第4章 女性をめぐって
ルイス・フロイスの「日欧文化比較」
「フロイスの日本覚書」中公新書
フロイスが記録していること
「日本の女性は、処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わければ、結婚もできる」
「ヨーロッパでは財産は夫婦のあいだで共有である。ところが日本では各人が自分の分を所有している。ときには妻が夫に高利で貸し付ける」
「ヨーロッパでは妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって名誉を失わないし、また結婚もできる。日本ではしばしば妻が夫を離別する」
「日本では娘たちは、両親に断りもしないで、一日でも数日でもひとりで好きなところ出掛ける。日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている」
「日本では堕胎はきわめて普通のことで、20回も堕ろした女性がある。日本の女性は、赤子を育てていくことができないと、みんなのどの上に足を乗せて殺してしまう」
「日本では比丘尼の僧院はほとんど淫売婦の町になる」
と書かれているので、これはキリスト教宣教師であるフロイスさんの偏見ではないか、と網野さんは思っていたけれど、「これは本当である」と考えていろいろ調べていくと見えてくるものがあったと。また
「ヨーロッパでは女性は文字を書かないけれども、日本の高貴な女性はそれを知らなければ価値が下がると考えている」
など、日本の美点(?)も書いてあることから、偏見ばかりでもなさそうだ、と。
まあ「原始、女性は太陽であった」というのは言い過ぎだとしても、古代は相続も男女平等だったのが、家父長的価値観で貫かれた中国の法制を取り入れて律令を作ったために、少しずつ建前としては家父長制が進んでいったのではないか、と。
また家父長制の強い江戸時代、三行半で男の好きなように離縁され、女性が離縁したいと思ったら駆け込み寺に入るよりなかった、と考えられてきたが、確かに三行半は男が書いたのだが、それは「義務」であり、女性に書かされた面もあったのでは、と。
また中世、社寺への参籠も、暗闇の中でフリーセックス的なことが行われていたし、歌垣みたいなものもあったし、ってことは父親がはっきりしない子どももたくさんいたのかもしれない。(家父長制だと、これは困る)
あと、妻が夫に高利で貸し付ける場合もあった、ということについて、女性が荘園の管理をしていたり、女性が自分の財産を持つことも普通にあったみたい。
しかし、室町時代あたりから、だんだんと文献に表れることが少なくなり、日野富子のように、金貸しをしていた女性が「悪女」の誹りを受けるようになる。
律令制のゆるみとともに、女性の職能団体が出てきて、遊女も官に位置づけられていたものから、職能団体となっていく。津や泊を拠点とし、西日本では船で動いている。(で、室津の遊女が出てくるわけやな)
平安後期には女性の商人の記録も多い。
大原女(花売り)も、遊女のような仕事をしていた、という話も聞いたことがある。
比丘尼の寺院が・・・というのも、熊野比丘尼という遍歴の比丘尼が遊女としての仕事もしていたし、実際にそういうことはあり、それが賤視にもつながっていたのかも。
仏教伝来の時に日本人で僧になったのは女性からだったけど、これも官に位置づけられて高く見られているところからの賤視への変化で、そういうふうになっていくものなのかな。