)。
行動問題として他害・自傷・妨害行動があった。
散歩に出かけようとする時など、床に座り込み大声を出すなどの拒否行動も見られた。
B園では外からは鍵がかけられるが、中からは開けられない部屋に居た(これは「拘束」として今は原則禁止されているのではなかったかな?)。
この論文は2014年のもの。ということは1980年以前に生まれておられ、6歳で自閉症の診断を受けておられるので、まだまだ「どう対応したら良いのか」は一般的なお医者様・療育機関・養護学校などではまったくわかっていなかった、という時代であるだろう。養護学校高等部卒業時でもまだまだ一般的にはなっていなかった時代だと思われます。実際にそういう結果とうかがえる行動が記述されています。
この論文は2014年に発表されていますから、たぶん2010年から2013年までのどこかで取り組まれたものだと思います。しかしその時期なら、すごくひっかかるというかモヤモヤする点がずっとありました。しかし P35 の考察の次の文を読み、筆者たちは「わかったうえで」「何らかの『できない』理由があって」まずこの取り組みをしたのであろう、と想像できました。
しかし、本研究では以下のような課題が残された。 まずは、Aの日中活動において「次に実施する活動を行いたい」という要求を充足できるような手続きが行われていないことである。具体的には、Aに絵や写真による活動スケジュールを提示し、その操作法について支援し、A 自身が次の活動について事前に確認できることによって、「次に実施する活動を行いたい」という要求を充足できると考えられる。さらに、「次に実施する活動を行いたい」という A の要求の背景には、「次に何をやるのかわからないという予期不安」があると推測され、活動スケジュールの操作を支援することによってそのことが軽減される可能性がある。 |
私にすれば、介入だなんだと言う前に、環境設定として「まずここから」始めるべきものと思えます。しかし、上の文を読んで、再び読み返すと、いろいろ苦渋の選択的に思えるところが出てきます。
事例を簡単にまとめてしまうと、アセスメントの結果
・活動と活動の間の待ち時間や余暇時間に行動問題が出ている
・行動問題はわざわざ職員に見えるところでやっている
・着替えに興味がある
・行動問題はわざわざ職員に見えるところでやっている
・着替えに興味がある
ということがわかった。つまり「やることがない」「注目が欲しい」ということと考えられる。そこで、
B園内で支援可能な支援計画を第二著者とAの担当職員が共同で支援計画を立案した。 |
介入1. 待ち時間や余暇時間に靴下を12足、箱に入れて提示。
また半転期を入れたのち、
介入2. 靴下を40足に増やした。また上着・ズボンのセットを合わせて25着、居室で着替えもできるようにした。
結果 数字はそれぞれの期間に1日のうちで行動問題の起きた数の平均
他害 自傷 妨害
BL期 15.0 13.2 11.5
介入1 8.2 7.7 6.6
反転期 (最初少なかったが徐々に増加)
介入2 1.3 1.3 1.0
BL期 15.0 13.2 11.5
介入1 8.2 7.7 6.6
反転期 (最初少なかったが徐々に増加)
介入2 1.3 1.3 1.0
行動問題が激減していったことがわかります。その他の場面でも職員とA氏の関係が良くなっていったり、(たぶん適切な)要求の行動がより頻繁に現れたりするようになったことがわかります。
さて、最初に戻って「問題と目的」のところで
施設に入所している行動障害のある自閉症者の場合、彼らの行動障害を理由に施設内で活動範囲や活動レパートリーを制限されがちである(黒木・納富、2005)。その理由として、施設内で必要な人員配置が満たされていない場合には、行動問題を示す自閉症者に対して叱責や隔離といった支援者にとってコストが低い対応が実行されやすいことが挙げられる(平澤ら,2003)。そのような施設環境は自閉症者にとって満足できる環境とは言い難い。すなわちそれらの環境刺激の欠如は、感覚的強化で維持されているような自閉症者の常同行動を容易に生み出しやすくすると考えられる(Kennedy, 2002)。 |
と書かれています。「行動問題を示す自閉症者に対して叱責や隔離といった支援者にとってコストが低い対応が実行されやすい」となっていますが、これ、本当にコストが低いのだろうか。もちろん、私は「いや違う」と言いたいし、著者たちも同じだと思います。
確かに叱責や隔離によって「事前にスケジュールやカレンダー、手順書などを準備する手間や時間」や、「事前に計画し、事後に改善について考える手間や時間」というコストを削ることができる、ということはあります。しかしそれらを削ることによってどんなコストを支払うことになっているでしょうか。
・本人の不安やケガ
・周囲の利用者や職員が不安かつ物理的にもケガをする可能性
・隔離や叱責に使うエネルギーや嫌な感情(これ、相当大きいと思うのですが。しかしそれを大きいと思わず「当然」と思えてしまうなら、それも「その人が闇に落ちてしまう」というめちゃくちゃ大きなコストを払うことになっているような気がします)
・「そんな職場は嫌だ」と思う職員の離職
・新規採用に掛かるコスト
・新規採用者を教育するコスト
・家族にかける「心労」というコスト(なお「心労」だけでなく帰宅時には物理的な苦労をかけているかもしれない)
・「そんな職場は嫌だ」と思う職員の離職
・新規採用に掛かるコスト
・新規採用者を教育するコスト
・家族にかける「心労」というコスト(なお「心労」だけでなく帰宅時には物理的な苦労をかけているかもしれない)
そして、これらは当然福祉事業所だけのことではなく、学校園でも同じだと思うのです。
しかし、「B園内で支援可能な支援計画を第二著者とAの担当職員が共同で支援計画を立案した」結果としては、スケジュールをすることは時期尚早と考えられたのではないか、と思われます。やったことのない方にとっては「めんどくさい」し、またやり始めても、本来の「(やりたいことがいつできるか)見通しをつけるため」のものではなく「支配と服従のため」のものとして使われそうでもあります(そうなると「効果が無い」だけならまだしも、折角のコミュニケーションのチャンネルを失うことになり、行動問題は頻発します)。
また
施設職員が ABA による支援を初めて行う際は支援の効果が不明確であるにもかかわらず、専門的知識や特定の支援技術が求められることから支援の実施を敬遠する者もいると推察される(村本・角田、2012)。 |
何か明確な方法が他にあるのだろうか?「隔離と叱責」?
あと、「やってみなくちゃわからない(支援の効果が不明確)」というのはその通りで、「うまくいく」のか「うまくいかない」のか、本当に「やってみなくちゃわからない」。そしてそれがアセスメント(インフォーマルなアセスメント)にもなるわけだけど。
まあ、10年前の論文です。今は事業所も学校園も進んでいるかな?