最近、テレビでちょくちょく見る本郷先生の著書。
お仕事では東京大学史料編纂所でひたすら建長年間(1249〜1256。細かい!!)の史料を読んではるそう。
しかし古代から近代の日本史の流れを掴もうと
「天皇」
「宗教」
「土地(制度)」
「軍事」
「地域(どの範囲を支配地域と考えていたか)」
「女性(財産・権力)」
「経済」
の7つのテーマについてそれぞれおおまかな流れ(そしてそれらはもちろん相互に関連している)をまとめて下さってます。ご自分の考えもだし、違う意見もある、というのも書いて下さってます。
宗教
@基本的に多神教。(一神教の生まれた地域から地理的にも一番遠い)
A世襲(宗教に限らず、組織の原理)
B外圧
神道と仏教とどちらが重視されたか。これは圧倒的に仏教。白村江での敗戦ショックで、外来の仏教をとり入れ「世界標準にのっとっている」みたいな姿勢を打ち出した。奈良の大仏の開眼も世界的なイベントにしようとしていた。ただし、当時の仏教は指導層だけのもの。お経もわけわかんないし。
天台、真言の密教は貴族にとっては「おまじない」化。
またこれに強烈に「世襲」がからんで形骸化した。(門跡寺院)
そこに鎌倉新仏教が生まれた。2つの意味で「易行」だった。
「名も無い人のためのもの」
「(家柄に関わらず)誰でもできる」
これは鎌倉幕府の成立とも関係している。
「在地勢力の自立」
法然と熊谷直実(法然の弟子となった)
九条兼実が話を聞きたい、と法然を呼んだ時、直実は身分が低いので建物に入れてもらえなかった。その時の直実の言葉。
「あわれ穢土ほど口おしきところはあらじ。浄土にはかかる差別はあるまじきものを」
これが現時点では日本の史料での「差別」という言葉の初出。
これらの影響が北条泰時の「後成敗式目」に現れる。律令は中国の丸写しで現実に即していなかった。武士の式目は地域の「統治意識」が出てきている。北条時頼は「撫民」という言葉も使い出している。
戦国時代に重要なのはキリスト教(外圧)と一向宗。宣教師がバチカンに「自分たちと類似した考えをもち、ライバルとなるのは浄土宗である」という意味のことを書き送っている。
明治維新では黒船という外圧に対し、廃仏毀釈をし、「国家神道」という無理なことを行った。
あと面白かったのは「関ヶ原」が何度も日本史で重要なポイントになっている。
まず大海人皇子は天智天皇から「即位して欲しい」と言われたものの「罠だ」と感じて吉野に逃れ、その後関ヶ原で力を蓄え、大友皇子との戦いに勝利し、天武天皇となった。(壬申の乱)
なお、大海人皇子が部下に桃を配った山(桃配山)に、後に徳川家康がはじめに本陣を置いた。
次に北畠顕家が京都に入ろうとした時、足利尊氏が関ヶ原を防衛戦として戦い、入京を阻止した。
そして関ヶ原の戦い。