伊藤美和,水内豊和,拓殖雅義(2021) 『とやま発達福祉学年報』,12,27-34
Cinii で「障害者+親なき後」などで検索して出てきた論文のうち、知的障害のある障害者(発達障害、ダウン症、重症心身障害など)に関わる日本語で書かれた文献をレビューしたもの。
最終的に43本を対象にしています。
書かれている問題意識はだいたい仕事の中で感じてきていたことだけれど、「言語化」してくださっているのがいいですね。また
「親なき後」と「親亡き後」の違いということは気づいていなかったので、ほほうと思いました。
良い「親なき後」が過ごせるようにしておき「親亡き後」を迎えるというのが理想なんだろうな。
自立、そして依存という言葉に対する考え方(定義)の違いや変遷(?)についても触れられています。
例えば
障害者の自立の定義や考え方について,大野(2019)では親は「ADL自立を自立イメージの基準として考えている」とし,一方で支援者は当事者が自立するためには「当事者自身が意思を持ち,他者とのコミュニケーションをとることが必須である」と考えているとしており,家族と支援者間によっても「自立」へのイメージが異なると言える。 |
のように。
で、もちろん「現在、適切に意思表出できる」人だけでなく、「今まで適切な意思表出の手段(もちろん音声言語に限らない)を知らず、教えられず、まるで意思疎通できない人のように思われている人」に対してはどのような年齢であれ地道にいろいろ試していくことが必要になるだろうな。
なお最後の「IV, 今後の「親なき後」に関する研究の課題」に
第一に研究の対象及び方法についてである。知的障害者本人にもっとも近い家族としての母親の存在の大きさが指摘されている(植戸,2015)が,母親を対象とした研究の数としては十分ではないと言えるだろう。また母親への過度な役割期待を研究が担う危険性も考える必要があるだろう。対象となった親に対して「親なき後」を不安にさせている要因を尋ねるものやそれを解消するための入所施設への思いに対するインタビューが比較的多いが,親なき後に対して過度に不安を感じていない保護者を対象とした研究は見当たらない。障害のある子どもをもつ保護者にとって,不安を全く感じていない保護者はいないだろうが,その中でも過度に不安を感じていない保護者を対象とし,その要因を明らかにすることには,相談場面などの心理臨床において大きな意味があると考える。 |
とあります。
この論文を紹介してくださった若い院生さんは「なんで父親は出てこないんでしょう」と純粋に不思議がっておられましたが、まあある程度歳のいった方なら瞬時に「わかってしまう」ことでしょうね。しかし純粋に不思議に思う世代人口が増えて来ると世の中が変わってくると思いますし、ここ 2〜3 年、少しずつ実感できるようになってきています。
あと、この後半の「過度に不安を感じていない」というのが「必要なだけ不安を感じているが、大きく不安を感じていない」なのか「もっと不安に感じなければいけないのに、気楽すぎる」という意味なのか、日本語の特徴で判然としないのですが、前者だとすると、本当に大事だな、と思いました。
大野安彦(2019)『名古屋市立大学大学院人間文化研究科人間文化研究』Vol.32, 85-105
で、時々気づいた時に、ご本人とよく、伝え合い、理解し合って、一緒に考えた計画が実現できる具体的な手立てを少しずつ実行すると。