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 あくまでも、私個人の意見です。

2020年01月23日

経済で読み解く日本史 明治時代1868〜1912 上念司著





金本位制について

金本位制  通貨の裏付けとして一定の金との交換を約束
管理通貨制 政府や中央銀行の信用によって通貨を発行する。
      (金などとの交換比率はその時々で変化)

19世紀に欧米の貿易取引量の増加。
そのため金本位制がおおいに役立った。

1844 英 金本位制確立
世界の金産出量は1840〜1850年代半ばまで増えていた
米・豪のゴールドラッシュ

1873 プロイセン  金本位制に
1876 仏  金本位制に
1870年代 その他欧米諸国も金本位制に
1897 日・露 金本位制に
1900 米 金本位制に
1850からしばらくの間、新しい金鉱山は発見されなかった。

金本位性だと取引量が多くなってもおいそれと通貨量を増やすことができない。
必ず金の裏付けが必要だから。
通貨量を増やすことができるのは、金の準備ができた時のみ。
また全世界的に見ると、金の産出量はおいそれと増えないので、金本位制の国を合わせた通過量は一定となり、通貨量も増やせず、基本的にデフレにふれる。
そのため恐慌が起きがちで、世界大戦の遠因にもなった。

19世紀後半のヴィクトリア均衡。
デフレによる失業、長時間労働、児童労働。
この頃のことについて書かれているのが

「イギリスにおける労働者階級の状態 19世紀のロンドンとマンチェスター」エンゲルス著


それをマルクスは「資本主義の限界」としたのだが、上念氏曰く、「政策当局の失敗。判断ミス(デフレ、通貨量の不足)」
1886 南アフリカで金鉱発見
1896 カナダで金鉱発見
金の抽出率を高める「青化法」の発見
これらにより、革命によらずともデフレ不況が終息していった。
明治時代の日本にとってもラッキーだった。



明治維新は下級とはいえ士族が幕府を倒したのに、士族を失業させたという意味ですごい。で、最終的にどのくらいのお金をもらって放り出されたのだろう?
大名はかなりおいしい目をしたよう。なんせ藩の経済は青息吐息だったのに、多額のお金を貰えたのだから。
藩への貸付は棒引きにされてしまい、「大名貸し」をしていた金融業者は潰れた。ちなみに三井家は「大名貸し」の危険性に気づき、1637年にやめている。(すごい!江戸初期じゃん)

1871年(明治4年)の段階で、秩禄の支出額は財政支出の38%を占め、士族以外から猛烈なバッシングを受けていた。

下級武士の年収を現在の貨幣価値に換算してみると
年収60万円(月5万円)

1873年(明治6年)大蔵省による家禄の把握ができた。
1873年(明治6年)家禄奉還制度。士族の25%がこれに応じ、一時金を受け取る。
しかしほとんどの武士は「武士の商法」ですってしまう。
1873 明治6年の政変
1874 佐賀の乱、台湾出兵
1875 江華島事件
1876 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱
1877 西南戦争

お金が無くなると暴れるよりなくなるわなあ・・・


日露戦争戦費調達

高橋是清がイギリスで外債を発行してお金を集めた。
(いだてんのショーケンを思い出す)

これでお金が集まらなければ、戦うことができなくなる。
アーネスト・カッセルとヤコブ・シフとの協力で外債が発行できた。

また、日露戦争が終わってからも、日本軍が進んだ地点を維持するためにお金が必要になり、外債を発行した。

ロシアにはまだまだ余裕があった。そのあたりのことがわからず庶民は、賠償が少ないことに怒り、マスコミもそれを煽った。
日比谷事件からの一連の騒優。


桂ーハリマン協定

 これは、満洲にアメリカ人のハリマンも出資するという話。で、この話がつぶれたので、第二次世界大戦(というか太平洋戦争か)になったという話もある。諸説あるみたいだけど。しかしアメリカも満州に権益を持つことになり、日本が孤立する事態はましになっていたかもしれない。しかし土壇場で破棄された。賠償が少ないという文句が吹き上がっている時だけに、利益を独り占めしたい、という思惑がはたらいたのか?
 まあでも満州にもとから住んでる人を無視した話であることは確か・・・


posted by kingstone at 23:03| Comment(0) | お金・暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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