副題が
「コミュニケーション支援のための6つのポイントと5つのフォーカス」
それはこういうところ。
コミュニケーション支援のポイント
@「わからないから知りたい」からスタートする
A「不適応行動」は本人からしたら「適応行動」
B誰かに原因を求めても解決しない
Cキラキラポイントに目を向ける
Dコミュニケーションを取りたくなる環境をつくる
Eチームで支援する
A「不適応行動」は本人からしたら「適応行動」
B誰かに原因を求めても解決しない
Cキラキラポイントに目を向ける
Dコミュニケーションを取りたくなる環境をつくる
Eチームで支援する
コミュニケーションのズレを支援するためのフォーカス
Ⓐ本人の理解支援
Ⓑ本人のスキル習得支援
Ⓒ環境調整支援
Ⓓ関係性への支援
Ⓔシステムへの支援
Ⓑ本人のスキル習得支援
Ⓒ環境調整支援
Ⓓ関係性への支援
Ⓔシステムへの支援
ということです。
「関係性を支援する」というのは中心になるお子さんと周囲の人たちの関係をそれぞれ支援し、まずい関係であったりしても(そのまずさを非難するのでなく)いい関係にしていく、といったところか。
そして第2部第3章からは、改変はあるでしょうが事例が出てきます。
心理職の関わった事例
事例1 A君(小学校3年生。たぶん通常学級)
これはいろいろそれぞれの関係がうまくいっていなかったのを、SCさんがつなぎ関係を変えていった。
事例2 Bさん(小学校5年生〜中学生。通常学級)
立ち上げたばかりのフリースペースが居心地の良い場所となり、それまで悪かった周囲の関係が良くなっていった。(不登校なので学校は出てこない)
言語聴覚士(ST)の関わった事例
事例1 Aちゃん(保育園)
STさんがお母さんやB先生の気持ちを取り組みつつ「スピーチ」にこだわらず「コミュニケーション」ができるようにした例。
「発語が少ない子どもには、「喋れるようになってほしい」「できることが増えてほしい」との支援者の強い思いから、言葉を模倣させ指示に従わせることを目的に指導することが、結果的に子どもの指示待ちの態度を強め、自発的な発信が乏しくなるケースを見てきました」
ということがあってのことでしょうね。
事例2 C君(幼稚園)
STさんがサポートブック作りを提案し、サポートブックを作る上で「幼稚園で工夫されているところがあれば参考にさせて頂きたい」とお伝えし、目を通して頂くことができ、活用して頂けた、と。そして幼稚園からの提案で小学校の担当者を含めての移行支援会議の提案がされた。
STさんが特別な時ではなく、普段の児童発達支援の暮らしの中でのスタッフとしていてくださるのはいいですよね。
通級指導教室の教師が関わった事例
おもしろい言葉がでてきます。
「支援のドーナツ化現象」支援が本人抜きで進められてしまうこと
「連携・支援のあんドーナツ化」中心に本人の思いや願いがぎっしりとつまった支援
事例1 A君(小4)
本人参加の「コラボ会議」という名前の「支援会議」を行うことで本人中心のいい方向へ向いていった、というもの。
事例2 B君(小3)
コラボ教室の教師が、トラブルを起こしがちなB君のことを知りたいと思うあまり、取り調べのようなつきあい方になっていたことに気づいた。(周囲から質問し、本人はあまり答えない)
「報連相タイム」を作り、彼の言いたいことを聞く。教師が大型画面で文字化していってあげる。(言いたいことの整理)
「気持ちビンゴ」4×4のマス目にいろいろな気持ちを書き、自分がその気持になったエピソードを話す。最初はポジティブなことだけ言っていたが、だんだんネガティブなことも言えるようになった。(自己認識)
「気持ちビンゴ」4×4のマス目にいろいろな気持ちを書き、自分がその気持になったエピソードを話す。最初はポジティブなことだけ言っていたが、だんだんネガティブなことも言えるようになった。(自己認識)
ソーシャルワーカーが関わった事例
事例1 Aちゃん(小1)
母は父からのDVで離婚しており、シングルで子育て。Aちゃんは他では「いい子」なのだがお母さんには攻撃的になる。
児童福祉司(ソーシャルワーカー)と児童心理士がチームで対応した例。
事例2 B君(小5)
校長から児童相談所へ虐待の通告があり、児相が訪問、父母も児相に相談したいとのことで、児童福祉司の支援が始まる。スクールソーシャルワーカーに情報を集約した。できている行動をほめることでそれぞれの関係が改善していった。
テクノロジーに強い人が関わった事例
Y君(保育園)
PECSの取り組みから「えこみゅ」を使い周囲の人がY君とコミュニケーションできるようになった。
この本の良いのは、各章末に参考文献などが出ているところ。
自分でさらにいろいろ勉強しようという時にすごく役立ちますね。
自分でさらにいろいろ勉強しようという時にすごく役立ちますね。
この章で挙げられているもの。
作業療法士の関わった事例
コミュニケーションににおける相互作用を作業と捉える
事例1 A君(5歳)
巡回相談で「落ち着きがなく危険な子」と周囲から思われていたA君に出会った。様々な遊び’(感覚運動や作業的ゲーム)を通して「自分の体」「物」「人」とのコミュニケーションができるようになっていき、周囲のA君の見方も変わっていった。
事例2 B君(小3)
限局性学習障害の診断があり、文字の読み書きに難があった。様々なグッズ、またヴィジョントレーニングインストラクターの協力なども得て、読み書きできる環境を整え、学校でも協力してもらえる態勢にもっていった。
応用行動分析家の関わった事例
これはセラピールームでの大学院生さん教育の場面
ユーモア(笑い)の重視(特に非言語的なものの重要性)
ユーモア(笑い)の重視(特に非言語的なものの重要性)
(「苦しい」より「楽しい」ほうがいいですもんね。しかしこれも、ひとりひとり違うので、やりとりしながらどんなことがそのお子さんにウケるのか、また年齢相応か、とか考えていかないといけないでしょうね。私が知的障害養護学校時代いやだったのは、集会などでの寸劇で服装などで笑いをとろうとして見ている教師は笑っているけれど、子どもたちはポカンとしていることが多かったこと。今はどうかな?)
事例1 S君(幼稚園年中)
S君にウケることを考えあれこれやってみた結果、笑顔が増え、アイコンタクトが増え、お母さんとの関係もより良くなった。(大学院生さん教育の話かな)
事例2 X君(幼稚園年長)
「離席」が多いことに対し「着席してする本人にとって楽しい課題」を考え「活動後の楽しいイベント」も考え、着席することが増えた。親御さんもいい関わり方を覚えた。
それぞれの事例に、「学校園の担任」だけでなく、いろんな職種の人が関わっていますね。そんなふうにできたらいいですね。
しかし・・・児童発達支援を利用しているお子さんについても、相談支援専門員の姿が無い・・・まだまだマイナーということかな。はたまた相談支援専門員は実質的に環境を変えていく余裕が無い場合がほとんど(なんせ報酬少ないし、書類作りに追われるし、だもんで参入が少なくて余計に余裕が無くなるという悪循環)、という実態も反映しているのかな・・・
さて、私はこの本を買ってきてすぐこうツイートしました。
そういや昨日買った野口晃菜さんの本をパラパラとめくったら、挿し絵に「誰も責めない」とかあって、でも私は学校を責めてしまうなあ、と思った。 pic.twitter.com/EP9qUkF1Jb
− kingstone (@king1234stone) July 8, 2020
この本に書かれている支援のポイントとしては「誰かに原因を求めても解決しない」ということですね。
野口さんはこう書かれています。
「私が接してきた支援者の中には、『こどもより親が変わるべき』『学校の先生の教え方がよくない』という支援者も多くいました。私も以前はそう考えていました。子どもと保護者のコミュニケーションがうまくとれていないのであれば、親こそ変わるべき、子どもが周りとコミュニケーションがとれていないのであれば、それは先生の責任だ、などです。しかし、そうやって個人をただ「責める」のは間違っている、ということに気が付きました。それは、その子を取り巻く周りの人たちもまた関係性の中で生きているからです。」
「お前が原因だ。だから直せ」と言っても解決なんかしないよ、ということで実のところ将来に向けての態度として大賛成です。こうでないと大きな部分の変化は引き起こせないでしょう。
しかし野口さんも「ただ『責める』のは間違っている」と書かれているように、この「ただ」ってとこが問題だな。
また事例を見ていくと、アセスメント段階で(もちろん、いろんなことの関係性の中での反応でしかないのですが)よりまずくする関係性、原因もしっかりとらえてはります。
例えば、作業療法士さんが関わった事例2で担任に遮光眼鏡とiPadの使用をお願いした時に断られたのですが、担任にも「楽しく学んで欲しい」という気持ちがあるけれど、学校全体の方針や校長先生や学年主任の気持ちを考えて、目立つことはしたくない気持ちが勝っていることに気づくと、
1.担任との情報交換を校長室で行う
2.学年主任も情報交換の時に同席してもらう
という作戦を考えられ(担任を責めることなく)チームで支援していく流れを作っていかれます。
しかし、特別支援学校だとどうなるのかな?
特別支援学校って建前は「専門家」の集まりであり、地域のセンター機能があり、地域でいろいろ困っておられる事例の相談にのるところでもあります。
しかし、そこで長年教育を受けているお子さん、受けてきた成人さんがまずい状態になっている時、その責任は誰がとるのでしょうか。
私は放課後等デイサービスでSVをしている時、私が指示を出し、それでもトラブルが起こった時、スタッフさんに「私の責任だから君は気にしなくていい」ということを伝えました。そして次にすることを指示しました。
またこんなこともありました。
新人スタッフがイベントを任され、代表から「kingstoneに相談しつつ進めるように」、との指示を受けはりました。最初相談に来てくれていて、私は内容の相談とともに「壁に掲示するタイプのスケジュール」作成を、何を使ってどうするかも含め具体的に指示しました。
最初はちょこちょこ報告があったのですが、蓋を開けるとスケジュールを作っていなく、子どもたちが蜘蛛の子を散らすように走り回ってしまいました。
私は思わずその新人を怒鳴りつけたのですが、「いや、作らなくていいと指示されて・・・」と言い訳します(この新人スタッフの責任じゃないですね。そのアドバイスをした人の責任)。新人スタッフと普段同じ部屋で仕事をしていた方が「そんなに言わなくても」と言ってきたのでついでにその方へも「どれだけ大事なことかわかってないやろ!」と怒鳴りつけてしまいました。(まじに怒鳴りつけたのはその放課後等デイサービスに行っている間でこの1回だけだと思う。あと竹中直人風に笑いながら怒ったことはあったけれど)
で、後日なのですが・・・その新人さんの直接の上司にあたるベテランスタッフが「私の責任です」と私に謝ってこられました。この場合、その方には責任はなかったと思うのですが(その方は決して「スケジュールなんて作らなくていい」と言う方ではない)、責任を感じはったのですね。
で、そのさいそのベテランスタッフと「具体的にどうしていったらいいか」を新人スタッフも呼んで楽しく話し合いました(ただし、新人スタッフさんはその時は「はてな」だったかも)。今はその新人スタッフも周囲から頼られる存在になっています。
そういうふうにみんなそれぞれの現場で「責任」をとることで仕事ってなりたっていると思うのですね。
特別支援学校の先生、特に管理職、若手を指導する立場の方、どう責任を感じ、どうシステムを作っていっておられるのだろう。
もちろん、私も頑張っておられる特別支援学校の先生を知っています。私の友人にも何人もいます。しかし総じて教育委員会や管理職からの評価はあまり高くなさそう。煙たがられていることも多そう。そして影響力も狭い範囲になってしまう・・・
人間、責められるのは嫌だし、褒められるほうが嬉しい。
まったくそのとおりで、その原則にそってシステムを構築していくべきなんだけど、「今、ここ」で「被害」を受けている時、やはり私は怒ってしまうなあ・・・まあ私が活動する時間ももう短いと思うので、将来は「みんないいよね」で、素敵なシステムができることを願っています。