著者は日本は「地位より人」と考えてきたのではないか、と言います。
「人」もよく見れば「人というのは血、いや血より家(養子ってのもありだし)」
天皇家も「家」だし(でも継体天皇はどうなんだろう?)。
科挙(実力試験)で官僚組織を作るってのもしなくて、それぞれの「官僚になれる家」の出身者を取り立てるだけ。
「征夷大将軍」という官名(地位)も、実力で支配した人に官名を与えるだけのことで、官名をつけたから日本を支配しなさいよ、というのではない。すでに支配してるんだから。
なお、本郷さん、記紀神話とウルトラマンの構造の類似を指摘してはります。
ウルトラマンは最初は「ウルトラマン」の話だけだった。そして続いてそれとはまったく独立の「ウルトラセブン」が始まった。しかしシリーズが続いていくにつれてそれぞれファミリーができ、ファミリー関係ができていく。
記紀神話も、地方にあったいろいろな話が発端なんだけど、それを大和朝廷の物語としてまとめていく。
なるほどな。
また鎌倉時代などはホッブスのリヴァイアサンで描かれる「自然状態は万人の万人に対する戦争に発展する」な状態であったと。いつ殺されるかわからない。だから少しでも強い庇護者を上に戴くために「主従関係(ご恩と奉公)」が大事になった。
なお、承久の乱で朝廷が負けた後の話が面白い。
それまでは税を取るのは「当たり前やろ」ですんでいたのが、武士に負けたことにより、「税金を取る理由」を作り出す必要に迫られ、領主にサービスをするようになった、と。
それが「徳政(良い政治。この言葉そのものは最初は借金棒引きの意味はなく、やってるうちに「(被統治者としては借金棒引きが一番良い政治だろう、ということで)借金棒引き」の意味が出てきたそう。
しかし・・・諸外国ではどうなんだろう。
結構世襲ってのもありそうだけど。
結構世襲ってのもありそうだけど。
会社にしろ、政治家にしろ、なんとなく子どもが出てきたら「しゃーないなあ」と認めてしまうよなあ。