古代律令国家
僧尼統治政策として「得度」「授戒」の制度があった
1.在家の優婆塞(うばそく。男性)優婆夷(うばい。女性)
2.「得度」を経て修行者になる沙弥、沙弥尼
3.具足戒を授かって「授戒」を経た僧(沙門)、尼(比丘尼)
2.「得度」を経て修行者になる沙弥、沙弥尼
3.具足戒を授かって「授戒」を経た僧(沙門)、尼(比丘尼)
しかし戒壇もいろいろあって
754 鑑真を招き、
東大寺、筑紫の大宰府の観世音寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺に戒壇ができた
しかし最澄はそれらを小乗戒壇と否定。822年、最澄の死後に延暦寺に対して戒壇の勅許が下され、戒壇が建立された。大乗戒壇。
これらの戒壇制度は、松尾剛次(1999)によって中世でも機能していたことが指摘されている。
(しかし、制度は維持されていても、圧倒的に官僧以外の力が大きくなっていったことは間違いないだろうな)
その後の僧(?)の呼び名いろいろ
持経僧
経を常に持参して称え、山林霊場で厳しい修行をする出家者。在家者や国に公認されない私度僧(得度はしている)が多い。
聖 もともとは
1.儒教的な聖賢
2.非凡なもの
3.神聖ではかりしれないもの
4.行業や験力がすぐれた者
2.非凡なもの
3.神聖ではかりしれないもの
4.行業や験力がすぐれた者
のことを言っていたが次第に
山岳で修行する僧、橋をかけたり、道路を修繕する修行僧、人里離れて隠遁する僧などを指すようになった。
その代表が空也。
沙弥・沙弥尼
僧に従って雑用を努めながら修行し、その後に戒律を授かって僧になる者(今なら小僧さんと呼ばれる人たちやろな)。
その後、
正規の手続きを経ない出家者は「私度の沙弥」
僧のみなりをしていても妻子があり、仕事(?!)についている者を「在家の沙弥」と呼んだ。
その後、
正規の手続きを経ない出家者は「私度の沙弥」
僧のみなりをしていても妻子があり、仕事(?!)についている者を「在家の沙弥」と呼んだ。
なお、公的な僧の位階制度が整い、僧の寺院組織内での出世志向が強まった。その世俗的な風潮に嫌気がさして、寺を出ることを「出世間」と呼び、「出世間」した僧のことを「遁世僧」と呼んだ。
この「寺院」というのは比叡山や高野山の正統的な大きなお寺を言うのだろうけど、結局、遁世しても出たところでご本人が(志向していなくても)祖師となり、新たな寺院、宗派を作ることになってしまっている(ってかそれ以外の方は歴史の闇に消えていき、歴史の中に残っているのは寺院、宗派を維持した人たちだけ、ということだろうけど)ってのは、人間ってそういうもんや、ってことか。