もともと「乞食」には興味があって、いろいろ検索していたら、こんなの見つけました。
近藤文剛(1960)『印度學佛教學研究』Vol.8, 2, 666-671
いや、しかし「禪」とあるように、漢字が旧字(?)で書かれており、漢文も出てきてちんぷんかんぷんで、まともに読み込めてはいませんが、いろいろ面白かったです。
長阿含第十一なんとか経(いわゆる阿含経のうちなのかな? Wikipedia 見るとそうみたい)に
「世尊は着衣持鉢し、なんとか城に入りて食を乞う」
という文言があるので、シャカ自ら乞食をしており、比丘の日常作法として行われていた、と。
そして菩薩の乞食の十事として、いろいろ書かれているのだけど、その五に、乞食で集めた分配方法が書かれていて
1分は同梵者(一緒に托鉢した人?同僚?)に
1分は貧窮の人に
1分は悪趣の人(現世で悪事を働いて、死後苦悩の世界にいる人)に
1分は自ら食べる
となっているそう。(ちゃんと読めてるかどうかわからん)
そしてインドでは比丘の生活方法として乞食だけが唯一のものとされていた。
「一日作さざれば、一日食わず」の言葉に代表される作務生活、すなわち自活の重視となっていく。
(なお、この「一日作さざれば、一日食わず」は「働かざる者食うべからず」みたいに使われて、嫌な言葉だなあと思っていたけれど、Wikipedia を見ると、あくまでも自分自身を律している言葉なんだな。他人に向かって言っているかどうかはわからない)
まあ大きな組織を維持しようと思えばそうなっていくか・・・
タイやミャンマーではどうなんだろう?
ただ静かに座る → 静中の工夫
作務・行脚・遊山 → 動中の工夫
つまり中国禅では道中の工夫もおおいに重要視されるようになったと。
なお、行脚と遊山が別れているのはどこが違うんだろうと調べてみたら、
行脚:修行のために歩き回ること(師を求めていろいろなところに行くことだろうな)
遊山:悟りを開いてから、山水の美の中で美しい景色を楽しみ、悠々自適の生活を送ること
という違いがあるらしい。
そして百丈和尚の作った「百条清規」に乞食作法が書かれている。
(清規というのは、寺の生活の決まり事。ただし、百条清規そのものは、散逸していて断片のみある)
で、そういったものが日本にも流れてきて、根付いていった。
清規 を見ると、有名な典座教訓は永平清規の中に書かれているって。
聖徳太子が悲田院を建立した時、乞食の行を徳としたので、かえって弊害を生じ・・・とあるからまあ、周囲を困らせる(あるいは堕落したと見られる)人が出たんだろうな。そして官許を得た僧でない人たちもいたと。
(しかし、これって、例えばヨーロッパや中近東の修道院が粗食と言われながらも、実はその周囲の地域の人の食うや食わずの生活から見たら安定して食っていける場所だったみたいに、食えない人がいっぱいいたからだろうな。僧集団の中にもたくさんそう人がいたのじゃないか)
時宗 → 遊行上人(これはもう乞食というか、地元の人に食物を頂くことでしか続けられなかったろう)
徳川時代の普化宗 → 虚無僧で有名
乞食桃水(桃水雲渓) → 乞食の精神みたいなものを代表させた?
白隠禅師 → 修行面に重きを置いた