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2022年05月06日

『乞食の精神史』山折哲雄著



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『乞食の精神史』山折哲雄著
昭和62年(1987年)初版ですね。

読書メモ


呼び方のいろいろ

コジキ、コツジキ、ホカヒビト、モノモラヒ
ホカイ(祝言者の字が当てられている。めでたいことを言う?)

網野善彦によると鎌倉・南北朝期までは遍歴民は賤視されていなかった。
一遍聖絵(1299年)の乞食・非人は生気に満ちている。それが一遍上人絵伝(遊行上人伝絵巻)(1307頃?)になると生気が無くなってくる。
(しかし、ほとんど同じ時期だけど・・・)

親鸞 非僧非俗
日蓮 旃陀羅が子
明恵 非人高弁上

世阿弥の芸能を、押小路公忠は「散楽者乞食ノ所業」と日記に書いた。(『後愚昧記』)

『説教』しんとく丸(江戸時代初期、しかし原型は安土桃山時代までは遡ると考えられる)


聖書
マタイによる福音書 第10章 に描かれた、使徒を宣教に出す時にイエスが述べた言葉。
財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。
旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。

隠修士
托鉢修道会1209 フランシスコ修道会
1215 ドミニコ修道会
メディカント(托鉢修道士)

まさに乞食僧。当時、それはどう思われていたのか。
シェークスピアの時代には馬鹿にされるようになっている。
遊牧民的な生活様式から定住耕作民の生活様式への変化か。

ロシア
ユーロジヴィ
ブラージェンヌイ
遍歴巡礼

スペイン
ジプシー



辻音楽師
クレンデ(修道院や大教会に付属する学校の生徒が団体で街に出て、宗教的な歌を歌って歩き、喜捨を受けた。バッハもやっていた)

ブルボン王朝初代のアンリ4世(在位1589-1610)がパリ攻囲を計画した時、パリ市の人口10万弱のうち、乞食が3万人以上。
1606年の高等法院の法令。パリの乞食は公共広場で鞭打たれ、肩に烙印が押され、頭を剃られ、市外に追放さるべしと定められた。
(狂気(精神障害者だろう)の囲い込みと軌を一にする)

インドでは、産業化している

ランチ大学のマカン・ジャー
1979 『巡礼地の乞食ー人類学・社会学・歴史学・宗教学の諸側面からみたプーリの乞食とレプラ患者(ハンセン氏病患者)ー』

石川、福井、岐阜の3県にまたがる白山山麓

袖乞い

千葉徳爾・三枝幸裕
「白山山麓山村住民の袖乞慣行(考察)」
『中部日本白山山麓住民の季節的放浪慣行ー牛首地区の事例を中心にー』
posted by kingstone at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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