他の所ではとっくに終映していたのに、神戸の Kinoシネマ神戸国際(昔の国際松竹)ではやっていたので見て来ました。
Kino シネマで長いことやってくれてるなあ、と思ったら作ったのが Kino シネマだったのですね。
宮沢賢治・・・まあ、地方ではすごく目立つ奇行を数々する人、として周囲からは見られていて、かつ父親の質屋という仕事をよく思わず、生意気なことを言い・・・
厨二病であったり、流行りの思想にかぶれたりして父親と確執する・・・たぶん多くの方の黒歴史に触れ、ギャーッと叫びたくなるような、ところがたくさんありました。苦笑してしまうのですが・・・
父との確執
妹に支えられること
いやはや、自分のことも思い出してしまいます。
妹が賢治の物語の最初のファンであり、政次郎が賢治が結核にかかってから「お前の物語はいい。私が一番の読者だから書け」と言い、賢治が「親馬鹿だな」と笑うシーンがありました。
子どもに対して「一番の読者」「一番のファン」「一番の誇り」と(たくさん子どもがいてもそれぞれに)言えれば幸せだな。
2019年の 元農水事務次官長男殺害事件 のお父さんは、後年はいろいろ頑張られていたようなのだけど、長男さんの小学校時代にお子さんのファンになれたのだろうか・・・なれていたら結果は変わっていたかも・・・なんてことも思いました。
最後の賢治の死の床で、政次郎が「雨ニモマケズ」を暗唱し、「いい詩だ」と褒めると、賢治が「お父さんに初めて褒められた」と笑顔になったのを抱きしめながら政次郎が「〜〜の時も、ーーの時も、◯◯の時も褒めたじゃないか」と叫ぶシーンがあります。
やはり、褒められたことより、叱られたことのほうが記憶に残るのかもしれない。
それだけに子どもは褒めて褒めて褒め倒すくらいでちょうどいいのかもしれないな。
宮沢賢治は1896年に生まれ、1933年に亡くなっています。
宮沢賢治の個人史と、日本史、世界史とを合わせた年表を作ってみました。
わずか37年の間に、Wikipedia で調べただけでも6回も東北飢饉が起こっています。
その中での生涯だったのだな、と思いました。
年表の PDF をダウンロードできるようにしておきます。