私は全然知らなかったのですが、天台宗の最澄と法相宗の徳一の論争は日本の仏教界を揺るがせるものであり、その影響は明治時代まで(ひょっとして現代まで?)続いていたと。一説ではこの論争が最澄の命を縮めたとまで言われている。
それは三一権実諍論と呼ばれ、Wikipedia によれば
「天台宗の根本経典である『法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗は一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗と仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこそ真実であると主張」
というものであるらしいのだけど・・・お互いに論争するわけだけどそれに対して根拠を示すわけね。今なら「どこそこの論文によると」であるように「どこそこの経によると」と例をあげていくわけだけど、仏教界にはその作法があり、
因明(いんみょう)→ 仏教論理学・議論の方法
共許(ぐうご)→ 双方が承認していること
世間共許 →(業界の?)常識
また経の正当性を言うのに、教相判釈(きょうそうはんじゃく)という文献学みたいなものを用いると。
で、お互いが承認しているところから議論を積み上げていくということだけど、最澄は当時流行して一気に多くの仏教者に広まった(過去は知られていない)考え方を世間共許として提出したりもしていたらしい。
因明においては本来は証義者(しょうぎしゃ)という判定者がいる。(しかしこの論争においては居たのか?居なかったよな)
ただなあ・・・現在の後知恵かもしれないけれど、例えば中村元の「バウッダ」によれば一番最初の経典群である「阿含経」が
「『阿含経』は、仏教の創始者ゴーダマ・ブッダ(釈尊)の教えを直接に伝える唯一の経典群であり、同時にまた現存の『阿含経』は、ゴーダマ・ブッダ(釈尊)の教えを原型どおりに記しているのでは、けっしてない」
というものだし、そもそも、大乗仏教の経典群はいろんな人が後々に自分の哲学・思い・到達点でもって書いたものだし・・・
「あそこにああ書いてあったから、これが正しい」と言えるようなものじゃないのじゃないのかな?
いや、もちろん信仰とか宗教とかは、最終的にはエビデンスとかなくても「私は信じる」というものだし、それでいいと思っているのだけど。
でもって、どっちでもいいなら私は、「みんな成仏できるよ」という一切衆生悉有仏性のほうが景気良くていいじゃん、と考えるバチ当たりだったりするわけですが。
しかし仏教界には「論争を起こすと地獄に堕ちる」ですることという考えもあったそうです。
時代は下るけど、法然の大原問答なんかもそんな感じでやられたんだろうか?
しかし、本書にも書かれていますが、「相手を潰す」ことが目的ではなく「議論によってそれぞれが思う正しい方向へ赴こう」という方向性ならいいだろうな。
なお、アメリカの歴史学者ヘイドン・ホワイトは過去を
「実用的な過去(practical past)」(地元を愛し、物語を作る。郷土史とか→行き過ぎると「歴史修正主義」や「排外的な愛国主義」に)
「歴史学的な過去(historical past)」(時に正しくて人の心を傷つける)
と2つに分類してはるとか。なるほどな。