だいたい「〜を斬る」というたぐいのタイトルがついた本って、あまり面白かったためしはないのですが、この本は面白かったです。
著者の主張は3つほどかな?
1.天皇から庶民までの歌が集められているというが庶民の歌は入っていない。
2.改元というが、もともと元号とされているものは年号と呼ばれていて(しかし元号と書いた例が古代に1例はある)、天皇1世代に1元号というのは、明治の旧皇室典範で初めて規定された。
3.2019年に「国書」と紹介されたが、国書とはある国の支配者から他国の支配者に送られる親書のことで、万葉集は国書ではない。
4.国学の高まりで再評価され、明治維新で国民意識を高めるために称揚された。(それまではほぼ忘れらていた。つまり国民的歌集とかではない)
たとえば Wikipedia 「万葉集」でもこう説明されています。
これを「天皇から庶民まで」と表現されることが多く、私もそう習ってきたような気がします。
でも、そんなことはなく、せいぜい地方豪族(あるいは有力者?)までである、と。
これは納得できます。
伏廬(ふせいほ)の 曲廬(まげいほ)の内に 直土(ひたつち)に藁(わら)解き敷きて |
という庶民の家の情景が出てきますが、山上憶良は国司なんだから、このような家に住んでいたわけがない。
やはり Wikipedia の貧窮問答歌のところに
近年までは貧者が更にそれよりも貧しい窮者にその窮乏を問うものであるというのが定説であったが、現在では貧者に対する問答の歌と解して役人が貧者を尋ねているという説が有力視されている |
とありますが、そうやろなあ、と思います。
で、私などは Wikipedia の記述を引っ張ってきてあれこれ書いてますが、品田さんは(当たり前ではあると思いますが)たくさんの元の文、たくさんの論文にあたられて、研究の結果として書いてはる。
例えば「民謡」ではない、というのを証明しようとして日本の民謡を調べ上げ、関連書籍を図書館にこもって半月以上、朝から晩まで読んではったそう。
ただ大伴旅人の歌は、藤原氏が権力を握っていくことへの反発がこめられている、というのはどうなのか?
よしんば旅人にそういう思いがあったとしても、それがわかるように書いてしまうと、当時だと長屋王の変みたいに、冤罪で殺される可能性もあったし、もうただただ「いやあ、あなたには逆らいません。靴の裏でもお舐めします」という恭順の意を示すことしかできなかったのじゃないかなあ、とは思います。
しかし、国民的歌集ではないとしても、「万葉集」はすごく魅力的な古い歌集だし、また読んでみたいな、と思わされました。