貨幣と商業・金融
宋銭、12世紀から大量に輸入されるようになる。
(これって、中国で紙幣が主となって、貨幣があまり必要なくなったせいだ、って説がある)
(これって、中国で紙幣が主となって、貨幣があまり必要なくなったせいだ、って説がある)
平清盛がたくさん輸入。
ここで初めて銭が流通するようになった。
(この時、銭の病、というのが流行ったってことだけど、単純に人の交流が増えた、それで感染症が入ってきた、ってことだろうな)
銭が大量に入ってくるとインフレになりそうなもんだけど、土地の価格を含めてむしろ安くなっているとのこと。これ、宋銭を輸入して、銭が流通するようになったけれど、必要量が入ってこずにデフレになった、ということじゃないかな?
この14世紀前半に沈んだ船に勧進聖が乗っていた、とのこと。朝鮮半島で勧進していたのか、はたまた、勧進ではなく、貿易で利益を得る商業活動をしていたのか。後者かな?寄付を集めるだけでなく、利益を上げてそれを上納してもいいわけだし、
埋蔵銭 → 無主物
呪術的な意味もあって埋めた、ということも考えてはるが、銀行の無い時代、タンス預金とするためには、埋めないと危なくてしかたなかったのでは、と単純に考えてしまうが・・・(もちろん網野さんもそこも考えてはる)
市 → 無縁
それまで、物は人とくっついていた(贈与)。それが人から離れ、流通する場が市。
利息。
金融の起源は出挙(すいこ)?
種籾を貸し出し、取り入れたあと5割り増しで返す。(公出挙)
5割といっても籾だからそれほどの利率では無い。
しかし私出挙の場合、「元本の10割以上とってはいけない」というお触れが何度も出ているということだから、もっと高い利率の私出挙が横行してたんだろうな。
種籾を貸し出し、取り入れたあと5割り増しで返す。(公出挙)
5割といっても籾だからそれほどの利率では無い。
しかし私出挙の場合、「元本の10割以上とってはいけない」というお触れが何度も出ているということだから、もっと高い利率の私出挙が横行してたんだろうな。
金融、商売、職人仕事、芸能は普通の人にはできないこととされ、神や仏の直属民である、という立場で姿を表す。
神の直属民 → 神人(じにん、じんにん)
仏の直属民 → 寄人(よりうど)
天皇の直属民→ 供御人(くごにん)
また市から市へ遍歴していた。
こうした人は「聖なるもの」とされていて、それなりに地位が高かったようなのだが、後年(?)世俗的になり、差別される存在となる。(いや、それとも地位は高くとも最初から差別されていたのか?特権を持つ存在だから、他の人からの嫉妬を買う?)
鎌倉新仏教は社会的な活動をする。
律宗。叡尊、忍性。
勧進(寄付金集め)だけでなく、手工業者、職人も組織している。
宋人の石工とも関わりを持ち、寺社造営の時に協力。
(って、行基上人や、行基集団もそうやったろうな)
勧進(寄付金集め)だけでなく、手工業者、職人も組織している。
宋人の石工とも関わりを持ち、寺社造営の時に協力。
(って、行基上人や、行基集団もそうやったろうな)
禅僧も貿易や芸能に関わる。
絵画、茶道、築庭、能楽・・・
室町時代には「荘主(しょうす)」として荘園経営も。
(これは、寺組織の経営のために、組織としての動き、計算などできたってことやろな。禅宗は典座教訓に見られるように、実務も重視してたし)
絵画、茶道、築庭、能楽・・・
室町時代には「荘主(しょうす)」として荘園経営も。
(これは、寺組織の経営のために、組織としての動き、計算などできたってことやろな。禅宗は典座教訓に見られるように、実務も重視してたし)
「無縁所」となった寺
禅宗、日蓮宗、おそらく律宗寺院ではなかったかという寺、浄土宗、時宗の系統
(浄土真宗は? → 後ろに出てきた)
土地の所領をあまり持たず、氏寺でなく、金融と勧進で経営していた。
禅宗、日蓮宗、おそらく律宗寺院ではなかったかという寺、浄土宗、時宗の系統
(浄土真宗は? → 後ろに出てきた)
土地の所領をあまり持たず、氏寺でなく、金融と勧進で経営していた。
浄土真宗は寺、道場の周辺を区画して寺内町(じないちょう)を作り、これを「聖地」として商工業者を集める。そして「志」という寄付金で寺を維持。(無縁所と同じ構図)
しかし、日本の場合、生活の規範(というか縛るもの)としての宗教は、キリスト教を含め16世紀から17世紀の大弾圧(及び懐柔やろな)により、独自の力を持てなくなった。
なお、江戸時代も両替商を始め、金融業者に対しては賤視があった。
(って、このあたり、金融で儲けたユダヤ人が非ユダヤ人から賤視された、っていうのとも近いか)
(って、このあたり、金融で儲けたユダヤ人が非ユダヤ人から賤視された、っていうのとも近いか)