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 あくまでも、私個人の意見です。

2020年06月16日

「お坊さん」の日本史 松尾剛次著





※人名の前の数字は生まれ年

574 聖徳太子

574 善信尼(日本人初の出家者。渡来人の娘。
       まあ日本人という概念は無かったろうけど)
 加古川で還俗していた(たぶんばれると殺されるからでは)高麗僧恵便を師として584年得度。この恵便を迎えに行ったのが聖徳太子で、その地に鶴林寺を建てた、と伝えられる。
 翌585年(敏達天皇14年)3月、物部守屋による廃仏運動により法衣を剥ぎ取られて全裸にされ、海石榴市(つばいち、奈良県桜井市)の駅舎で鞭打ちの刑に処された。後に百済に留学もしているし、お金は実家か朝廷から出ていたか。

645 大化の改新 僧の官僧化

官僧 国家公務員(定員を厳しく守る)
   (朝廷を官として)国家のための法会が仕事。
   そのため穢れを避け、死とは関わらない。
   衣は平安末期には白。

668 行基
   官僧から離脱
   天皇の許可なく門下を得度
   私度僧集団(行基集団)を作る
   のちに大仏造営に協力し官僧のトップとなる
   (一時は遁世僧だよな)

701 「僧尼令」で官僧を規定

754 鑑真が東大寺に戒壇を作る

761 筑前観世音寺、下野薬師寺にも戒壇ができる
   国立三戒壇(尼は受戒できなかった)

767 最澄

774 空海

822 比叡山の戒壇が勅許(最澄死後)

822 日本霊異記。
   中で、7世紀末の役の小角が仏教と関連づけられている
   修験道の祖と見られた

破戒僧増加(真弟子というのは父が地位ある僧。つまり妻みたいな人がいた)

903 空也
   川に橋をかける。死体を集め回向する。
   938から京都市中で乞食をする。
   948比叡山で受戒
   とちゅうまでは私度僧?

912 良源(比叡山にいたが、得度できず薬師寺(法相宗)で得度)

967 「延喜式」で官僧を規定

鎌倉仏教の遁世僧
各宗派の祖師は、多くはもともと官僧だったが、義務の法会に応召しないなど、官僧の義務を果たさなくなり、「個人」(現在言うところの個人とは異なるので、著者は「個人」と書く)の救済に関わる。
基本的な収入は布施?
衣は黒。

1118 西行
    祖師ではないが、当時の世の中で絶大な人気があった。
    この人は領地からの上がりがあったんだろうな。
    しかし高野聖のように勧進もしている。
    勧進って、集まったお金の一部を手数料として取れるんだろうか?
    って、多くの高野聖は取ってたよね?

1133 法然

1141 栄西
    晩年に官僧となる。

1173 明恵
    新しい浄土信仰の流行に対して旧仏教側から反論。
    プロテスタントの宗教改革に対する、
    カトリックの「対抗宗教改革(反宗教改革)」
    運動みたいなもんか?
    しかし国家的法会をブッチしたので遁世僧の分類へ
    
1173 親鸞

1200 道元
    女性の出家に尽力した
    (映画「禅」でも内田有紀が出家してた。
     道元役は中村勘九郎(いだてんの金栗役も))

1201 叡尊
    父は興福寺の僧(つまり破戒僧)
    西大寺(官僧も遁世僧も共住していた。黒白両住)
    を拠点として、造寺、造物、橋をかける、ハンセン病者施設運営
    など民衆救済活動をしていた。

1217 忍性
    叡尊の弟子
    ハンセン病者施設運営

1222 日蓮

1239 一遍
    一度も官僧になったことなし

葬式の一般化。(官僧ではできなかった。遁世僧だからできた)
著者も葬式、弔いの価値を書いておられるが、私もそこは大事だと思う。葬式仏教という言葉は悪い意味で使われるけれど、葬式、弔いというのはすごく大事だと思う。

1275 夢窓疎石
    室町幕府の「官僧」

著者は朝廷の国家公務員としては官僧という名前を使い、
幕府の公務員としては「官僧」という名前を使う。

1278 文観
    後醍醐天皇の側近

1394 一休宗純

1407 日親
    幕府に建白し続けたので、焼けた鍋を被らされた。
    それ以外にも下記のような拷問をされた。
    「陰茎に竹串を突き刺されたり舌先を切り取られる」

1415 蓮如

1569 崇伝
    徳川幕府の「官僧」

15?? 天海
    徳川幕府の「官僧」

1573 沢庵
    1629 紫衣事件で出羽上山に流される
    しかし、これで人気沸騰
    1632 許され、徳川家光に慕われ、品川東海寺を与えられる

この紫衣事件が面白い。
当時、幕府は寺院を統制を厳しくしていた。
教義の研究などに励み、僧兵を持つようなことの無いようにさせようとし、大徳寺に対しては大徳寺諸法度で、いわばカリキュラムにも口を出した。

・修行30年
・1700の公案をマスター


など5か条を決めた。
それを沢庵は無視し、かつ反論した。

「悟りは修行の年数やマスターした公案の数によらない」

なんだか、現在のいろいろな資格や免許に関する普遍的な論点が出てるな。

宗門改と檀家制度の成立

1579 鈴木正三
    関ヶ原、大阪夏の陣にも出陣した武士
    42歳で出家。
    禅を平易に説いた。
    (名前から明治の人だと思ってた・・・)

1622 盤珪永琢(ばんけいようたく)
    播磨出身。浜田(姫路)龍門寺を中心に教化。

???? 真念
    四国遍路を50年間に22度もし、ガイドブックを出版。
    (伊勢参りもだけど、余暇活動の側面も大きいよね)
    
1685 白隠慧鶴

修験道の展開
    (これって、農閑期に山登り、という余暇活動の面も大きいよね)


排仏論者
1561 藤原惺窩
1715 富永仲基
1730 本居宣長
1748 山形蟠桃
1776 平田篤胤

 このあたり、反仏教思想、神道講釈の広がりについては、米朝師匠の「三年酒」でも出てくる。

 もちろん仏教の説教もはやり、いずれも木戸銭をとったということだから、有料の講演会で、「官給」「お布施」以外に講演会でお金を集める、という手段が出てきてる。

1858 井上円了
    東本願寺の国内留学生として東大に入り、後に東洋大学を作る

1863 清沢満之
    東本願寺の育英高校から東大へ
    「歎異抄」の再発見
    (結核で校長職をやめたとき、西垂水で療養してたって)

1868 神仏分離令 排仏毀釈

1870 鈴木大拙
    海外への仏教思想紹介

1871 上げ地令(幕府の与えた土地の没収令)
    宗門人別、寺請制度の廃止
    「官僧」がなくなり、収入源はお布施のみになる

1872 僧侶妻帯の公認

1873 キリスト教禁制撤廃

仏教系新宗教。日蓮宗系が多い。
国柱会。創価学会。霊友会。立正佼成会など。

   
posted by kingstone at 19:53| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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