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2023年04月05日

『日蓮の手紙』植木雅俊著




 鎌倉仏教の祖師については、日蓮さんについては子どもの頃、子ども向けの伝記で読んだくらいで、あまり読んでませんでした。

 まあやっぱり「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」という四箇格言(しかかくげん)に恐れをなす、という気持ちはあります。

 祖父は真言宗僧侶だし、禅語は好きだし、法然さん親鸞さん共感するし・・・

 また忍性さんを「権力者と癒着している」と批判していたみたいですが、もし日蓮さんの主張していることを政権が取り入れバックアップ(寺を造営するなど)したら、それは別の立場からは「癒着」と見られたかもしれない。

 ただ、
 平頼綱は、このとき(蒙古襲来の時)日蓮に対して、取引とも懐柔策ともとれる話を切り出しました。
「お前たちの布教は認めてやろう、鎌倉に寺も立ててやろう、領地も与えてやろう」言外に、「その代わり他宗と争わず、波風立てず、おとなしくしておれ」という含みがありありと透けて見えました。

 この時、日蓮さんは申し出を蹴っています。

 ところで、信者のみなさんへのたくさんの手紙が残っていて、その文面は情愛に満ちたものなのですね。今だと、みなさん、ほとんどメールだ、LINE だ、Twitter だ、みたいになってると思うけれど、手紙って難しいよな、と思います。

 また時代は「鎌倉殿の13人」のすぐ後ですし、命の保証は無い時代、ましてや他宗の信者さんから狙われることも多かったろうし、四条金吾頼基への手紙では

「夜は一人では外出してはいけない。主君からの呼び出しも裏を取ってから。鎧を着て鉢巻をして行くように。自宅に戻った時も人を先に宅地内に入らせて安全を確認してから入るように」という意味のことを書いています。

 よくすぐに人を殺すとんでもない時代として室町時代のことを聞きますが、その前の鎌倉時代も、平安時代も、それ以前も同じようなものだったのじゃないかな。


 いろいろ知ったこともありました。

 釈迦の弟子、周利槃特(しゅり・はんどく、パーリ語ではチューラパンタカ)は、どうやら知的障害があるお弟子さんらしい。

Wikipedia からの引用
仏弟子となったのは兄・摩訶槃特の勧めであるが、四ヶ月を経ても一偈をも記憶できず、兄もそれを見かねて精舎から追い出し還俗せしめようとした。釈迦仏はこれを知って、彼に一枚の布を与え、「塵を除く、垢を除く」[4][2]:19と唱えさせ、精舎(もしくは比丘衆の履物とも)を払浄せしめた。

 つまり兄がコミュニティから去らせようとしたが、釈迦がそれをとどめ、掃除をずっと続けさせ、コミュニティに包摂し続けた。そして大悟した、ということなんだけど。原始仏教典にこの話が残っているのかな。

 なお、スリランカには原始仏教が比較的よく残っているそう。単純に上座部仏教なのかと思っていたけれど、また違うのかしらん。

posted by kingstone at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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