ブレイディさん、どこかで『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』では、「本当につらい(ひどい)現場の様子を書くことができなかったから、フィクションである『両手にトカレフ』を書いた」とおっしゃってました。
しかし今まで読んだ中にもここに書かれているようなことあったけどなあ、とか思ったけど、それは『こどもたちの階級闘争』とか他の本で読んでたのかな?
表紙は2人の少女が描かれています。学校の友達同士かと思ってたら違ってた。
主人公はミアというロンドンの中学生の女の子。で、図書館で「カネコフミコ」の自伝と出会って・・・ということで、よく見たら表紙の女の子のひとりは帯をしめてて日本人だとわかるようになって・・・あれ?そうか本屋さんでは本の帯が邪魔になってそこが見えないんだ。わからなくて当然やな。
ミアを見守ってくれているゾーイというジャマイカ人のおばさんが出てきます。彼女は娘のイーヴィとミアに「勉強してこの町を出て行きなさい」と言っています。そして娘には「発音矯正士(だったか正式名は探し出せない。本来は移民して来たばかりの人用)」をつけて、きれいにしゃべることができるように教育しています。
言葉で出身階級、育った場所なんかがわかってしまうので、町を出るためには必要ということでしょう。
日本だったらどうだろう・・・
「子ども食堂」のイギリス版「カウリーズ・カフェ」という場所も出てきますね。
希望の持てるラストになってるので私は安心できましたが、まあ現実はそうはいかない場合が多いかもしれない・・・