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 あくまでも、私個人の意見です。

2018年12月07日

生きづらい明治社会 松沢裕作著


生きづらい明治社会 松沢裕作著

大隈重信
(第4代大蔵1873年10月25日 - 1880年2月28日)
インフレ政策をとった

1876 士族の反乱始まる(薩長政府をあわよくば転覆させうる、と考えていた)
1877 西南戦争。戦費が膨大に必要に(この前後士族の反乱がたくさん)
    政府は人気を取る必要があり、地租を3%から2.5%へ。
1881 明治14年の政変で大隈は政府を追われる

    生糸はそれまで価格が上がり続け、それが続くと考えた農家は設備投資。

松方正義
(第6代大蔵卿1881年10月21日 - 1885年12月22日)
デフレ政策をとった

 しかしデフレで価格が下がり、つぶれる農家続出。ここで地主と小作、そして都市へ流出する農民と別れる。

 江戸時代は村請制度があり、流出は防がれていた。また一時的な借金は繰り延べられることが多かったが、明治の地租改正により「村」が税を払うのではなく「個別の農家」が払う形に変わっていた。

 農家の昔からの考え方と、「お上」(江戸幕府や藩から明治政府へ)の考え方にずれがあった。

1883〜1885 負債農民騒擾(ふさいのうみんそうじょう。(そうゆう、と読むのかと思っていた)例、秩父困民党事件

 どういう点が大隈重信のインフレ政策はまずかったのだろう?
 現在、「反緊縮」の声も大きくなってきているのだが。

1894 日清戦争勃発
1895 日清戦争勝利

    勝利し、賠償金を得たが、余計に軍費調達の必要に迫られる。
    というか強兵政策に完全に向かう。

1899 地租が2.5%から3.3%へ(賠償金では足らなくなる)
1904 日露戦争勃発
1905.5ポーツマス条約(日露戦争終結。民衆は「勝った!」と思っていた。
1905.9日比谷焼き打ち事件(都市民衆騒擾)

    この時は、集会主催者は騒擾を起こす気は無かった。
    しかしこの後は集会を主催する者は騒擾を期待するようになっていった。


1918 米騒動(戦前最後の都市民衆騒擾?)


    都市民衆騒擾をしていた者たちは都市下層の若い男性。
    社会規範とされていた「戸主としての男」の役割(通俗道徳)を担えなかった鬱憤?
    
都市民衆騒擾で倒れた内閣。
1913 桂太郎内閣
1914 山本権兵衛内閣
1918 寺内正毅内閣

posted by kingstone at 23:29| Comment(0) | 本・記事・番組など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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